月曜日, 10月 12, 2026
ホームスポーツ筑波大が4連覇 天皇杯県代表決定戦

筑波大が4連覇 天皇杯県代表決定戦

第28回茨城県サッカー選手権兼天皇杯JFA第105回全日本サッカー選手権県代表決定戦は10日、ひたちなか市新光町の市総合運動公園陸上競技場で開催され、筑波大学蹴球部が流通経済大学体育局サッカー部を1-0で破り、大会4連覇を達成した。筑波大は天皇杯本戦への出場を決めた。

第28回茨城県サッカー選手権大会兼天皇杯JFA第105回全日本サッカー選手権大会茨城県代表決定戦(10日、ひたちなか市総合運動公園陸上競技場)
筑波大蹴球部 1-0 流通経済大体育局サッカー部
前半0-0
後半1-0

関東大学リーグでは無敗で首位(5月6日現在)を走る筑波大と、無勝で下位に沈む流経大が、天皇杯県予選決勝で顔を合わせた。

左サイドバックを務めた筑波大の鈴木遼主将(右)。この日スタメン出場した唯一の4年生だ

今季のチームについて、筑波大の小井土正亮監督は「加藤玄がJ1名古屋、諏訪間幸成が横浜F・マリノスに入団するなど4年生の層が薄くなり、厳しいシーズンになった。だが今季初スタメンの選手や一般入部の選手らが頑張り、新戦力が台頭してきている」と、手応えを感じている。

それでも両チームの力には、順位通りの明確な差があるわけではない。事実、4月12日の対戦では1-1の引き分けに終わっている。「今日も難しい戦いになることは想定内だった。先に押し込まれるピンチはあったが、一人一人が責任持って戦ってくれて守りきれた」と小井土監督。

前半35分、ドリブルで攻め込む筑波大左MFの清水(中央)

前半は流経大が、サイドを使ったスケールの大きな攻撃と、2ラインをきれいに並べたコンパクトな守備で筑波大を圧倒した。流れが変わったのは後半明けの選手交代から。筑波大はピッチコンディションを考慮した2トップの形を止め、FW内野航太郎とMF清水大翔の1トップ1シャドーといういつもの形に戻した。

後半は1トップで前線を支えた内野(中央)

得点が生まれたのは後半23分。右サイドでのパス交換で敵陣深くへボールを運ぶと、攻撃参加していたDF布施克真からMF清水大翔へ横パスが通る。清水がワンタッチで前へはたくと、相手守備の裏をうかがっていたMF廣井蘭人が、左足でのシュートをゴール左隅に決めた。廣井はそのまま右コーナー付近へ走り、膝スライディングで喜びをアピール。駆け寄ってきたチームメートにもみくちゃにされた。

後半23分、廣井の左足シュートがゴールを破る

「狙っていた形。センターバックとサイドバックの間が空くことはスカウティングで分かっていた。清水のパスで決まったようなもの。彼はほかの人とは違う感覚を持っている。トンと優しく置いてくれた。自分はどこを狙うというわけはなく、ふかさないよう当てることを意識した」と廣井のコメント。アシストの清水は「顔を上げたいいタイミングで布施から横パスが来て、フリーだったのでうまく抑えながら足元に出せた」と振り返った。

応援席前にて集合写真

これで天皇杯本戦への出場を決めた筑波大。初戦は5月25日、埼玉県大宮市のNACK5スタジアムでRB大宮アルディージャと対戦する。勝てば2回戦は6月11日で相手はV・ファーレン長崎。7月16日の3回戦では鹿島アントラーズが予想される。「天皇杯は毎年楽しみにしている大会。1試合でも多くやりたい。プレッシャーもあるが茨城の代表として立ち向かっていき、新しい歴史を作りたい」と小井土監督。廣井は、帝京長岡高の先輩の谷内田哲平が大宮にいるので「対戦するのがめちゃくちゃ楽しみ。行けるところまで行きたい」とモチベーションを高めている。(池田充雄)

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