火曜日, 10月 6, 2026
ホームつくば貴重な野生種、最新の園芸品種など500点を展示 16日から「つくば蘭展」

貴重な野生種、最新の園芸品種など500点を展示 16日から「つくば蘭展」

筑波実験植物園

世界有数の野生ラン保全施設である国立科学博物館 筑波実験植物園(つくば市天久保)で16日から、企画展「つくば蘭展」が開催される。同園が保有する「つくばコレクション」のうち開花中の貴重な野生種約200 点と、協力団体が丹精込めて育てた普段見ることのできない最新の園芸品種や失われつつある貴重な古典品種など300点の計500点を公開する。

今回は、学習帳の表紙を撮り続けたことで知られる写真家で自然ジャーナリストの山口進さん(2022年逝去)の渾身の力作「ランと昆虫の共生をとらえた」の追悼展示や、オーストラリアやヨーロッパの野生ランの実物も展示する。

バケツランの写真の前で説明する遊川知久さん

同館植物研究部 多様性解析・3保全グループ長の遊川知久さんによると、ラン科植物はキク科と並んで種類が多く、2万8000種の野生種がある。その姿は多様性に富み、一目ではラン科とはわからない種もある。見分ける方法は、特殊化した花弁と花粉、小さくて軽い種子、クッションのような根などの特徴だ。7割は着生植物で木の上で生活している。身近にもラン科の植物がいて、ネジバナなど普段雑草とし扱っている繁殖力の高い種類もいるという。

研修展示館入口付近に展示するのが、バニラの木。バニラもラン科だという。メキシコ産のバニラ・プラキフォリア、バニラアイスなどでおなじみの香りを持つ。遊川さんはボルネオ産のバニラ・ボルエンシスを比べて、おびき寄せる動物の違いでも匂いが変わってくると説明する。

メキシコ産のバニラ・プラキフォリア(中央左)とボルネオ産のバニラ・ボルエンシス(同右)

教育棟では、山口進さんによるランと昆虫の共生をとらえた貴重な写真のほか、虫をだまして命をつなぐオーストラリアやヨーロッパの野生ランの実物を展示する。熱帯資源植物温室では、つくば洋蘭会など愛好団体が育てた園芸品種など、研修展示館では筑波実験植物園のコレクションから世界の美しく、珍しい花を200点展示する。

遊川さんは「故山口進さんの写真は、何週間もかけて撮られたとても貴重なもので、ランと昆虫の不思議な共生のストリーを味わって欲しい」と来場を呼び掛ける。(榎田智司)

◆企画展「世界のランが大集合!つくば蘭展」は16日(日)~23日(日)、つくば市天久保4-1-1、筑波実験植物園で開催。開園時間は午前9時~午後4時30分(入場は4時まで)。関連イベントとして、植物園研究最前線と題した講座や、展示ガイド、オンライン講演会、栽培講座、持ち込み相談コーナー、鉢植え販売などのイベントも開催される。会期中無休。入場料は一般320円、高校生以下と65歳以上は無料。障害者手帳所持者とその介護者1人無料。つくば蘭展のホームページはこちら。詳しくは電話029-851-5159(同園)へ。

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