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「楽しむことを諦めないで」インクルーシブ映画上映会 30日 つくばで

大きな声を出しても、動き回ってもOK

病気や障害を理由に、楽しむことを諦めないでー。そんな思いから生まれた「AYAインクルーシブ映画上映会 」が30日、つくば市稲岡、イオンモールつくば内の映画館 USシネマつくばで開かれる。上映作品は、映画ドラえもんシリーズ45周年記念作品の「のび太の絵世界物語」。イベントを企画したのは、医療的ケアが必要な重い病気や障害のある子どもと家族らがスポーツや芸術、文化を体験する場を提供するNPO法人AYA(東京都)だ。代表理事で医師の中川悠樹さん(41)は「会場では大きな声を出しても、じっとしていなくてもいいし、医療機器のアラーム音が鳴っても大丈夫。医療従事者もいる。大きなスクリーンで見る映画は絶対に楽しいはず」と来場を呼び掛ける。

体験を諦めざるを得ないのは社会課題

NPO法人AYA代表理事の中川悠樹さん(同)

AYAは2022年の団体設立以来、「健常の子どもが体験することを、病気や障害がある子どもにも体験してもらいたい」という思いから、スポーツ観戦や、小笠原諸島での海水浴等、多数のイベントを企画してきた。映画上映会は、過去の企画に参加した病気を持つ子の母親の声がきっかけだった。

「2000円握りしめて劇場に行けば映画が楽しめる、と言うのが一般的な感覚。でも私たちの社会には、周りの環境が整わずに映画にすらいけない人がたくさんいる」と中川さん。理由は、病気や障害の重さや、スロープやバリアフリートイレの有無だけでない。大声が出る、歩き回ってしまうなどの特性や、人工呼吸器のアラーム音、吸引機の機械音などが周りの迷惑になるのでは、という不安からくる遠慮があると言う。「『これがしたい』と思うことすら諦めている当事者や家族がいる。子どもたちがいろいろな体験を諦めざるを得ないのは社会課題」だと中川さんは指摘する。

上映会ではあらかじめ参加者に「医療機器のアラームが鳴る」「声を出したり動き回る」ことがあると周知し、歩き回っても足元が見えるよう照明を明るめに設定する、医療従事者を最低1人必ず会場につけるなどし、参加者が安心して映画を楽しめるよう配慮する。

環境さえ整えば体験できる

2023年に神奈川県川崎市で最初の上映会を開催した。その後、協力の輪が広がり、24年3月から6月にかけて「AYAインクルーシブ上映会2024春」を開き、全国11都府県で13回の上映会を実施し、延べ2056人が参加した。同年8月から10月の上映会では12劇場で約2000人が来場した。今年1月から3月初旬にかけても全国10か所で映画「モアナと伝説の海2」を上映した。参加者からは「家族で映画館に行けると思っていなかった」「兄弟にも我慢させてたけど、初めて家族で行けた」などの感想が寄せられているという。今回の上映会は、3月22日から6月15日にかけて、つくばを含む全国22か所で開催する予定だ。

中川さんは「いろいろなことを子どもに体験させたいと思う親は多いはず。体験する環境が社会に整っていないのが、今」だと話す。その上で「実際に映画を見て楽しんでいる姿を劇場の人に見せることで、劇場をより使いやすいものにしたいと思ってくれれば。実際に『これ、またやりましょう』と言ってくれる劇場の方もいる。病気や障害のある人を受け入れる事業者のハードルを下げることも我々の役目」だと話す。

「病気や障害を理由に諦めてしまう体験はゼロにしていきたい。周りの環境さえ整えば、病気、障害があっても体験できることはある。私たちの活動がきっかけになり、当事者や家族の方たちが社会に参加するきっかけになれば」と中川さんは思いを語る。(柴田大輔)

◆「AYAインクルーシブ映画上映会 in つくば」は3月30日(日)午前10時から上映開始。場所は、つくば市稲岡66-1イオンモールつくば2F、USシネマつくば。料金は、車いす席は全年齢1000円、一般席は3歳以上が1000円。2歳以下の子どもは保護者の膝上で鑑賞の場合は無料。事前申し込み制で、NPO法人AYAの公式LINEより申し込む。締め切りは19日(水)。応募多数の場合は抽選となり、抽選結果は24日(月)に応募者にLINEで連絡する。詳細は公式イベントページへ。

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