月曜日, 10月 12, 2026
ホームスポーツホーム最終戦、埼玉に1勝1敗 つくばサンガイア

ホーム最終戦、埼玉に1勝1敗 つくばサンガイア

目標のプレーオフ進出逃す

バレーボールVリーグ男子のつくばユナイテッドSunGAIA(略称サンガイア、本拠地つくば市)はホーム最終戦となる3月8、9日、日立市東成沢町の池の川さくらアリーナで埼玉アザレア(本拠地埼玉県狭山市)との2連戦を戦い、8日はセットカウント2-3で敗れ、19日は3-1で勝利した。これでサンガイアは14勝10敗で東地区3位。残り4試合で2位の埼玉に4差をつけられ、各地区2位までに与えられるプレーオフ進出の権利を逃した。

2024-25 Vリーグ男子(東地区)レギュラーシーズン(3月9日、池の川さくらアリーナ)
サンガイア 3-1 埼玉アザレア
25-23
25-21
20-25
26-24

第1セット、長谷川直哉がスパイクを決める

8日はフルセットに持ち込んだ試合を取りきれず惜敗。悔しさが抜けきれない中、選手たちは気持ちを切り替えて翌日の試合に臨んだ。9日の勝因について架谷也斗主将は「昨日よりも守備から点を取れ、劣勢から巻き返し流れを変えるプレーができた」と分析。鎌田敏弥は「昨日のフルセットの疲れもあったが、各自が自分のやるべきことを確認し、チーム全員で勝てた」と安堵の表情。

第1セットは序盤相手に先行されたが、梅本鈴太郎の2本のサービスエースなどで巻き返し、その後は拮抗した展開から最後を詰めきってセットを先取。第2セットは中盤で引き離されかけるが、鎌田と森居史和の同時投入から流れを引き戻し、またも逆転でセットを連取。その後は埼玉の追い上げに苦しみながら、今季最後のホームゲームを勝利で飾ることができた。

第3セット、畑中(14番)のブロック

流れを変えた第2セットの交代について加藤俊介コーチは「ブロックの高さを出すために2枚替えをし、それが本当によくはまった。鎌田はなかなか出番がない中、いつもいい準備をしてくれている。彼のブロックは練習でも誰もが認める素晴らしさで、今日も本当に頼りになった。森居も良いものを持っているが出場機会に恵まれず、出たかった気持ちを今日一機に爆発させてくれた」と評価した。

森居は昨年4月に順天堂大を卒業して入団。この日は「コートの様子を外から見ていて、自分が盛り上げてやろうと考えていた」という。セッターとしては雰囲気を変えることを意識し、またサーブでも回転を使い分ける得意のハイブリッドサーブが効果をもたらした。

第3セット、喜ぶ畑中

若手ではもう一人、国士館大からの内定選手である畑中大樹も攻守に活躍。昨年11月の内定以来、すでに14試合に出場しており「打つ方は自信を持ってできている一方、守備に不安があったが、今日は耐えてひと皮むけた」と加藤コーチの評。

ホーム最終戦を勝利で飾ったものの、目標としていたプレーオフ進出を逃したことについて加藤コーチは「上位のチームと大きな差はないと感じているが、うちは若い選手が多いので、勝つための経験が足りていない。そこが一番大きいし、そこだけかなと思う」と話し、「ホームといってもつくばからは遠い日立の試合に279人ものファンの方が来てくれた。つくば・土浦だけでなく茨城全体にサンガイアを認識してもらい、もっともっと推していただけるようになりたい」と期待を込めた。

「14勝」のハンドサインとともに、ホーム最終戦の集合写真。前列中央はセッターとして活躍し、MIPを受章した茂太隆次郎

今季のサンガイアの残り試合は、3月15・16日に函館アリーナ(北海道函館市)で北海道YSと戦い、3月22・23日でFUKAI SQUARE GARDEN足利(栃木県足利市)でのR栃木戦によって全日程を終える。(池田充雄)

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