【コラム・浅井和幸】問題を解決するには、目的を決め、現在の状況を把握し、今できる一歩を考えて実行することが大切です。会議でも1対1の相談でも、問題解決につながらずに話が堂々巡りをしてしまうことが多々あります。現状の把握はとても大切な要素のひとつですが、これができないひとつの要因に主語がどんどん移り変わっていくことがあります。
会議や相談で話を進めていくうちに、あれ?今誰の話をしているのですか?と、私は聞き返すことが多々あります。Aさんという男性からBさんという女性が嫌がらせを受けていると、Bさんが相談してきたとします。
Aさんから、どのような状況で、いつ、どのような嫌がらせをされたか聞いているうちに、ちょっと話が飛んでいるように私が感じて、「あれっ? それはAさんがそのような嫌がらせをしてきたのですか?」と質問すると、「いえAさんの話ではなく、男性とはそのような嫌がらせをするものです」と、男性全体の話に代わっていたり、Aさんではなく全く別の人の話になっていたりするという相談の流れもしばしばあります。
これでは、Aさんに対してどのような態度をとればよいかとか、それがAさんに対応するように職場の上司にどのように相談を持っていけばよいかという動きから外れていくものです。もちろん、人というものは理路整然と全ての話を組み立てて話すことはできるはずもないし、問題解決のための考え方というものは思っているよりも難しいものです。
ですが、それだけではなく自分にも言いたくないやましいところがあり、それを意識的、無意識的に避けるために起こることもあります。話が飛んだり矛盾が生じたり、現状を正確に聞き取ろうとすると、何でそのようなことまで聞かれるのだと怒りが湧くこともあるでしょう。
君子危うきに近づかず
人は完璧に振る舞えるわけではないので、嫌がらせをされたら自分も相手に嫌がらせで返してしまうことも当然あります。ですが、それも含めて、実際にどのようなやり取りがあって、どのような関係性で、どのような状態に持っていきたいかと、現状と目的を共有したほうが問題解決のためのアプローチがしやすいのは当然のことです。
それだけではなく、問題解決をするのに、自分が何か対応を今までと変えることは自分が悪者のように言われているようで、釈然としないので避けたいという感覚になることもあるでしょう。これは一般的に悪者が変わるべきであって、善人である自分が言動を変えることはおかしいという思い込みに縛られているからです。
もらい事故が多い人は、自分が交通ルールを守っているのだから何も自分は変える必要はないと、かたくなに思い込んでいる可能性があります。運転がうまく事故が少ない人は、危ない運転をしている車などは避ける行動をとります。
時には「君子危うきに近づかず」という考えが功を奏することもあることを理解しましょう。あくまで自分の人生の主人公は自分自身であり、自分が一番動かしやすいゲーム盤上の駒であるというイメージを持つとよいかもしれません。(精神保健福祉士)