【コラム・浅井和幸】仕事に就けないのは、仕事が少ない地域だから。資格を持っていないから。年齢が高いから。日本人だからしょうがない。田舎育ちだから仕方ない。都会だから諦めよう。何かを諦めるときに、もっともらしい理由を探したくなるものです。
私は下手ながらにギターを少し弾くことがありますが、手が小さくギターは弾けないから諦めたなんて言う人もいましたね。
個々のケースに立派なできない理由を持ってくることを、私たちは日常的に行っているものです。それらは諦めることの罪悪感を避けるために、無理やりにでもその正当性を、時には他の人に、時には自分に言い聞かせるためのこともあります。
物事を諦めることに立派な理由、正当な理由を用意しなければいけないものなのでしょうか。諦めたいのであれば、諦めて生きる方法を探ればよいのではないでしょうか。しかし、格好よく諦めるには格好良い理由が必要なのでしょうね。
自分の素直な気持ちを探る
もう一つ考えられること。文頭の例でいえば、就職をしたい、諦めずにやり遂げたいと思っているのに、自分では影響を与えられないことの理由しか思い浮かばず、やり遂げるための改善方法を見つけることが下手になっているという状況です。
仕事が少ない地域でも人手を必要としているところを探せるかもしれないし、資格を取るとか、資格がなくても雇ってくれるところ、年齢が高くても採用してくれるところを探す方法があるかもしれません。
例えば、「寒いのは冬だからだ」と考えたとしましょう。寒い原因が冬である以上、寒い状況を避けるのは、冬という季節自体を変えるしかないですよね。日本の季節、地球の環境自体をねじ曲げなければいけません。まぁ、できるはずがないですよね。
ですが、寒い冬に暖かく過ごしたいのであれば、服を着るとか、暖房をつけるとか、陽だまりを探すとか、暖かいものを食べるとか、何かしら方法があるはずです。暖かく過ごすことを諦めることに罪悪感があるから、冬のせいにしようとしているのではないかと考えると、違和感が出てくることが分かるでしょう。
あなたは、罪悪感を抱かずに諦めるという選択肢に進めるでしょうか、やり遂げる方法を探すことができるでしょうか。まずは、どちらを選択したいかという、自分の素直な気持ちを探ることから始めてみてください。(精神保健福祉士)