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「がんに皆で向き合う」8日 つくばで応援ウオーク 家族や当事者トークも

がん啓発イベント「みんなで向き合う がんロコモウォーク」が8日、つくば市内で開かれる。主催するのは小児がんの当事者や家族を支援する市民団体「ヒスターズナウつくば」(照井美穂代表)。3回目の開催で、過去2回は洞峰公園で開催した。

イベントでは、がん患者が治療を受けるつくばメディカルセンター、筑波大学附属病院と、つくば駅前の中央公園を往復する「応援ウオーク」を開催する。さらに中央公園に設置する各ブースで、がん患者の家族や当事者によるトークイベント、支援団体による啓発企画などを開く。代表の照井さん(43)は「つくばには、がん治療のために市内外から訪れる多くの患者や家族がいる。治療は孤独。応援する人がたくさんいるし、頼れる場所があると知ってもらいたい。少しでも安心につなげられたら」と思いを語る。

我が子ががんに 感じた孤独

照井さんは、病室から見た風景を忘れられない。

2020年、照井さんは小児がんの治療を受けるために入院中の次男に付き添い、筑波大学附属病院6階の病室にいた。外に目をやると、車が行き交う道路に歩く人の姿は見えない。

「我が子がこんなに辛くて大変な思いで治療しているのに、誰にも気づいてもらえない、知ってもらえないという気持ちになり、すごく辛かった」

当時2歳だった次男の善高さんに腫瘍が見つかったのは2020年3月。脳幹組織に悪性腫瘍ができる小児脳幹グリオーマと診断された。同時に医師からは余命を宣告された。「やれることをやり切りきろう」。そう決意した照井さんは休職し、病院に泊まり込んでの看病が始まった。

「息子の病気は誰も助けられない状態。コロナ禍で外部との接触が限られている中、どうにか助けを得ようと訪ねた市役所でも支援団体を紹介してもらうことができなかった。本当に辛かった。こんなに頑張っている我が子を助けてくれる人はいないのかと、孤独でした」と、当時を振り返る。

「応援してくれる人がいるだけで希望がもてる。『頑張ってるの、知ってるよ』と、あのとき、誰か一人でも声を掛けてもらえていたら、私はもっと頑張れたんじゃないかと思うことがある。がん治療に臨む当事者や家族がいる病棟から見えるところでイベントをしたいと考えていた」と、今回の応援ウオーク開催への思いを話す。

毎週月・金曜日に市内のカフェで行う家族交流会で相談に応じる照井さん(中央)=つくば市二の宮「ひふみ杏 つくるひとcafe」

レモネード販売し100万円を寄付

2021年5月に誕生した「ヒスターズナウつくば」は、レモネードを販売し、売上金を小児がんの治療研究費に役立てる「レモネードスタンド」を県内各地で開催している(22年6月10日付)。昨年7月までに52回を企画し、100万円を超える寄付金を「NPO法人日本小児がん研究グループ」に寄贈した。地域の製菓店や飲食店の協力も受けて、入院する子どもに付き添う家族に食事を提供したり、院内の売店で使えるクーポン券を発行したりするなどの「院内家族サポート」や、イベントを通じた啓発活動にも力を注ぐ。

がんロコモウォークは今回で3回目。がんロコモとは、病気や治療がきっかけで、筋肉、神経などに障害が起き運動機能が低下すること。病気による二次障害も、ウォーキングをするなど対策をすれば防ぐことができる。イベント名には「がんをきちんと知ってほしい」という願いを込めた。

「2人に1人が、がんにかかる時代。がんは怖い、悲しい、治らないんじゃないかというイメージが強い。でも、きちんと知ることで、自分や周りががんになった時にどうすればいいのか、皆で考えることができる」と照井さん。

国は2023年3月に策定したがん対策推進基本計画で、がん予防、がん医療、がんとの共生を3本柱とし「だれ一人取り残さないがん対策を推進し、全ての国民とがんの克服を目指す」との目標を掲げている。

照井さんは「まずは予防。がん検診を受けてほしい。もしがんになっても社会復帰できる時代。治療を受けて、いかに社会復帰を早められるかも重要。不安を感じて落ち込み、ふさぎ込んでしまうと、運動機能の衰えが元で社会復帰を遅らせてしてしまうことがある」と言い、こう呼びかける。

「がんにかかると治療に先が見えず、先の見えない不安を感じるかもしれない。子どもがかかれば家族は『今頑張んなきゃ』と一生懸命になる。体調を崩してして付き添えなくなり自分を責めてしまい、心が折れる家族もいる。そんな時、孤独にならずに、いろいろな支援団体があると知ってほしい。応援したい人とのつながりをつくるのが私たちの役目。みんなでがんに向き合っていきましょう」(柴田大輔)

◆「第3回 みんなで向き合う がんロコモウォーク」は2月8日(土)午前11時から午後3時、つくば市吾妻2-7-5、市中央公園などで開催。イベントの詳細は「ヒスターズナウつくば」のホームページへ。応援ウォークの参加は専用フォームから事前申し込みが必要。問い合わせは、がんロコモチャレンジいばらき実行委員会(メールganlocomo.ibaraki@gmail.com)へ。

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