【コラム・平野国美】前回(12月22日掲載)、高齢の患者さんから聞いた「不登校だった友だちは後に社長になった」という話を紹介しました。この話を聞き、人の多様性について興味を持ちました。不登校や「ひきこもり」を奨励しているわけではありません。多様性について考えるようになったのです。
誤解を恐れずに言えば、ひきこもりも悪いものではないと思えるのです。つくば市にはたくさんの研究所が存在し、多くの研究者が住んでいます。彼らと話していると、「社会的にバランスがよい人」もいますが、バランスが悪いと思われる方もおられます。
一般的に、コミュニケーション力や社会性がない人はマイナス評価されますが、自分の専門分野において独特の存在感があるのです。
ある研究職の方は南極越冬隊に参加されました。1年間を氷に閉ざされた所で閉鎖的な人間関係の中で暮らしていくことを、皆さんはどう考えますか? オーロラ見学に数日間とかなら分かりますが、あの極限空間の中で1年を暮らすとなると、どうでしょう? そんな環境の中で暮らした方からお話を聞く機会がありました。
「あんな過酷な場所に、よく行く気になれますね」との質問に対する答えは衝撃的でした。「あんな素晴らしい場所はないですよ。自分の仕事さえきちんと行えれば、誰とも話さなくても済むのです。私には天国です」と、笑みを浮かべて話されました。
この方、人付き合いが上手な人ではありません。南極のような閉ざされた世界の方が適しているのかも知れません。南極のように「自閉症気味の方が活躍する場所」もあるのだと思いました。
個々の資質は多様性の一面
哲学的に考えると、その個人の資質や、それに影響を与える遺伝子にも意味があると思うのです。カントの義務論によれば、すべての人間は尊重されるべき固有の価値を持っており、自閉症であろうと多動であろうと、我々社会は彼らの権利や尊厳を守る責任を負っているのです。
哲学者ハイデガーは、人間の存在はその多様性と複雑性に価値があるとしました。個々の資質は人間の多様性の一面であり、その独自性が社会や文化に多様な視点を提供します。ニーチェの生の哲学によれば、個々の存在はその独自の生きる意味を持っています。自閉スペクトラム症(ASD)の人も、自身の生きる意味や目的を見出せば、それが自身の幸福や自己実現につながると思うのです。
近年、多様性という言葉がよく使われますが、私の患者さんを通して個性を眺めていくと、いろいろ気づかされることがあります。(訪問診療医師)