火曜日, 10月 13, 2026
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故火野正平さんにまつわる旧筑波線藤沢駅の話

【コラム・榎田智司】俳優の火野正平さん(本名二瓶康一)が11月14日、75歳で亡くなった。火野さんはかつて、土浦市藤沢(旧新治村)に住んでいたという話を聞いていたので訪ねてみた。

火野さんは、NHK-BSの番組「にっぽん縦断 こころ旅」を14年間続けた。790回目の2018年11月22日の放送でサイクリングロード「つくば霞ケ浦りんりんロード」の藤沢休憩所(土浦市藤沢)を訪れた際、「ここにいたことがある」と話していた。かつての筑波鉄道筑波線(1987年廃線)の常陸藤沢駅だ。番組で火野さんはつくば市小田から自転車を走らせ、藤沢休憩所でかつて商店を営んでいた宮崎照男さん(77)と出会う。NHKのウエブサイト「にっぽん縦断 こころ旅」のページには「なつかしい出会いがあった」と記されている。

りんりんロード沿いの藤沢休憩所。かつては筑波線の常陸藤沢駅だった

11月下旬、記者が宮崎さんに話を聞いたところ、火野さん自身は藤沢に住んでいたわけではないが、母親と弟が1964年から65年の2年間ぐらい藤沢駅近くに住んでいて、火野さんも買い物に来ていたという。宮崎さんはお婿さんだったため、当時直接会ったわけではなかったが、商店で育った奥さんはよく火野さんのことを見かけたと話す。

火野さんの父親は3歳の時に他界、叔父に育てられた。1964年頃、叔父は仕事の関係で大阪に引っ越したため、長男である火野さんだけが付いて行った。母と弟が引っ越し先を探し、転居した先が当時の新治村藤沢だった。その頃火野さんは大阪豊中に住み、高校生だった。

当時を知る宮崎さんの奥さんによると、高校生だった火野さんは、母親の家にたびたび遊びに来て長期滞在し、近くにあった旧宮崎商店を何度も訪れていたという。その頃火野さんはテレビドラマ「少年探偵団」(1962)の子役として有名だったので、つくば市下大島(当時筑波町)から「二瓶がいるぞ」(当時の芸名は本名)と言って見にきた人もいたと話す。

昭和60年当時の宮崎酒店(土浦市新治商工会提供)

宮崎さんは「番組で訪れた際は、懐かしく感じた景色だったのではないか。二瓶家が藤沢に住んだのも、当時は筑波線が通っており、比較的便利な駅前に居を構えたのだろう」と話す。

当時の新治村には坂田駅、常陸藤沢駅、田土部駅と3つの駅があった、その中で一番乗降者が多かったのは常陸藤沢駅で、当時は高校に通う学生だけでなく、住民の足として重要なものだった。藤沢駅前の唯一の商店だった旧宮崎酒店は毎日のようにお客さんが訪れた」と宮崎さんはいう。

宮崎さんは「火野さんのテレビに出たことから、いろいろな人に声をかけられた。当時の出会いは打ち合わせではなく本当に偶然のものだった」と振り返った。(NEWSつくばライター)

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駅名板やヘッドマークなどお宝40点 土浦まちかど蔵で「筑波鉄道展」

1987年に廃線になった筑波鉄道の歴史と、現在の自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」のつながりを紹介する「筑波鉄道展」が9日から、土浦市中央の観光拠点、土浦まちかど蔵「大徳」で開かれている。駅名板、ヘッドマーク、切符などお宝約40点が展示されている。 鉄道愛好家でもある土浦市観光協会の浅川善信さんが、筑波鉄道を運行していた関東鉄道の倉庫に眠る鉄道資料の中から、選りすぐって展示した。関東鉄道、JR土浦駅などの協力を得て同市観光協会が主催する。 展示されている駅名板は、筑波山観光の玄関口として当時、観光客でにぎわった「筑波駅」(つくば市沼田)と、旧新治村の「常陸藤沢駅」の2点。 ヘッドマークは、臨時列車「つくば」、急行「つくばね」の車両の先頭に取り付けられていたものなど3点。臨時列車のヘッドマークは、かつて筑波山の観光シーズンなどに、国鉄上野駅から臨時列車を運行していた記録でもあるという。急行は、1960(昭和35)年ごろ、土浦ー筑波駅間をノンストップで運行していた急行に取り付けられていた。ほかに、廃線間際の車両に取り付けられた「さようなら 筑波鉄道 ありがとうございました」と書かれたヘッドマークも展示されている。 さらに、土浦駅の隣の新土浦駅で実際に使われていた、列車の運行を監視したり制御するためのスイッチが収められた制御盤や、1983(昭和58)年に田土部駅に掲示されていた旅客運賃表なども展示されている。制御板は、右上に国道踏切、右下に六号国道踏切とある。当時、筑波鉄道が土浦市内の国道6号を横切った際、住民は踏切で長く待たされた。浅川さんは「土浦市民にとっては懐かしい思い出として記憶に残る踏切なので、こういうふうに踏切を制御していたんだと分かる制御盤」だと話す。 旅客運賃表には、田土駅から土浦駅までの運賃が当時340円だったことのほか、上野駅や横浜駅、宇都宮駅までの運賃も書かれており、当時、国鉄への乗り換えが多かったことがわかる。 ほかに、1896(明治29)年に製造されイギリスから輸入されたレールを切断してつくった文鎮、客車をけん引していたディーゼル機関車のブレーキハンドル、レールを固定するために打ち込んだ犬の頭部の形に似た犬釘など珍しい資料も展示されている。 浅川さんは「サイクリストには、りんりんロードに鉄道の歴史があったことを知ってもらうと同時に、鉄道ファンには現在も現地に残る筑波鉄道の遺構を自転車で巡ってもらえれば」と話し、「折に触れて、その場所にあった筑波鉄道に思いを馳せていただければ」としている。 筑波鉄道は1918(大正7)年に開業した土浦駅と岩瀬駅を結ぶ40.1キロの鉄道で、開業当初は蒸気機関車が黒い煙を吐きながら、客車2両と手荷物車、郵便車の計4両を引っ張り1日6往復した。1925(大正14)年に筑波山ケーブルカーが開業してからは、筑波山観光に大きな役割を果たすようになった。一方1970年代以降の道路整備や車社会の普及により沿線住民や観光客の鉄道離れが進み、1987(昭和62)年に廃線となり70年の歴史を閉じた、廃線後、線路跡地を茨城県が買収し、2002年に自転車道「つくばりんりんロード」を整備、2016年には霞ケ浦自転車道と統合され、ナショナルサイクルルート「つくば霞ケ浦りんりんロード」になった。駅のホームには現在、サイクリストのための休憩所などが整備されている。(鈴木宏子) ◆「筑波鉄道展」は19日(日)まで。入場無料。開館時間は午前9時~5時。18日(日)午前11時からと午後1時からの2回、筑波鉄道に関する鉄道ビデオを会場で上映するほか、同日午後2時から、鉄道関連グッズが当たる抽選会を開催する。詳しくは土浦市観光協会のホームページへ。