【コラム・浅井和幸】私が代表をしているNPO法人があります。不登校・ひきこもり・ニート問題の解決を目的に活動をしている法人です。そこには、様々な立場の様々な悩みが持ち込まれます。
そこに、ある不登校の中学生の子どもの親からの相談がありました。小学校の時からの不登校で、暴力も少し出始めて、壁にも穴が開いているとのことでした。全てはこの子のせいで家族関係も悪くなり、仕事もうまくいかないとのことでした。全ての原因はこの子にあると。
因果応報という言葉があります。原因があるから結果があるということです。一つの結果はたった一つの原因からなっていると捉えすぎているなと、私は常日ごろ感じています。自分以外の何か一つの悪いところを責めてしまう気持ちも分からなくはないのですが、実際問題として、生活の中で起こる現象はたくさんの要因が絡まって起こってきます。
会社を辞めれば楽になれる。日本だから駄目なんだ。茨城だから駄目なんだ。フィンランドは幸せな国だから、そこに生まれたら自分は幸せだったのに。親が自分を生まなければよかったんだ。結婚さえできれば幸せになれる。金さえあれば何でもできる。
これらは、余裕がないとき、多くの方が感じたり口にしたりすることでしょう。きっかけさえあればという考えも、一つのよい原因があれば全てはよくなるという思い込みからくるものだと思います。ビックバンさえなければ、地球さえなければ、悩みなんてないのにと考えてもしょうがないですよね。
必要条件と十分条件
物事には必要十分条件というものがあります。例えば、ポークカレーは、豚肉・カレールー・水・調理器具・調理でできると仮に定義します。この5つの材料がそろったときにポークカレーが存在するので、どれか一つが抜けてもポークカレーは出来ません(玉ねぎやニンジンなどがあった方がおいしいというのは別の話です)。
豚肉があればポークカレーだとか、水があればポークカレーだとかと話すと、違和感がありますよね。それぞれの物や動きは必要条件ですが、十分条件にはならないのです。十分条件は、ポークカレーならば調理されているとか、ポークカレーならば豚肉が入っている(溶けているもあり?)です。
今現在起こっていることは、どのような材料で出来上がっているのか、大きな影響力がある要因は何かということを捉えることは大切なことです。ですが、もう一つの考え方として、今ある結果が次の材料の一つになるんだという考え方も持てるとよいですね。
あまりおいしく出来なかった肉じゃがの残り物にカレールーを足すと、おいしいポークカレーができるかもしれませんよ。砂糖を入れ過ぎたとか、じゃがいもに味がしみ込んでいないとか、過去の悪い要因を探し出すだけでなく、今あるものに新しい要素を加えることでおいしくなるかもしれません。
また、待つだけでも、じゃがいもに味がしみ込むという改善策があるかもしれませんね。ときには、あえて何もせずに待つことが良策であることもあります。(精神保健福祉士)