月曜日, 12月 9, 2024
ホーム土浦台湾提灯加わりバージョンアップ 水郷桜イルミネーション点灯 土浦

台湾提灯加わりバージョンアップ 水郷桜イルミネーション点灯 土浦

土浦の冬の風物詩、水郷桜イルミネーション(同推進委員会主催)が23日、霞ケ浦湖畔の同市大岩田、霞ケ浦総合公園オランダ型風車前広場で始まった。青、赤、ピンク、緑、黄色などのLED約21万7000球が点灯し、土浦の花火、桜、霞ケ浦、ハス田などがイルミネーションで浮かび上がった。

高さ25メートル、直径20メートルの巨大な風車の羽根が冬の夜空に回転する「風車イルミネーション」や、土浦の花火を表現した「花火イルミネーション」が点灯した。今年は台湾の台南市と友好交流協定を締結したことを記念して、新たに色鮮やかな「台湾提灯」が加わった。来年1月13日まで点灯する。

今年新たに加わった台湾提灯

点灯式では同推進委員会共同代表の広瀬英敏さんが「水郷桜イルミネーションは約210社という企業の協賛のおかげで開催できていることに感謝したい。寒い中にもたくさんの人に集まってもらい大変喜んでいる」などと話した。安藤真理子市長は「今年は台南市との友好交流協定を記念しての台湾提灯が加わり、よりバージョンアップした催しになった」などとあいさつした。

霞ケ浦高校チアダンス部のパフォーマンスや土浦第二小学校合唱団のコーラス、日本総合伝統芸能集団「喜楽座」の演奏などが披露された。

大勢の市民らが集まった点灯式

点灯式にはたくさんの市民らが訪れ、点灯の瞬間を待った。午後5時20分、10、9,8、7…とカウントダウンの合図で点灯すると、会場から大きな歓声が上がり、湖上から花火も打ちあがった。市民らは光のトンネルに入ったり、写真を撮ったりして華やかなイルミネーションを楽しんでいた。

夫婦で訪れた市内の40代の鈴木孝宗さんは「毎年楽しみに来ている。今年は花火が見られなかったので、本日(点灯の瞬間を)見られてうれしい。今後もずっと続けてほしい」と語った。(榎田智司)

◆水郷桜イルミネーションは、土浦市大岩田145、霞ケ浦総合公園オランダ型風車広場で来年1月13日(月)までの午後5~9時に点灯する。入場無料。期間中のイベントとして▷台湾フェスティバルが12月7日(土)と8日(日)の午後4時~9時まで開かれ、台湾フード販売、台湾雑貨販売、トークショー、サックス演奏、抽選会などが催される▷ほしぞらマルシェは12月14日(土)、15日(日)、21日(土)、22日(日)の午後4時~9時まで催され、キッチンカーや市内飲食店の出店、野菜販売、雑貨販売などが行われる。問い合わせは電話029-823-4811(土浦市産業文化事業団)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

3 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

3 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

「農民とともに歩む」佐久総合病院《邑から日本を見る》173

【コラム・先﨑千尋】11月中旬、長野県佐久市で農業協同組合研究会の現地研究会が行われ、佐久総合病院に行ってきた。同病院は長野県厚生農協連が運営する農協病院で、茨城では水戸市や土浦市などにある協同病院と同じだ。 若月俊一元院長の教え 研究会では、同病院と、ドクターヘリが配置されている佐久医療センター、佐久市有機農業研究協議会の有機栽培農園の視察をした後、夏川周介名誉院長の「病院の歴史と若月俊一元院長の功績」に関する講演があった。 私の同病院との付き合いは、50年以上も前に私が当時在職していた農協で組合員の健康診断を実施しようと考え、当時の若月院長の指導を受けたことがきっかけだった。その後何度も同病院を訪れ、若月さんから農村での医療などについて教えを請うてきた。夜のパーティでは酒の呑み方も教わった。 同病院は現在、3つの病院と1診療所、2老健施設、7訪問介護ステーションなどを擁する一大地域医療ネットワークを構築し、1月の能登半島地震では被災者の救援・治療に当たるなど、長野だけでなく、わが国の医療体制を支える役割を果たす一翼を担う存在となっている。 同病院の今日の基礎を築いた若月さんは、敗戦間近の1945年3月、創立間もない同病院に赴任した。当時は農民や住民の健康状態が悪く、病院に来た時には既に手遅れだった。そこで、自ら出張診療に出向き、「予防は治療に勝る」と考え、予防治療と公衆衛生活動に取り組んだ。 若月さんは宮沢賢治の「農村演劇をやれ」という教えに学び、演劇を通じ、農民に健康の大切さを説いた。1959年には八千穂村(現佐久穂町)で全村健康管理による早期発見と予防に取り組み、病院では不治の病だった脊髄カリエスの治療法を確立し、病院給食の実施、精神科の設置、がん治療器の導入など、農村に最高の医療を提供するという実績を積み上げ、病院の規模も大きくなっていった。 さらに、農村医学会の設立、農薬中毒抑止対策、日本有機農業研究会の立ち上げ、研修センターの設立、高齢者ケアへの取り組みなど、わが国の農村医学をけん引し続けてきた。「農民とともに」という同病院を貫く思想は、今日「若月イズム」と言われている。 異色の医師・色平哲郎さん 今回の佐久行きのもう一つの目的は、同病院でも異色の医師・色平哲郎さんに会うことだった。彼は東大工学部をあと少しで卒業という時に中退し、日立市のキャバレーなどで働いたりしたあと、京都大学医学部に入学し、1990年に研修医として佐久総合病院に入り、今日までそこで診療に当たっている。 八ケ岳山麓にある南相木村診療所で10年、所長として、「土」の人たちの暮らしと命を見守っている。そういえば、名刺には「風の人 土の人」と大きく書かれている。風とは、外部から訪れる人、土とは、その地に根を下ろし、実践していく人のことだ。 色平さんと話をするのは久しぶり。佐久病院のことなどを彼から聞き、私は農業の現状や茨城での農村医療のことなどを話し、話は尽きなかった。同病院には現在230人の医師がいるが、「農村医療のメッカ」「若月イズム」が通底する病院だからこそ、彼のような組織になじまない医師もいるのだと思っている。(元瓜連町長)

故火野正平さんにまつわる旧筑波線藤沢駅の話

【コラム・榎田智司】俳優の火野正平さん(本名二瓶康一)が11月14日、75歳で亡くなった。火野さんはかつて、土浦市藤沢(旧新治村)に住んでいたという話を聞いていたので訪ねてみた。 火野さんは、NHK-BSの番組「にっぽん縦断 こころ旅」を14年間続けた。790回目の2018年11月22日の放送でサイクリングロード「つくば霞ケ浦りんりんロード」の藤沢休憩所(土浦市藤沢)を訪れた際、「ここにいたことがある」と話していた。かつての筑波鉄道筑波線(1987年廃線)の常陸藤沢駅だ。番組で火野さんはつくば市小田から自転車を走らせ、藤沢休憩所でかつて商店を営んでいた宮崎照男さん(77)と出会う。NHKのウエブサイト「にっぽん縦断 こころ旅」のページには「なつかしい出会いがあった」と記されている。 11月下旬、記者が宮崎さんに話を聞いたところ、火野さん自身は藤沢に住んでいたわけではないが、母親と弟が1964年から65年の2年間ぐらい藤沢駅近くに住んでいて、火野さんも買い物に来ていたという。宮崎さんはお婿さんだったため、当時直接会ったわけではなかったが、商店で育った奥さんはよく火野さんのことを見かけたと話す。 火野さんの父親は3歳の時に他界、叔父に育てられた。1964年頃、叔父は仕事の関係で大阪に引っ越したため、長男である火野さんだけが付いて行った。母と弟が引っ越し先を探し、転居した先が当時の新治村藤沢だった。その頃火野さんは大阪豊中に住み、高校生だった。 当時を知る宮崎さんの奥さんによると、高校生だった火野さんは、母親の家にたびたび遊びに来て長期滞在し、近くにあった旧宮崎商店を何度も訪れていたという。その頃火野さんはテレビドラマ「少年探偵団」(1962)の子役として有名だったので、つくば市下大島(当時筑波町)から「二瓶がいるぞ」(当時の芸名は本名)と言って見にきた人もいたと話す。 宮崎さんは「番組で訪れた際は、懐かしく感じた景色だったのではないか。二瓶家が藤沢に住んだのも、当時は筑波線が通っており、比較的便利な駅前に居を構えたのだろう」と話す。 当時の新治村には坂田駅、常陸藤沢駅、田土部駅と3つの駅があった、その中で一番乗降者が多かったのは常陸藤沢駅で、当時は高校に通う学生だけでなく、住民の足として重要なものだった。藤沢駅前の唯一の商店だった旧宮崎酒店は毎日のようにお客さんが訪れた」と宮崎さんはいう。 宮崎さんは「火野さんのテレビに出たことから、いろいろな人に声をかけられた。当時の出会いは打ち合わせではなく本当に偶然のものだった」と振り返った。(NEWSつくばライター)

ゴミ問題ー清掃員から見た景色《ハチドリ暮らし》44

【コラム・山口京子】毎日の暮らし方が抱える問題に気づかされる講座がありました。地球温暖化対策講座「マシンガンズ滝沢と考えるゴミ問題~清掃員から見た景色」(11月15日、取手市環境対策課主催)というタイトルで、講師はお笑い芸人とゴミ清掃員の二足のわらじで注目されているマシンガンズの滝沢秀一氏でした。 講演では、ゴミ清掃員を職業とするきっかけから始まり、現在のゴミに対する考えを披露してくれました。印象的だった言葉がいくつかあります。 「ゴミはウソをつかない」。ゴミは生活の縮図であり、ゴミを出す人のお金の使い方、こだわり、し好品などが見える。人間の欲がゴミに現れる―と。栄養ドリンクや様々飲料缶、段ボールや紙ゴミ、ペットボトル、衣類、食品など。新米の時期になると古米が出され、食べられるジャガイモが大量に捨てられている映像には、会場から驚きの声が上がりました。 「中央最終処分場の寿命はあと23~24年」。最終処分場という言葉を初めて聞きました。自分が出したゴミが最後にどこに置かれるのかなど、考えたことがありません。そのあとはどうなるのかなど考えず、何気なく暮らしている。この暮らし方は持続可能ではないのかも…。 ペットボトルが増え過ぎている 「人間がそのモノをゴミと思った時にゴミとなる」。ゴミは可燃ゴミと不燃ゴミの二つに分かれます。滝沢さんは、ゴミを資源物として活用する3R(リデュース、リユース、リサイクル)に、リスペクトのRを加えます。ゴミ処理に携わる人への敬意を抱くことは、ゴミの出し方を変えていくになるでしょう。 「ペットボトルが増え過ぎている」。日本ではペットボトルが年262億本も生産され、その93%は回収されているものの、7%は行方不明で、0.1%が川に流されているそうです。プラスチック製品の利便性は生活に浸透しています。ペットボトルは、日常生活に当たり前のものになっています。 一方で、プラスチックごみの海洋汚染や、生物への悪影響を懸念する声が広がっています。この12月にプラスチックごみを規制する条約が作成されるはずでしたが、合意に至らなかったと新聞で知りました。今後の動きに注目したいと思います。(消費生活アドバイザー)

同じ毎日《続・平熱日記》171

【コラム・斉藤裕之】相変わらず、4時前にすぐ近くの公園に犬のパクと散歩に出る。暖かい秋が終わって、やっと寒くなった夜空は透き通っていて、これを絵に描くとしたら何色を混ぜたらいいのかと考える。 年賀状をやめた。お祭りにカッパやうなぎの山車を作って繰り出すのもやめた。軽トラの荷台で石窯ピザを焼くのもやめた。駅前にイルミネーションを飾るのもやめた。子供や大人に絵を教えるのもやめた。 コロナのことがあったり、少し年をとったという理由もあるのだけれども、それ以上に目に見えない流れというか、いろんなことをやめるべくしてやめたようにも思えてくる。 つまりは、「汝、いらぬことをせずに絵を描くがよし!」という神のご配慮なのかと受け止めることもできたが、結局、「いらぬことをする」ことが絵を描くモチベーションとなっている私にとって、絵だけを描いているほど退屈な日々はない。 閑話休題。他人の絵はできるだけ見ないようにしている。でも、近所でやっている美術展は散歩がてら毎年見に行く。知り合いの絵描きさんも多く出品している美術展で、大きくて力の入った絵が展示してある。経歴も技量もある、それぞれがそれぞれの思いで描いた絵。 翻って、アトリエのテーブルの上には名刺ほどの大きさの絵がいっぱい並んでいる。我ながら、随分ニッチな絵を描くようになってしまったと思う。8月の始めに斜め向かいのお宅からいただいたイチジクを描いた絵や夏の故郷の海の風景。毎年描いているくずの花に今年も挑んでみた。描きかけの観覧車、今年初めて庭に実ったムベの絵…。 暖かい焙煎室に移しましたよ 気が付くと、特に何というわけでもないのにスマホの画面を見るようになってしまった。そろそろSNSもやめようか。 おや、牛久シャトーが新たに発泡酒を出すので、そのラベルデザインを公募しているというページが出てきた。応募する気はもちろんないが、シャトーの日本遺産登録にはカミさんも関わっていたこともあって、ちょっと気になる。だから紙粘土でシャトーをこさえて描くことにした。 後日、描き終わった牛久シャトーの絵をなじみのカフェの壁に架けに行った。「暖かい焙煎室に移しましたよ」。マスターの言葉に促されて焙煎室をのぞくと、カミさんが大切にしていた背丈ほどのコーヒーの木が艶やかな葉をつけて立っていた。 「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水のあらず…」なんて思ったりする人はすごいなあ。私なぞは川を見て釣れる魚がいるかどうかぐらいしか興味ないけど。星を見上げながらそんなことを考える。 パクは毎朝同じところを歩いて、同じ所で用を足し、同じように白くて長い尻尾を振っている。最近、同じ毎日がありがたいと思い始めた。(画家)