【コラム・平野国美】前回コラム(10月16日掲載)で、「ひきこもり」の原因として家屋構造を取り上げ、思春期における子供部屋の意味合いについて書きました。このほかに、家屋と町並みの関係もあると思います。
私が訪問診療をしているこの20年の間に消えていったものが、いくつかあります。例えば、縁側や垣根といった家屋構造は消えました。今、訪問先の患者さん宅で、道路から垣根越しに、縁側や応接室が見えるお宅があります。この家では、いつの間にかご近所さんが訪れて縁側で話し出すのです。
お話を伺うと、約束までして来るものではないとか、チャイムを鳴らしてまで訪れるものではないとか、玄関から入るほどの用があるわけでもないから、縁側で十分なのだと話されます。見ていると、散歩中の知人を見つけて呼び入れ、お茶が提供され、自然と会話が始まります。
こんな昭和の風景は消えました。どこもマンションやアパートが並び、門柱の表札も消えました。よく言えばプライバシーの保護ですが、隣人の名前も家族構成も、全くわからない状況となりました。
昔の住宅では、8畳間で暮らす家族との接触を断つことは不可能でした。近所とのコミュニティにしても、垣根といった外部との曖昧な境界によってつながっていました。子育てにしても、地域で育てる流れがあったと思うのです。
時代の変化も大きく影響
数年前、ある女性がお葬式で故郷に帰るというので、ご親戚に不幸があったのか?と尋ねると、自分が育った商店街のおばちゃんの葬式と言うのです。「私の実家は商売で忙しく、おばあちゃんの店に行って、アヤ取りを教わったり、昼ごはんもご馳走になっていました。お葬式も行くのが当たり前じゃないですか」と。
最近の研修医を診療先のお宅に行かせると、困惑の表情を浮かべることがあります。どこに座ったらいいのか、なにを話したらいいのか、迷ってしまうというのです。どうしてかと聞くと、子どものころ、ご近所や他人宅に行った経験があまりないようなのです。こういった状況が「ひきこもり」とまではいかなくても、コミュニケーション能力不足につながっているようです。
駄菓子屋のおばちゃんをおだててオマケをしてもらうとかが、コミュニケーション能力の上達に役立ったと思うのです。チェーンの飲食店が少なかった時代、大衆食堂や喫茶店も、食べる以外に誰かと会話をする場所でした。「ひきこもり」には、こんな時代の変化も大きく影響しているのではないかと思うのです。(訪問診療医師)