金曜日, 11月 7, 2025
ホームつくば蚕影山神社と金色姫伝説 養蚕が支えた千年の営み思う絵画展

蚕影山神社と金色姫伝説 養蚕が支えた千年の営み思う絵画展

11月1日からつくばで

養蚕にまつわる歴史を調べ、関わる地域で見た風景を独特の作風でキャンバスに描き込む東京都町田市在住の画家、加藤真史さん(41)の個展「穹窿(きゅうりゅう)航路ー蚕神、彼の地より来訪し桑海を渡り帰還す」が、つくば市千現、ギャラリーネオ/センシュウで11月1日から始まる。横浜市と相模原市に続く3カ所目の開催となる巡回展で、アクリル絵の具や色鉛筆で描いた作品15点ほどが展示される。茨城に残る養蚕にまつわる「金色姫伝説」と、全国の養蚕農家の信仰を集めたつくば市神郡にある「蚕影山(こかげさん)神社」の歴史などを通じて、養蚕が支えた千年以上にわたる人々の営みに思いを寄せる展示になる。

加藤さんは今回の作品作りのきっかけを、かつて関東一円で栄えた養蚕地をつなぐ街道を「シルクロード(絹の道)」と呼んだのを知ったことだと話す。江戸末期から第二次大戦末期にかけて、各地で作られた生糸は東京・八王子市に集められ、貿易港のある横浜市へと運ばれた。養蚕業は明治期、外貨獲得のため国を挙げて進められ、産業に関わる一帯は経済的に繁栄し、近代化する日本を支えてきた。しかしその後、ナイロン製品の普及などにより衰退し、1929年に約220万戸を数えた養蚕農家は、2023年には全国で146戸にまで減少している。

展示作品の一つ「郊外の果てへの旅と帰還#15(横浜本牧八王子鼻)」(加藤さん提供)

「郊外」の広がりと、消える養蚕のある風景

加藤さんは以前から、自身が暮らす街の成り立ちに関心を持ってきた。瀬戸物の産地として知られる出身地の愛知県瀬戸市は、歴史ある街並みが残る一方で、加藤さんが育った地域には、コンビニやファミリーレストランが国道沿いに並ぶ「どこにでもあるような、いわゆる郊外風景」だった。加藤さんは、故郷で見る風景が、全国で同じように広がることに疑問を感じ、各地の歴史を紐解きながら「郊外」について考えることが作品作りの大きなテーマとなった。養蚕にまつわる今回の作品は、加藤さんが2022年から作り続ける「郊外」を巡るシリーズ作「郊外の果てへの旅と帰還」の一環でもある。

「『郊外風景』は敗戦後、都市部の住宅不足から、国が団地を建てて周辺地域に人々を誘導してできたもの」だと加藤さんは説明する。「外貨獲得のために国策として拡大したのが養蚕業。桑畑が一面に広がる風景が各地にあったが、養蚕業の衰退とともに『郊外』が台頭した。各地を歩いて実感したのは、日本中で桑畑が『郊外住宅』に置き換わっていった歴史だった」と語る。

インドとつくばをつなぐ伝説

こうした養蚕と郊外の関係を調べる中で出会ったのが、各地に点在し、養蚕農家が信仰する「蚕影神社」と、その総本社でつくば市にある「蚕影山神社」だ。さらに、現在のインドにあたる天竺(てんじく)とつくばを養蚕にまつわる物語が結ぶ「金色姫伝説」の存在だった。伝説は、金色姫という天竺の王女が現在の日立市沿岸に流れ着き命を落とすと亡骸が蚕となり、筑波山の麓にたどり着いて養蚕が始まったというものだ。加藤さんは、養蚕の「創世記」となる伝説と、近代日本の起こりとなる「シルクロード」の物語を結びつけ、今回の絵画作品とした。

「国を支える主要産業として、多くの人が関わった養蚕業だが、開発が進みその痕跡を見つけるのも難しくなった。養蚕に携わる中で共有されていた文化や、劣悪な環境で働いていた女性の存在を知った。労働するにあたって必要とされた心の拠り所、信仰というものがあったはず」だと加藤さんは言い、「養蚕業に携わってきた多くの人々の内面を、私の個人的な作品を通じて見る人につなげる橋渡しにしたい」と作品への思いを語る。

今回の展示を企画した同ギャリーの山中周子さんは「筑波山麓の方は、蚕を『お蚕さん』と、『お』をつけるくらい養蚕を生きる糧にし、強い思いを持っていた。全国からつくばに関係者が参拝に来ていたという話も残っている。知らない人には知って欲しいし、知ってる人にも是非、新しい気持ちで作品を知って欲しい」と来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆加藤真史個展「穹窿航路ー蚕神、彼の地より来訪し桑海を渡り帰還すー第Ⅲ期 筑波巡礼篇」は、11月1日(金)~17日(日)の金・土・日曜、千現1-23-4 101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。月~木曜は休館。開館時間は金曜が午後3~7時、土日は午後1~5時まで。入場無料。展示に関する問い合わせは、メール(info@neotsukuba.com)で。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

筑波技術大で壮行会 東京2025デフリンピック 15日開幕

学生、卒業生17選手が出場 聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が15日開幕するのを前に、聴覚障害者らが学ぶ筑波技術大学 天久保キャンパス(つくば市天久保)で5日、壮行会が開かれた。同大からは学生6人と卒業生11人が選手として出場するほか、開閉会式のパフォーマンスに学生2人、ボランティアのサポートスタッフとして学生108人が参加する。 大会に出場する同大選手は▽ハンドボール=林遼哉(4年)▽テコンドー=星野萌(4年)▽バレーボール=大坪周平(4年)▽陸上=中村大地(2年)▽バドミントン=沼倉昌明(大学院)、沼倉千紘(同)の6選手。ほかに開閉会式のパフォーマーとして伊東咲良さん(3年)、瀧澤優さん(2年)の2人が参加する。バドミントンの沼倉昌明選手は男子ダブルスでメダルが期待されているという。 サポートスタッフとして参加するのは、聴覚障害者が学ぶ産業技術学部の学生108人で、同学部学生の約半数に及ぶ。108人は大会期間の15~26日の12日間、4グループに分かれて、大会運営拠点となる国立オリンピック記念青少年総合センターに泊まり込み、選手らのサポート、受付、案内、誘導などを実施する。同大は大会期間中、同学部の授業を休講にして学生らを応援する。 壮行会には大会に出場する選手のほか、サポートスタッフとして参加する学生らが参加。石原保志学長は「選手として、パフォーマーとして、ボランティアとして参加する皆を応援している。世界中の人と交流して視野を広げてほしい」などとあいさつした。 壮行会にはいずれも4年でバレーボールの大坪選手(22)、ハンドボールの林選手(21)、テコンドーの星野選手(21)と、卒業生でサッカーの岩渕亜依選手(32)、ハンドボールの小林優太選手(2選手が参加した。 テコンドーの4年、星野選手は「今まで同じ障害の人と練習したり対戦する機会がなく、孤独を感じることもあったが、大学の友達や先生方が支えてくれた。見てくれる人の目に留まるような最高のパフォーマンスをして、テコンドーを知らない人にも魅力を伝えられたら」と話した。 男子ハンドボールのキャプテンを務める卒業生の小林選手は「日本のデフハンドボールは筑波技術大のサークルから始まった。毎週木曜とか土曜の夜に練習して、2人しか集まらずキャッチボールをして終わった日もあった。卒業して東京でデフハンドボールチームをつくり、社会人チームと試合をして実力を付けた。個人的には24年と25年に右膝と左膝をそれぞれ負傷し、スポーツに対する熱意を消失し一人で泣いてしまうこともあったが、出来ないことは誰かがカバーしてくれるなどチームスポーツの素晴らしさを改めて感じ、自分のできることを頑張ればチームに還元することができると思えるようになった。(大会は)まずは一勝し、デフリンピックの祭典を楽しみたい」などと話した。 デフリンピックは、ろう者による国際スポーツ大会で、1924年にフランスのパリで第1回大会が始まって以来、4年に一度、夏季と冬季大会が開催されている。2025年は100周年記念となる25回目の大会で、初めて東京で開催される。期間は11月15日から26日まで12日間。世界70~80カ国・地域から、約6000人の選手と関係者が参加し、21競技が東京体育館、駒沢オリンピック公園総合運動場など19会場で実施される。大会エンブレムのデザインは同大の卒業生、多田伊吹さんが考案した。(鈴木宏子)

「鉄道がもつ物語性を美しく見せたい」 せきごうさん写真展

6日から土浦 土浦市在住の映像ディレクター兼写真家、せきごうさんの写真展「てつの遠音~ちょっとだけ鉄路のある風景」が6日から9日まで、土浦駅西口前のアルカス土浦1階、土浦市民ギャラリーで開かれる。展示作品は35点。常磐線および県内の各路線のほか、近県のレトロなローカル線なども幅広く撮り歩いている。 荒川線から広がる話題 作品「バラ色の路面電車」で、せきさんが取り上げたのは都電荒川線。荒川区は40年ほど前からバラを使った緑化運動に取り組んでおり、撮影地の荒川2丁目停車場付近では、線路沿いに整備された花壇にさまざまな種類のバラが咲き誇る。「バラの花にカメラを向けるとその奥に、ゴトンゴトンと音を立てながら都電がゆっくりとフレームに入ってくる。近くで撮ってもいかめしい感じにならないのが都電のいいところ」とせきさん。 近くには1922(大正11)年に開業した日本初の近代下水処理施設の三河島水再生センターと、それに隣接する荒川自然公園があり、見学や散策にも適している。「現在の荒川区は実は荒川に接していない。ここに流れる隅田川の元の名前が荒川で、千住の北側に掘られた運河が荒川と名付けられてから、隅田川と呼ばれるようになった」との豆知識も、電車自体よりも地域の歴史や文化の方に興味が深いせきさんらしい。 過去へとはせる思い 「車両そのものを見せる鉄道写真ではなく、鉄道が持つ物語性を写真で美しく見せたい」との考えで、地元である土浦周辺で撮った作品にもそうした姿勢が見てとれる。例えば「懐かしさへのカーブ」では、常磐線下り電車がまもなく土浦駅へ到達する直前を、満開のサクラと共にとらえた。「小松の高台から緩いカーブを描いて下りてきて、切り通しを抜けて突然風景が広がるとき、はっとすると同時に町へ帰ってきた実感がわく。蒸気機関車の時代はこの坂を単機で登るのが難しく、最後尾に機関車がもう1機付いて押して登り、坂の上で切り離してバックで戻ってきたそうだ。その話を聞いて、ああ、見たかったなあと痛切に思う」 「蓮田(はすだ)と電車基地」では、生産量日本一と言われる土浦の蓮田の夕焼けに染まった雄大な景色と、その奥に連なる電車の窓明かりを捉えながら、いつしか話は被写体を離れ、この車両基地の場所が戦国時代の木田余城の跡地であることや、その本家筋に当たる小田城の末路にまで続いていく。 県内から近県まで網羅 県内は常磐線を筆頭に水戸線、水郡線、鹿島線、竜ケ崎線、常総線、鹿島臨海鉄道、ひたちなか海浜鉄道などひと通りを押さえ、近県では千葉、東京、神奈川まで足を伸ばしている。特に真岡鉄道や銚子電鉄など小さなローカル線に心引かれるそうだ。「流山鉄道も非常に魅力的。窓口では硬券の切符を買って鋏(はさみ)を入れてもらうことができる。すぐ近くをつくばエクスプレスのような最新型の電車が走る一方で、こういう昔のままの鉄道が経営できていることに驚嘆する」 作品の中には前著「平成土浦百景」や「北浦・霞ケ浦百景」で発表したものも含まれている。湖をテーマに撮影していても「もう少し先へ行くと鉄橋があったな」などと、鉄道が風景の一部やランドマークとして写り込む構図を無意識のうちに考えているという。 ◆せきごう写真展「てつの遠音~ちょっとだけ鉄路のある風景」は11月6日(木)~9日(日)、土浦市大和町1-1、土浦市民ギャラリー内オープンギャラリー4で開催。開館時間は午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)。入場無料。

若い脳はインプット 年を重ねたらアウトプット《続・気軽にSOS》166

【コラム・浅井和幸】悲しいことに、20代を超えると身体的な能力は徐々に衰えていくものです。もちろん、何もしないよりも鍛えたほうが脳も衰えにくいし、成長することもあるでしょう。単純な能力では、50代は20代に心身ともに勝てないものです。しかし、単純な使い方でなく総合的な発揮の仕方では勝てる分野もあるかもしれません。 例えば自動車保険では50代の保険料は安くなります。統計的に交通事故を起こす確率が減るからですね。若い世代は総合的に事故回避能力が高いと言えるでしょう。 10代までは様々な経験を積んで(インプットして)、今後の人生に備える必要があります。脳もそのように出来ており、知的好奇心が発揮されやすい造りになっているそうです。単純な記憶力が中高齢層よりも高いものです。音楽を聞きながら英単語を覚える芸当は、若年層の特権かもしれません。 インプットにたけている若年層は心身の成長に有利ですが、成長とはつまり不安定さとも言えます。毎日が新鮮であることは、この先が見えないという不安につながります。それに対し、先達が安心感を与えることが必要になるのでしょう。 中高齢層も、インプットをおろそかにすると老害を招くことになりかねません。新しい情報も柔軟に受け入れていくことが大切です。しかし、この取り入れが苦手となっていく中、今まで学んできたことを再構築してアウトプット、表現することにたけた脳を生かしましょう。 たくさん学習の機会をつくる 「記憶」とか「物忘れ」とかの言葉を使うとき、どのようなイメージを持っているでしょうか。言葉などが出て来ない=記憶力が悪いと表現されますが、それは記憶していないのか、記憶しているけれど思い出せないのか、あまり考えたことがないかもしれません。 中高齢層は、思い出すことを練習することで脳の特性を生かせます。表現する方法も、今までのインプットを組み替えて様々なアウトプットができる練習をするとよいと思います。インプットを増やしたい場合は、たくさん学習の機会をつくってください。 表現を豊かに適切に行うことが、自分や周りの目標達成や幸福にプラスになることは間違いありません。せっかく学習した多くの経験を、いつも単純な繰り返しのアウトプットだけではもったいないです。さらには、自分や周りが苦しくなっていくようなアウトプットは残念なことだと私は思います。今よりもよいコミュニティ・家族・自分になるような、そして豊かに楽しくなるようなアウトプットを試行錯誤していきましょう。(精神保健福祉士)

小美玉市の「ひょうたん美術館」《ふるほんや見聞記》10

【コラム・岡田富朗】茨城県小美玉市にある「ひょうたん美術館」(同市小岩戸、大和田裕人館長)は、30年ほど前、初代館長の大和田三五郎氏によって開館しました。4500坪(約1.5ヘクタール)という広大な敷地には、60年の歳月をかけて全国から蒐集された瓢箪(ひょうたん)にまつわる美術品が展示されています。 展示品は江戸時代などの古い時代のものだけでも約1万点にのぼり、皿、掛け軸、火鉢、花籠、徳利(とっくり)など、生活文化の中に息づく瓢箪の姿を見ることができます。その図柄をあしらった火鉢は100点以上にもおよび、今なおコレクションは増え続けているそうです。 天井からはたくさんの瓢箪の水筒がつるされており、その壮観な光景に思わず見入ってしまいます。 世界に広がる瓢箪文化 瓢箪は世界最古の栽培植物のひとつで、原産はアフリカ。世界各地へと広まり、容器や食器、装飾品、楽器など、さまざまな形で人々の暮らしに取り入れられてきました。 展示の中には、アフリカの打楽器「バラフォン」を見ることができます。ハワイのフラダンスで用いられる「イプ」も瓢箪を利用して作られた伝統楽器で、楽器製作用に加工前の瓢箪を求めて来館されるお客様もいるそうです。 館内では、加工用の瓢箪から、ランプシェード、スピーカー、現代作家によるオブジェなど、さまざまに姿を変えた瓢箪の作品も展示・販売されています。 無病息災を願う縁起物 古来、瓢箪は「災いを払う縁起物」として広く親しまれてきました。その理由のひとつが、「六つの瓢箪」で「無病(むびょう)息災」という語呂合わせにあります。戦国時代や江戸時代には、兜(かぶと)や鍔(つば)、根付(ねづけ)などの意匠にも瓢箪の図柄や形が多く用いられ、展示されている兜は印象的でした。 また、歴史上の人物にも瓢箪を愛した人は少なくありません。菅原道真公は大宰府の梅の木の下で瓢酒(ひょうしゅ)を楽しんだと伝わりますし、豊臣秀吉の「千成瓢箪」はあまりにも有名です。水戸の藤田東湖も「瓢や瓢…」の詩を残し、その魅力を詠みました。文人の中にも瓢箪を愛した人がいました。富岡鉄斎が愛用した瓢箪も展示されています。 「ふくべ」とも読まれる瓢箪に、昔も今も、人々は「福」を見出してきたのかもしれません。ひょうたん美術館は、そんな「縁起と美のかたち」に出会える場所です。(ブックセンター・キャンパス店主)