金曜日, 7月 3, 2026
ホームつくば蚕影山神社と金色姫伝説 養蚕が支えた千年の営み思う絵画展

蚕影山神社と金色姫伝説 養蚕が支えた千年の営み思う絵画展

11月1日からつくばで

養蚕にまつわる歴史を調べ、関わる地域で見た風景を独特の作風でキャンバスに描き込む東京都町田市在住の画家、加藤真史さん(41)の個展「穹窿(きゅうりゅう)航路ー蚕神、彼の地より来訪し桑海を渡り帰還す」が、つくば市千現、ギャラリーネオ/センシュウで11月1日から始まる。横浜市と相模原市に続く3カ所目の開催となる巡回展で、アクリル絵の具や色鉛筆で描いた作品15点ほどが展示される。茨城に残る養蚕にまつわる「金色姫伝説」と、全国の養蚕農家の信仰を集めたつくば市神郡にある「蚕影山(こかげさん)神社」の歴史などを通じて、養蚕が支えた千年以上にわたる人々の営みに思いを寄せる展示になる。

加藤さんは今回の作品作りのきっかけを、かつて関東一円で栄えた養蚕地をつなぐ街道を「シルクロード(絹の道)」と呼んだのを知ったことだと話す。江戸末期から第二次大戦末期にかけて、各地で作られた生糸は東京・八王子市に集められ、貿易港のある横浜市へと運ばれた。養蚕業は明治期、外貨獲得のため国を挙げて進められ、産業に関わる一帯は経済的に繁栄し、近代化する日本を支えてきた。しかしその後、ナイロン製品の普及などにより衰退し、1929年に約220万戸を数えた養蚕農家は、2023年には全国で146戸にまで減少している。

展示作品の一つ「郊外の果てへの旅と帰還#15(横浜本牧八王子鼻)」(加藤さん提供)

「郊外」の広がりと、消える養蚕のある風景

加藤さんは以前から、自身が暮らす街の成り立ちに関心を持ってきた。瀬戸物の産地として知られる出身地の愛知県瀬戸市は、歴史ある街並みが残る一方で、加藤さんが育った地域には、コンビニやファミリーレストランが国道沿いに並ぶ「どこにでもあるような、いわゆる郊外風景」だった。加藤さんは、故郷で見る風景が、全国で同じように広がることに疑問を感じ、各地の歴史を紐解きながら「郊外」について考えることが作品作りの大きなテーマとなった。養蚕にまつわる今回の作品は、加藤さんが2022年から作り続ける「郊外」を巡るシリーズ作「郊外の果てへの旅と帰還」の一環でもある。

「『郊外風景』は敗戦後、都市部の住宅不足から、国が団地を建てて周辺地域に人々を誘導してできたもの」だと加藤さんは説明する。「外貨獲得のために国策として拡大したのが養蚕業。桑畑が一面に広がる風景が各地にあったが、養蚕業の衰退とともに『郊外』が台頭した。各地を歩いて実感したのは、日本中で桑畑が『郊外住宅』に置き換わっていった歴史だった」と語る。

インドとつくばをつなぐ伝説

こうした養蚕と郊外の関係を調べる中で出会ったのが、各地に点在し、養蚕農家が信仰する「蚕影神社」と、その総本社でつくば市にある「蚕影山神社」だ。さらに、現在のインドにあたる天竺(てんじく)とつくばを養蚕にまつわる物語が結ぶ「金色姫伝説」の存在だった。伝説は、金色姫という天竺の王女が現在の日立市沿岸に流れ着き命を落とすと亡骸が蚕となり、筑波山の麓にたどり着いて養蚕が始まったというものだ。加藤さんは、養蚕の「創世記」となる伝説と、近代日本の起こりとなる「シルクロード」の物語を結びつけ、今回の絵画作品とした。

「国を支える主要産業として、多くの人が関わった養蚕業だが、開発が進みその痕跡を見つけるのも難しくなった。養蚕に携わる中で共有されていた文化や、劣悪な環境で働いていた女性の存在を知った。労働するにあたって必要とされた心の拠り所、信仰というものがあったはず」だと加藤さんは言い、「養蚕業に携わってきた多くの人々の内面を、私の個人的な作品を通じて見る人につなげる橋渡しにしたい」と作品への思いを語る。

今回の展示を企画した同ギャリーの山中周子さんは「筑波山麓の方は、蚕を『お蚕さん』と、『お』をつけるくらい養蚕を生きる糧にし、強い思いを持っていた。全国からつくばに関係者が参拝に来ていたという話も残っている。知らない人には知って欲しいし、知ってる人にも是非、新しい気持ちで作品を知って欲しい」と来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆加藤真史個展「穹窿航路ー蚕神、彼の地より来訪し桑海を渡り帰還すー第Ⅲ期 筑波巡礼篇」は、11月1日(金)~17日(日)の金・土・日曜、千現1-23-4 101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。月~木曜は休館。開館時間は金曜が午後3~7時、土日は午後1~5時まで。入場無料。展示に関する問い合わせは、メール(info@neotsukuba.com)で。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

中軸不在、伝統の小技と走塁極める 常総学院・島田監督【高校野球展望’26】㊤

第108回全国高校野球選手権茨城大会が7月4日開幕する。今年も、強豪の常総学院と土浦日大の名監督にインタビューした。先頭を飾るのは、茨城県の名門・常総学院高校野球部。長年、県下をけん引してきた同校において、今、指揮官の島田直也監督は「未知の可能性」を秘めたチームと向き合っている。春の県大会では、強豪・土浦日大の前に屈したものの、監督の眼差しは悲観的ではない。中軸不在という課題を抱えながらも、なぜチームは強くなれるのか。投手陣の育成から、現代野球の是非を問うDH(指名打者)制、7回制の議論まで、島田監督の率直な言葉から「常総野球」の現在地をひも解く。 チャレンジャーとして挑む ―まず、春の大会を終え、チームの仕上がりをどう見ていますか。 島田 正直に言えば、過去2年と比べると戦力は劣ります。だからこそ、常に「チャレンジャー」の意識で戦う必要がある。春の反省点は、勝負どころでの得点力不足です。実戦になると練習通りのプレーができないもろさがある。特に投手陣は、「抑えなければならない」という重圧にさいなまれ、ストライク先行の投球ができていない。守備陣が間延びしてしまう悪循環をいかに断ち切るかが、夏の最大のテーマです。 ―過去2年間とは異なる戦い方が求められそうですね。 島田 そうですね。チームに絶対的な中軸打者がいない。だからこそ、本校の伝統である小技と走塁を極めるしかないんです。これに尽きます。ただ、それが完遂できる時とできない時の波が激しい。夏に向けて、これら基本動作の徹底が勝敗を分けるでしょう。 「常総のエース」という重圧に負けてる ―投手陣の課題や、個々の選手の見立てはいかがでしょうか。 島田 自分自身が投手出身なので、投手には人一倍の思いがあります。しかし今の投手たちは「常総学院のエース」というプレッシャーに負けている印象です。「俺が抑えてやる」という強気な姿勢よりも、「抑えなければならない」という受け身の心理が働き、リズムを崩してしまっている。橋元大雅のような高いポテンシャルを持つ選手もいますが、実戦で投げてみないと分からないもろさがあり、現時点では軸として任せきれないのが実情です。 ―チーム全体をまとめる存在として、誰に期待していますか? 島田 現時点では、キャプテンの水口煌太朗を筆頭にチームを鼓舞しようとする姿勢は見られます。ただ、チームがまとまっているのか、それともギクシャクしているのか、実は私にもまだ分からないんです。特徴がないと言えばそれまでですが、裏を返せば、一人ひとりが役割を理解して一つにまとまった時、去年、一昨年のポテンシャル重視のチーム以上の力を発揮できるのではないか、という期待も抱いています。 究極の決断―メンバー選考の苦悩 ―ベンチ入りメンバーを決める際、何を最も重視されていますか。 島田 そこが毎年一番悩むところです。練習内容を日々注視し、「今のチーム状況なら、この場面でこの選手が必要だ」というピースを埋めていく作業です。守備固めや大事な局面でのバント、走塁など、特化した能力を持つ選手であれば当然ベンチに入る可能性があります。 打つだけであれば、仮に4打席4本塁打打てば別ですが、それ以外は確実性が全てです。打てなかったら終わり、という選手をベンチにはおけません。打撃一辺倒ではなく、チームの勝利にどう貢献できるかという役割を全うできるかを見ています。二番手以降の選手がレギュラーを脅かす競争を生み出せるか。そこがこの夏に、チームの真価を問う鍵になるはずです。 君たちが歴史をつくればいい ―常総は夏の甲子園出場から10年遠ざかっています。監督就任から5年、夏の甲子園への思いを聞かせてください。 島田 本校が夏の甲子園に出場することに対して、周囲の期待の大きさを常に感じています。私自身、就任してから春の選抜には二度出場させてもらっていますが、「常総が甲子園に行っている印象がない」と言われてしまいます。それだけ、夏の甲子園が特別だということですよね。 でも何年遠ざかっているかは今の選手には関係のないことであり、選手には「君たちがまた歴史をつくればいい」と常に伝えています。過去の伝統に縛られる必要はない。プレッシャーはすべて監督である私が背負う。選手には、自分たちが新しい歴史をつくるという責任を、前向きな自信に変えて欲しいと思っています。最後は笑って終われる夏にするために、その準備をするのが私の使命だと感じています。 コロナ禍で「一人で完結」に偏ったか ―近年、集まってくる選手たちの傾向に変化はありますか。 島田 以前に比べ、打撃には自信があるものの、守備や走塁をおろそかにする選手が増えてきたと感じます。コロナ禍で満足に集団練習ができない期間が長く、打撃練習のような「自分一人で完結できる練習」に偏ってしまった影響かもしれません。野球は9人でやるものです。守備やキャッチボールのように相手との対話が必要な技術を磨かなければ、本当の意味でのチームにはなれない。今の選手には、打つこと以外でも貢献できる技術を身につける重要性を繰り返し伝えています。 7回制移行には明確に反対 ―春から導入されたDH制や、7回制への移行議論についてどう見ていますか 島田 DH制についてはメリット・デメリットの両面があります。打撃特化型の選手にチャンスが広がる点は良いですが、一方で代走や守備固めといった戦術的な手駒がより多く必要になります。 また、7回制移行には明確に反対です。9イニングという長い物語の中で起こるドラマこそが高校野球の魅力。現場の指導者や選手たちの声を無視して決めるべきではないと感じています。 選手たちへ「強さ」から「チームの力」へ ―夏の大会に向けた展望と、選手への思いを教えてください。 島田 組み合わせ云々よりも、とにかく、目の前の試合を一つずつ集中してやり切ること。それだけです。常総学院という過去の歴史が、選手たちに過度なプレッシャーをかけている側面もあるかもしれません。しかし私が選手に求めるのは、今この瞬間のプレーに魂を込めることです。 練習で培った小技や走塁は、決して裏切りません。個々の能力が未完成でも、チームとしての決まり事を徹底し、全員が同じ方向を向いた時、このチームは大きな化学反応を起こすと信じています。どんな苦しい展開になろうとも、選手一人ひとりが自分の役割を全うし、グラウンドで躍動する姿を期待しています。この夏、彼らが自分たちの力で新しい常総学院の野球を証明してくれることを願っています。 まずは自分たちの野球をやり切ることです。常総学院という看板がある以上、周囲からの期待もプレッシャーも大きい。しかし、過去の伝統をなぞる必要はない。選手には、ただ目の前のプレーに没頭し、最後は笑って終われる夏にしてほしいですね。 力発揮できるよう熱い応援を ―最後に、応援してくださっている皆様へ一言お願いします。 島田 常総学院という看板がある以上、大会では常に注目を集める存在です。多くの方々が期待を寄せ、時には厳しい視線を送ってくださることも承知しています。その期待に応えることこそが、私の使命だと思っています。 選手たちは、OBや地域の皆様の温かい応援を背に受けて戦っています。どうか、彼らが持てる力を発揮できるよう、変わらぬ熱い応援をお願いします。 【取材後記】インタビューを通じて感じたのは、島田監督の「厳しさと慈愛」のバランスだ。中軸不在と評し、選手の個々の未熟さを指摘する言葉の裏には、夏までに何とかして一つにまとめ上げたいという熱い指揮官としての思いがあった。打撃を「水物」と割り切り、小技と守備という「野球の根幹」を強調するスタイルは、伝統ある常総学院が再び甲子園の頂点を目指すための最短ルートなのかもしれない。10年ぶりの選手権大会出場へ。選手たちが監督の信頼に応え、勝利の扉を力強くこじ開けてくれることを期待したい。(伊達康)

バイシクル・ダイアリーズ ⑶《ことばのおはなし》94

【コラム・山口絹記】前回記事では、譲り受けたロードバイクで筑波山に登ってみることを思いついたところまで書いた。そして、この記事を書いている今、私はひとり佐賀県のホテルに輪行袋に入ったロードバイクと共に宿泊している。執筆ペースが現実に追いついていないので意味がわからないと思うが、私自身もどうしてこうなったのかよくわかっていない。このおはなしはまたいつかということで、話を戻そう。 筑波山をロードバイクで登ってみようと思いついたのはよいものの、いきなり山道をロードバイクで駆け上がる自分の姿は全くイメージできない。なんなら家の近くの洞峰公園を走るだけでも腕が疲労でしびれてしまう(ロードバイクはコツをつかむまで脚以外にもさまざまな部位に負担がかかるのだ)始末である。 そこで、以前より計画していた那須への家族旅行にロードバイクを連れていくことにした。ロードバイクは比較的簡単にタイヤを外して小さくできるはずなのだが、そのときの私にはタイヤを外すような技術はなかったので、車の後ろの座席を倒してそのままつっこみ出発した。 那須に到着した次の日。ショルダーバッグにカメラを詰め込み、朝からさっそく宿泊地の近所で爽やかなサイクリングを楽しんでいたのだが、地図を見ていると以前家族で行ったことのある那須どうぶつ王国まで20キロの距離であることに気が付いた。往復40キロならちょうどよいトレーニングではなかろうか? 出発前日に買ったばかりのサイコン(GPSで走行した道や速度、標高などを記録しておける機器)の電源を入れて私は走り出した。 全然、前に進まない… ロードバイクという乗り物は始めたばかりの初心者でも、時速20キロくらいは楽に出せる乗り物だ。これなら2時間程度で戻ってこられるかもしれない。天気は快晴で涼しさが心地よい。最高の気分で10キロほど走ったあたりで、私は異変に気が付いた。全然前に進まないのである。タイヤのパンクか?と降りて確かめるも、どこにも異常はない。 もう一度バイクにまたがってペダルを踏みこんでみるが、やはりペダルが重い。そしてようやく異変の原因に気が付いた。道がわずかに傾斜しているのだ。 徒歩や車では気にならない程度の坂道が、バイクでは明らかな負荷となるらしい。もしかして、ここから10キロずっと登坂? 以前、どうぶつ王国に行ったときは車だったので、どんな道だったのか全く記憶がない。いやしかし、行きが登りなら帰りは下りだ。頑張ればなんとかなるだろう、と軽い気持ちで再び走り出した私はその後、人生初のヒルクライムに挑戦することになる。(言語研究者)

「友達が少ない」は悪口になるか?《続・気軽にSOS》173

【コラム・浅井和幸】「だから、お前は友達が少ないんだよ」が悪口になるかと聞かれたら、私は「悪口として成立することが多いでしょうね」と答えます。どうして悪口になるかというと、一般的に「友達が多いことがよい」という価値観が優勢だからです。その上で、「友達が少ないのはコミュニケーションや人間性に悪いところがある」と補足します。 「悪口として成立することが多い」と表現しましが、いつでもどこでも悪口になるとは限らない」と思うからです。友達が少ないことのメリットを知っている相手には、悪口としての意味を持たないからです。 友達が少ないことのメリットとは何でしょう? お金や時間を自分のために使える、人間関係でのストレスが比較的少ない―などが挙げられるでしょう。それらによって、自分自身の決断力や思考力が向上し、より深い人間関係が築けるかもしれません。 私が言いたいのは、「一般的」とか「普通」といった価値観での悪口に振り回されず、それぞれの方の価値観や目的を大切にしようということです。 「浅井って変なやつ」は褒め言葉 私たちは社会的な生き物なので、どうしても多数と思われる価値観に引きずられます。自分が目指していること、面白いあるいは素晴らしいと思うこととは別の方向に向かってしまいやすいものです。 場合によっては、自分自身のために望まないこともする必要もあるでしょう。でも、それと自分の目的ではない方向に進むことは、まったく別ものです。今すぐ答えを出さなくてもよいので、自分が向かいたい方向を考えてください。 今すぐ答えを出す必要もないし、もし答えが出たとしても、その答えに縛られる必要もありません。自分が望むように変更すればよいのです。見つからなければ、いろいろ試してみればよいです。 私は楽しい人生を目的に生きていますが、皆さんも何か見つかるとよいいですね。「浅井って変なやつ、変わったやつだよね」といった言葉は、私にとって褒め言葉です。(精神保健福祉士)

医療福祉の専門学校と専門職大学を経営する戸谷さん【キーパーソン】

戸谷聰子さん(79)が理事長をしている学校法人筑波学園(土浦市湖北)が経営するアール医療専門職大学とアール医療福祉専門学校は、土浦市内を流れる新川のほとりにある。校舎の近くを車で通るたび、校名のアールとは何なのだろうと思っていた。そこで両校の成り立ちを聞きに行ったところ、スクラップ(廃止)&ビルド(新設)を繰り返して今の形になったことも分かった。 設立2年後に引き継ぐ アール医療専門職大学には、理学療法学科と作業療法学科がある。いずれも、大病院などでリハビリテーションの仕事に就く専門職を養成する学科だ。また、アール医療福祉専門学校は、看護学科(看護師の養成)、介護福祉学科(介護福祉士の養成)、日本語学科(留学生の日本語習得支援)、総合ビジネス学科(各種仕事の基礎を教育)で構成されている。 1985年、税理士だった夫が情報ビジネス専門学校を設立したのが筑波学園のスタートだった。ところが、学校設立から2年後に死去。妻の戸谷さんが学園運営を引き継ぎ、それから40年近く、理事長を務めてきた。この間、世の流れを鋭く読み、学校や学科のスクラップとビルドを進めた。機を見るに敏な経営者だ。 機敏なスクラップ&ビルド 「最初の情報ビジネス学校には約800人入ったが、1995年後ごろから減り始めた。そこで、2000年から介護保険が始まることを知り、1998年に福祉専門学校を設立し、介護福祉学科を設置した」「そのうち、大病院のリハビリ専門職が不足していると聞き、2001年に理学療法と作業療法を教える2学科を設けた」「さらに、2017年に専門職大学法が成立したことを受け、2022年に同法に基づく専門職大学を設立し、専門学校のリハビリ2学科を専門職大学に移行した」 新しい制度(介護保険、専門職大学)に機敏に反応、職業ニーズ(介護職、リハビリ職)にうまく対応するビルドと言える。スクラップの方はどうか? 創業の情報ビジネス専門学校を2021年に廃止し、まだニーズがある学科は医療福祉専門学校に移管した。2025年には、「IT化によって病院受付と医療事務員の採用が減る」と読み、専門学校の医療事務学科の学生募集を止めた。 Rをカタカナにした校名に変更 校名にアールを付けた理由が面白い。「市内には、土浦情報経理…とか、筑波研究学園…といった名称の専門学校がある。私のところ(創業時は筑波情報ビジネス専門学校)をPRするために高校を訪れると、他の専門学校と区別できないと言われた。そこで、うちの学校をよく覚えてもらおうと、1998年、アルファベットのRをカタカナにし、アイウエオのアで始まる校名に変えた。外国資本でも入ったの?と聞かれたけれど…(笑い)」 Rのイメージについて、ホームページには「『アール』は曲線・曲面を意味し、様々な生命を抱く地球の丸さを連想させます。『アール』には、地球上で、やさしい心でひとつにつながりながら、人々に貢献してゆける人材を育てたいという願いが込められています」と記載されている。 【とや・としこ】1969年、明治大学政治経済学部卒、光村印刷(東証上場会社)入社。71年に同社を退職し、夫が経営する戸谷税務会計事務所(土浦市)の仕事を手伝う。夫の死去に伴い、1987年から学校法人筑波学園理事長。1946年、常陸太田市生まれ。高校卒業後、父のサツマ芋事業の関係で土浦市に転居。土浦市在住。 【インタビュー後記】専門職大学開学から4年たち、今年から文科省の補助金が支給される。これで専門職大学は完全に軌道に乗る。次のビルドを聞くと、学校法人の蓄えの一部を基金にし、財団法人の設立を考えているという。その事業は①子どものスポーツ振興②地域緑化の手伝い③苦学生への奨学金支給―など。NPOメディアの運営者として、戸谷さんの新たな挑戦を見守りたい。(経済ジャーナリスト、坂本栄)