【コラム・オダギ秀】写真を撮る仕事をしていると、さまざまなことを知ることができた。えっ、こんなことがあるのか、こんなものがあるのか、と。
まゆで作る花があり、美しいものだと知ったのも、そんな仕事を通じてだった。「まゆ」とは、かつて絹布を作っていた蚕(カイコ)という小さな生き物が作る生糸の材料となる小指の先ほどのもので、人間はそれをほどいて糸にし、絹布を織った。かつての日本は、その大産地であったが、現在はゼロに近い。
ある日、ボクはその蚕のまゆで作った「まゆの花」を目にし、その作者に取材を申し込んだ。その自宅にしばらく通い、たくさんの作品を見て、養蚕業のことや桑の木のこと、蚕のことを知った。現在は全国にも数えるほどとなった養蚕農家だが、かつては茨城にもそこここに桑畑があった。
一面の桑畑風景は珍しくなかった。桑の木は10数メートル高に育つそうだが、手の届く範囲に育てるのが当然だったから、現在、畑の隅などで高々と伸びている桑の木は、桑畑の名残なのかも知れない。かつては、土浦や茨城にも、養蚕を研究する公的機関があったが、その存在を覚えている人も少なくなった。
桑畑は一面に広がっていて、桑の木の畑とはそんなものだと思っていた。美しい農村の風景だった。
気が抜けないの
初めて訪ねた日、農家の主婦の彼女は自宅に見当たらない。しばらく待つと、やがて彼女は、桑の木を山のように背負って帰ってきた。柔らかい葉が茂った桑の木の枝先を、蚕の餌に採ってきたのだった。「毎日、2、3度ぐらい桑の葉をあげないと、間に合わないんです」と、案内された蚕室で彼女は笑った。
蚕室には、一面が白く見えるほど、芋虫のような蚕がうごめいていて、ザワザワという音が聞こえるほど桑の葉を食べていた。
ボクは、まゆの花を撮ることで蚕の生態や、桑の木のこと、養蚕業がいかに厳しいか、その現状も知った。いずれも、それでどうということもなかったが、人間が、生き物の命から多くのものを得、多くのことを学んできたことを自分に取り込むことができた。「生き物を育てているから、少しも気が抜けないの。子育てと同じね」と彼女は笑っていた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)