水曜日, 12月 31, 2025
ホームつくば「つながり」テーマに現代社会を可視化 若手写真家ら11人が作品展

「つながり」テーマに現代社会を可視化 若手写真家ら11人が作品展

県つくば美術館

「つながり」をテーマに、災いや病、故郷と家族、人間と土地の営みなど、現代社会が生み出す課題と向き合う若手作家ら11人による作品展「ヴィジュアル・コミュニケーション展2024 リレイト:ここではないどこかで」が、8日から県つくば美術館(つくば市吾妻)で始まった。今年で8回目の開催で、写真を中心とした映像作品や立体物など約50点が展示されている。

何気ない風景に対立の歴史

都内在住の写真家、吉野絢人さん(23)は、都内や周辺地域にある「境界未定地」をテーマにした写真作品「リフレーミング」を展示する。展示スペースの中央に並ぶ2点の写真は、水辺に茂る木々を池の両岸から写したものだ。一見、どこにでもある穏やかな景色に見えるが、この池は東京都と埼玉県の境にあり、境界線が決まらない「境界未確定地」なのだという。東京都側の都立水元公園(同都葛飾区)と、埼玉県側の県営みさと公園(同県三郷市)の間に挟まれた「小合溜井(こあいためい)」と呼ばれる池で、江戸時代、8代将軍の徳川吉宗が、農業用の水を貯めおくために造らせた。完成当時から両岸の住民の間で境界を巡り対立が続き、互いの主張が折り合わずに現在に至っている。近年は、葛飾区と三郷市の間で締結された管理協定により水面管理が行われているという。

争いごとを抱えていることなど知らずに、何気なく見てきた風景が、対立の歴史の中にあることへの驚きが、一連の作品の出発点になったと吉野さんは話す。その他、東京都大田区と江東区の間で境界が未確定の「中央防波堤埋立地」、東京都と千葉県の間で協議が続く旧江戸川の河口、現在も住所がない有楽町駅前にある商業施設「銀座インズ」の一帯などを写した作品が並ぶ。

吉野さんは「境界地を撮影し、複雑で曖昧な境界線のあり方を提示した。境界線や差異を乗り越え、両者の関係性を捉え直し、共に生きる方法を模索した」とし、「どの場所も、目に見える形で争いがないということがテーマに取り組むきっかけになった。今後は、日本各地、国と国の境界にも関心を持っていきたい」と話す。

「交換可能な風景」もふるさとに

高田憲嗣さんの作品「メモリーズ 僕たちの平成/令和の原風景」

デザイナーで兵庫県在住の高田憲嗣さん(30)が、埼玉県在住の勝見知周さんと制作したのが、写真と立体物による「メモリーズ 僕たちの平成/令和の原風景」だ。高田さんは、「交換可能な風景」と揶揄(やゆ)される、赤や黄、青など原色が彩るドラッグストアーやファミリーレストランの看板が並ぶ、郊外の国道沿いの風景を「唯一無二の心のふるさと」と感じる人たちがいると話す。自身も郊外出身だという高田さんは「田舎に行くと、どこに行っても同じ風景があると批判的に言われるが、ちょっと待てよと思った。その土地の人にとっては、そこでの出来事こそが故郷の思い出、原風景となり、自分の思い出とも重なる」と作品作りの動機を語る。被写体に選んだのは、チェーン店が増え始めた平成初期に青年期を過ごした30代から40代の人物が中心だ。それぞれが、部活帰りに友人と過ごしたファミリーレストランや、子どもの頃に胸をときめかせて通ったファストフード店での楽しかったり切なかったりする思い出話を、高田さんによる明るいポップなデザインで写真と共に作品に仕上げている。

東京都在住の写真家、横井るつさん(23)は、コンクリート壁や床、草が茂る地面にプロジェクターで投影した人肌や体の一部の写真を、カメラで再撮影した映像作品「フムス」を展示する。ラテン語で「地面」「大地」を意味するタイトルで、横井さん自身が都市での暮らしで感じることができずにいた自然とのつながりを再認識する試みだと話す。「本来、人間も動物も、人生が終わったら土に帰っていくもの。東京で生きてきて、地球で生きているのにこの循環を感じられなかった。人の体を映写し、都会に体を染み込ませることができないかと考えた。土葬のイメージもある」と語る。

ほかに、沖縄の与那国島に数年間通い、土地の死生観を表現した野口哲司さんの「ユノリ」や、自身の病に向き合う根岸雄大さんの「メイト」、認知症の祖母の過去と現在に向き合う都築真歩さんの「来し方行く末」、コロナ禍で突きつけられた日常と非日常の境界に独自の視点で向き合う熊万葉さんの「アウト オブ タッチ」などが展示されている。

分断をつなぎ直したい

主催団体「ビジュアルコミュニケーション研究会」の代表で、市内在住の写真家、田嵜裕季子さんは「現在の社会では、国や地域間での戦争だけでなく、SNS上など様々な場所で対立が起きている。問題を二元論で捉えて分断してしまう考え方をつなぎ直す必要がある。サブタイトルの『ここではないどこか』には、誰もがここではないどこかでつながっているという思いを込めた。一見、つながっていないように見えている人や問題も、根っこではつながっていることを感じてもらいたい」とし、「作品を通じて人と人、作品と鑑賞者などのつながりが生まれる展示になれば」と語った。(柴田大輔)

◆「ヴィジュアル・コミュニケーション展2024 リレイト:ここではないどこかで」は14日(月)まで、つくば市吾妻2-8、県つくば美術館で開催。開館時間は午前9時30分から午後5時(最終日は午後3時まで)。13日(日)午前10時30分からキュレーターの菊田樹子さんを招いてギャラリートークを開催。いずれも入場無料。イベントの詳細は、ビジュアルコミュニケーション研究会の公式サイトへ。

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