【コラム・田口哲郎】
前略
阿見町の人口が5万人を超えたというニュースがありました。コロナ禍以降の地方移住の機運もあって、阿見町の新たな住宅地としての魅力が発見されたのでしょう。あみプレミアムアウトレットが15年前に開業し、徐々に知名度を上げていたところに、二所ノ関部屋もでき、有名になったと思います。最近は、荒川本郷にホームセンターのカインズ、スーパーマーケットのベイシアがオープンして、ますます郊外都市としての機能が充実しつつあると感じます。
先日、アウトレットのフードコートの一角に、阿見町のPRスペースがあるのを見つけました。阿見町の魅力を伝えるパンフレットなどが置いてあるのですが、そこには阿見町の公式マスコット「あみっぺ」のぬいぐるみもありました。
「あみっぺ」は冒険が大好きな男の子らしいのですが、見た目は白いネコのような風貌(ふうぼう)です。飛行帽とゴーグルをしています。これは、かつてあった予科練の海軍飛行予科訓練生のイメージかと思ったのですが、1929年に霞ケ浦飛行場に飛来した巨大飛行船ツェッペリン号を想起させるものなのかもしれません。「あみっぺ」は飛行船ウォーターメロン号で世界中を飛び回り、阿見町をアピールしているそうです。
予科練平和記念館が伝えるもの
こうして見ると、阿見町は旧海軍の霞ケ浦飛行場があったため、飛行船や航空隊とつながりが深いですね。その中心的施設はやはり予科練平和記念館でしょう。予科練では14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をしたそうです。終戦までの15年間で約2万4000人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9000人に上ったそうです。
パリ五輪で銅メダルを獲得した卓球の早田ひな選手が鹿児島の知覧特攻平和会館に行きたいと発言したことがニュースになりましたが、特攻に関係する施設が阿見町にもあるのですね。
展示を見ていると、青年飛行隊の存在がひしひしと感じられます。特攻を肯定するか否定するかに関わらず、彼らが実在し、懸命に飛行訓練を行ったこと、そして悲しいことに飛行機ごと敵の戦艦に自爆的に突撃した事実は変わりません。若き青年がどんな思いで飛び立って行ったのか、祖国の勝利のための犠牲となることをどのように受け入れたのか…考えると胸が痛くなります。
平和な世の中が末長く続き、阿見町のように日本中の町々が発展することを願わずにはいられません。ごきげんよう。
草々
(散歩好きの文明批評家)