月曜日, 4月 20, 2026
ホームつくば光と影の間を見つめる 沖縄出身の与那覇大智さん、つくばで個展

光と影の間を見つめる 沖縄出身の与那覇大智さん、つくばで個展

沖縄県出身で、つくば在住の画家・与那覇大智さん(56)の個展が21日からつくば市二の宮公園前のギャラリーネオ/センシュウで始まった。新作を含む25点が展示されている。本土復帰前の沖縄に生まれ、本土と沖縄の間で揺らいだ自身に向き合い作品を作り続けた。描き出すのは淡い階調で表す光と影。「両者は不可分。二分されるものではない」と語る。

表現できない美しさ

歴史ある建物から見えた、中庭の金網に差す木漏れ日。38歳を迎える2005年、作家としての今後に悩んで渡った米国で見た光景に心を奪われたー。

1993年に筑波大学大学院を修了した与那覇さんは、つくばを拠点に作家活動の幅を広げていた。しかし、単調化する日々に先の見えない不安に襲われる。環境を変えようと、文化庁の制度を利用し1年間、米国の古都フィラデルフィア市に渡った。同市のペンシルバニア大学で、研究対象としていた戦後の抽象表現主義について学ぶことになった。だが渡米早々に訪ねた美術館で見た作品に違和感を感じた。期待していたものを感じられず、研究対象に興味を失っていく。そんな時に目にしたのが、下宿先の中庭にある金網を照らす木漏れ日だった。「いつかこの光を描きたい」という思いが込み上げた。

しかし次の瞬間、与那覇さんは自分の心に釘を刺す。「自分が『金網』を描くと、発するメッセージが米軍基地と結びつく」。沖縄出身であることが、純粋な美しさを表現することを難しくした。その後、この日出合った光と金網を作品として発表するのに10年を要した。試行錯誤する中で与那覇さんは自身のルーツと向き合い、納得できる作品を作るための技術を磨いた。

本土復帰と「金網」の思い出

与那覇さんが沖縄県コザ市(現沖縄市)に生まれたのは、沖縄が米軍統治下にあった1967年7月3日、本土復帰の5年前だった。同市では1970年12月に、米軍支配に対する沖縄住民の不満が爆発する「コザ騒動」が起きている。

暴力と結びつくイメージの一方で、「金網」に寄せる子ども時代の思い出がある。当時、自宅近くに金網が囲む米軍のゴルフ場があった。与那覇さんは、金網の破れ目からゴルフ場に忍び込み、友人と野球をするのが日常だった。米軍関係者に見つかると追いかけられることもあったが、一緒に遊んでくれる人もいた。「大人になると『金網』が持つ意味は変わっていったが、個人の記憶の中では懐かしい郷愁とも繋がっている」と当時を思い出す。

本土復帰後は、急速に変わる故郷に子どもながらに翻弄された。1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会(沖縄万博)に向けた開発が進んでいったのだ。「道路や建物が立派になり、下水道が引かれ、ボットン便所がなくなった」。暮らしの変化はそれだけではなかった。教育や日々の暮らしを通じて日本に「同化」していく復帰前後に生まれた世代と、復帰に複雑な思いを抱く親や祖父母世代との違いも生じていった。

新作の円形、楕円形の作品が並ぶ

「寄る辺なさ」を受け入れる

「展示でよく言われたのは『この青は沖縄の空、海ですか?』ということ。全く釈然としなかった」と与那覇さんは話す。モノクロに近い色合いの作品を展示すると、「君は沖縄なのに地味だね」と言われた。自身が背負う「沖縄」がどこまでもついてきた。

沖縄出身でありながら「日本に同化した人間」であることに複雑な思いを抱いてきた。「こっち(本土)にいると沖縄の人。沖縄に行くと、半分」だと感じてきた。自分に向き合う中で思い至ったのが、「『日本』と『沖縄』の二つはマーブル状で溶け合わずに自分の中に存在している。その感覚はより強くなり、アーティストとしての個性だと認識するようになった」ということだ。

米国で心を奪われた「金網」は、自分なりの方法で描き出し作品に昇華させた。陶芸や日本画にも用いられる技術を参考にし、アクリル画の下塗りに使う液体で格子状の金網をパネル全体に描き、網目を盛り上げた。

「盛り上げれば、何度その上に色を重ねても金網は残る。金網を気にせずにどんどん色を重ねられる。金網というものに対して、自分のパッションを込めなくていい。金網との距離を取れたことが自分には大きかった」と話す。それは、沖縄と日本の両方にアイデンティティを持つ与那覇さんなりの、沖縄との向き合い方でもあった。

「僕は沖縄と日本の間にいる。『寄る辺なさ』ともいえるこの状態をありのままで受け入れることで、問題を考え続けたい。沖縄の問題はなにも解決していないのだから」と話す。

6月23日、沖縄は戦後79年目の慰霊の日を迎えるが「沖縄では基地問題など直面する構造的な差別の傷がまるきり消えることがない。沖縄戦で受けたトラウマから今も不調を訴える人がいる。日本政府の冷酷な対応に、沖縄で起きていることの切実さは消えない」。

つくば市内の田んぼの風景がモチーフの作品も展示されている

自分を見つめる

同じく画家だった与那覇さんの父は、影の中にある色を探して表現していたという。「父の絵は僕がやろうとしていることと重なる。僕は光と影の間にあるものに引かれている。光を完全な希望とは捉えていない。光の中にある影を、影の中に見る光を描き出したい。光と影を丁寧に見つめることが自分を見つめる作業でもある。結果としてそれが世界とリンクすることがあるかもしれないと思っている」。

今回の展示は、つくばで開く20年ぶりの個展となる。これまでの大型作品とは異なる、直径20センチほどの楕円と円形の木製パネルに微細な点で多彩な光のグラデーションを描きこんだ作品が中心となる。初めてのチャレンジについて「四角ではできないことが、小さい画面で表現できると感じた」と話す。

与那覇さんは「沖縄からつくばに来て最初に感じたのは、亜熱帯の沖縄とは違う、中間色が多い色彩の豊かさ。つくばで四季の変化の大きさにも気がついた。沖縄ではわからなかった色にもたくさん出会った」と言うと、「とにかく色を見てほしい。自分なりにしっくりくる色がどこかにあると思う。細い筆で色を置くという、これまでやれなかったことをやってきた。その時々の光や気持ちによっても見え方が変わる。ゆったりと時間をかけて見てもらえたら」と呼び掛ける。(柴田大輔)

◆与那覇大智個展「手のひらと宇宙」は、6月21日㈮から 7月7日㈰、つくば市千現1-23-4 101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。開館時間は正午から午後7時まで。月曜から木曜は休館。6月22日㈯午後5時からアーティストトークを開催。展示、トークイベント共に入場無料。問い合わせはメール(sen.jotarotomoda@gmail.com)で。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

3 コメント

3 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

土浦港周辺「観光・レクレーション拠点」整備 《吾妻カガミ》218

【コラム・坂本栄】4月初めに土浦市が主導する霞ケ浦土浦港周辺「観光・レクレーション拠点」整備計画の詳細が明らかになり、その事業を担当する企業名も公表されると期待していました。ところが、記事「公募は仕切り直し…」(4月2日付)にあるように、事業を任せられる企業が存在しないことが分かり、この整備計画のスタートは先延ばしになりました。 総合ホテル→保養マンション→? 総面積9.4ヘクタールの整備区画の中心には、元々、土浦京成ホテルが建っていました。宿泊・宴会・結婚式ができる総合ホテルでしたが、2007年春に撤退しました。その跡地を不動産開発会社が買い取り、富裕層向けリゾート型マンションの建設を計画していました。ところが2008年秋のリーマンショックで資金難に陥り、このプロジェクトは中止されました。 そこで2010年秋、湖畔に不似合いな施設が造られるのは困ると土浦市が判断、マンション用地と京成ホテルの関連会社「ラクスマリーナ」(ヨット・ボート保管施設や遊覧船を運営する会社)を市が買い取り、「観光客が訪れる魅力ある空間」「湖岸の観光・レクレーションの拠点」にしようと、具体策を練ってきました。 いろいろ考えた末に起案したのが、市の整備計画に関心がある企業から事業計画を提案してもらい、その中からベストの案を出してきた企業を選定、提案内容が市の条件を満たせば、そこに整備を任せるという手続きでした。行政や業界では「公募型プロポーザル」と呼ばれています。 計画区画内には県が管理する港施設が2つ(A地区+B地区=4.3ヘクタール)あることから、この公募-審査-選定には県も参加、事業を任せる企業を絞り込む会合が3月中下旬に開かれました。冒頭述べたように、私はこの選定会で整備を担当する企業が選ばれ、計画の全体イメージを描いたイラストが発表されるだろうと楽しみにしていました。 公募企業の企画評価は不合格 ところが、選定結果は大々的には公表されず、「事業者を選定できなかった」と市議にメールで伝え、その2日後、「最後に残った事業者は合格点以下だった」と市のHPに載せるという控えめなものでした。担当者の無念さが伝わってきます。 公募には3社が応じたものの、2社は資格要件を満たさず、残った1社が審査対象になったそうです。しかし、その企画内容評価(210点満点)は102.31点にとどまり、審査会が設定した最低基準(126点)以下でした。100点満点で計算すると49点ですから、不可(60点未満)=不合格です。 この点数から2つのことが読み取れます。①市が「観光・レクレーションの拠点」の姿や形にこだわり審査基準が厳し過ぎたのではないか②市と県が設定した整備条件が企業側には魅力に欠けていたのではないか―といった点です。 市の担当者は、整備計画をスクラップすることはせず、今回と同じ公募型プロポーザル方式を使って再トライすると言っています。提案への評価方法を少し変えたり、今回公募に応じた事業者とは別の事業者に声を掛けることも考えており、民間の力を使って霞ヶ浦湖畔を整備する方針は変えないそうです。 整備条件をチャーミングに! そこで提案です。賃貸を条件としている市有地(B地区、4.0ヘクタール)を事業者に売却する選択肢も加えたらどうでしょう。また、指定管理者制を条件としている市営「りんりんポート」(C地区、1.1ヘクタール)も事業者が取得できるようにしたらどうでしょう。いずれも市の関与を減らし、事業者の経営自由度をアップさせる方策です。 市の担当者によると、審査に残った企業の「事業計画内容」と「にぎわいづくり」はマアマアだったものの、「事業実現性」がイマイチだったそうです。ということは、体力と頭脳がある企業を誘致する必要があります。それには整備条件がチャーミングでなければなりません。(経済ジャーナリスト)

フル女子優勝は県勢の沼田夏楠さん かすみがうらマラソン

昨年を大きく上回る2万人がエントリー 第36回かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソン2025(土浦市など主催)は16日、土浦市川口の川口運動公園J:COMフィールド土浦を発着点として開催された。フルマラソン女子では地元茨城県東海村の沼田夏楠さん(34)が2時間44分30秒で初優勝を飾った。フルマラソン、10マイル(約16キロ)、5キロ各部門のエントリー総数は2万0625人で、昨年の1万5832人を約4800人上回った。 フルマラソン女子の沼田さんは2位に3分20秒の大差をつけて優勝した。前半は男子の集団に入って飛ばし、後半はペースを落としながら粘った。「ハーフ過ぎあたりで、これ以上押したらつぶれると思い、あえて集団を離れた。後半は追い風になるのも知っていたので、前の選手に付いて抜いてを繰り返しながら自然に走れた」と沼田さん。スタート時点の気温は約22度で雲もなく、強い日差しに気温はますます上昇。「暑いのは得意。もっと暑くなれと思いながら走った」。数日前から意図的に摂取水分量を増やし、マラソン中も全ての給水所で水を取った。「目標は2時間45分を切ること。寒くても暑くても達成したいと思っていた。切れて満足」と、充実した表情を見せた。 沼田さんはひたちなか市出身。田彦中で陸上競技を始め、名門の茨城キリスト教学園高に進み、高3のとき卒業記念で出場した勝田マラソンで優勝。茨城大を経て実業団の日立製作所に入団。現在は笠松走友会で市民ランナーとして活動しながら、マラソンやトレイルの魅力をSNSで発信している。 フルマラソン男子は蜂須賀源さん(31)が2時間20分24秒で優勝。「暑さがある中、前半は集中しすぎず体力を温存した。25キロあたりから自然にペースが上がり、ついてくる選手がいなかったので、このまま最後まで押していこうと考えた」という。「1キロ1キロ、無理せず自分のペースで頑張っていれば、やがてゴールにたどり着く。それがマラソン。だが力みが出るときつくなる。最後はゴールはまだかまだかと思いながら走っていた」 蜂須賀さんは国学院大で箱根駅伝に3回出場、4年時は主将も務めた。実業団ではコニカミノルタで活躍し、昨年から千葉県立流山おおたかの森高校教諭。クラス担任として、また陸上競技部顧問として、生徒たちに背中を見せる気持ちでこの大会に参加した。「生徒たちの背中を押すため、タイムよりもインパクトがある順位にこだわった。自分のベストを尽くせば優勝できる自信はあった。自分の人生を自ら豊かに切り開く生徒を育てたい」と話す。 5キロ男子は1位の佐々木詩音さん(26)、2位の柱欽也さん(38)がコースレコードを塗り替えた。「かすみがうらは初めて。風が強いと聞いていたが強くなく、晴れて走りやすかった。チームメートと助け合い、引っ張り合いながらいいレースができた」と佐々木さん。「フルマラソンと10マイルは出たことがあるが、今年はスピードをつけたいと初めて5キロに出た。最後まで優勝争いを演じ、粘りの強化ができた。2位は悔しいが達成感はある」と柱さん。 同3位は伊藤遼佑さん(29)。この部門では常連で、昨年の15分52秒より33秒タイムを縮めたが、大会新の2人にはかなわなかった。「極力ついていこうと粘ったが、3キロあたりから離された。優勝が目標だったが、少なくとも今の力を出しきることはできた」と納得の表情。 そのほか、主な成績は以下の通り。敬称略 【フルマラソン男子】1位 蜂須賀 源(千葉県・ONESHIP)2時間20分24秒2位 三野貴史(33、千葉県・松戸市陸協)2時間21分10秒3位 滑 和也(39、埼玉県・作.AC北海道)2移管21分49秒【フルマラソン女子】1位 沼田夏楠(34、茨城県)2時間44分30秒 2位 沿道知佐(37、東京都・PACERTRACKCLUB)2時間47分50秒3位 舛田果那(37、石川県)2時間48分08秒 【10マイル男子】1位 大野聖登(千葉県・順天堂大学)48分56秒2位 出仙龍之介(25、東京都・警視庁)49分10秒3位 山城弘弐(24、東京都・警視庁)49分25秒 【10マイル女子】1位 小野寺美麗(21、宮城県・石巻専修大学)1時間00分43秒2位 小輪瀬明希(20、東京都)1時間00分48秒3位 西島百香(28、東京都・ステラキャンプ)1時間03分36秒 【5キロ男子】1位 佐々木詩音(26、東京都・警視庁)14分46秒2位 柱 欽也(38、東京都・警視庁)14分49秒3位 伊藤遼佑(29、筑西市・つくばウェルネス整形外科)15分19秒【5キロ女子】1位 片桐紫音(23、埼玉県・埼玉医科大学G)17分42秒2位 ハル・ティファニー(29、東京都・Namban)17分53秒3位 米津利奈(33、東京都・ディべロップ)18分25秒

土浦の花火100年の紡ぎ(4)《見上げてごらん!》51

【コラム・小泉裕司】戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の統治下にあった1945年10月、火薬類の製造は全面禁止となった。再び製造・販売が許可されたのは、3年後の1948年8月1日である。同日、東京・両国では「川開き花火」が8年ぶりに再開された。のちにこの日は「花火の日」に制定されている。さらに同年9月22日には、戦後初の競技会とされる「第1回全国花火コンクール」が隅田川で開催された。 このコンクールの目的は、花火師同士が切磋琢磨(せっさたくま)し、色彩や造形美といった品質を極限まで高めることにあった。同時に、もう一つ重要な役割を担っていた。それは、花火の輸出振興を目的とした「プロモーションの場」である。海外バイヤーに対し、「日本の花火は世界一である」ことを示すショールームとしての機能を果たしていたのだ。 終戦からわずか3年。深刻な物資不足とインフレに直面していた当時の日本にとって、外貨獲得は至上命題であった。繊維製品や雑貨と並び、伝統技術の結晶である花火もまた、戦略的な輸出品として位置づけられていく。 茨城が誇る「輸出花火」の輝き こうした国策の流れは茨城にも波及する。1953年の「いはらき新聞」によれば、野手火工や茨城火工があった下妻地方では、特産の玩具花火が同地方の出荷額第3位を記録した。輸出先は南米にまで及び、まさに輸出産業の花形であった。 土浦火工もまた、輸出に心血を注いだ企業の一つである。海外の環境に対応するため、防水スプレーを塗布するなどの工夫を重ね、アメリカを中心に各国へ花火を送り出した。 こうした功績が評価され、1961年には「土浦の花火」大会の最高賞として通商産業大臣賞が授与された。さらに1962年から10年間、大会名称に「輸出振興」の冠が付されたことは、高度経済成長期という時代を象徴している。 進駐軍を魅了した「日本の花火」 一方で、土浦の花火には興味深い記録が残る。火薬製造が禁止されていたはずの1946年9月30日に、すでに「第14回大会」が開催されていたというのである。1948年の両国花火再開よりも、実に2年早い。 背景にあったのは進駐軍の存在だ。当時、米軍は独立記念日などにキャンプ地で花火を打ち上げており、国内の催事でも司令官の裁量で許可が下りる場合があった。1946年、水戸に置かれたGHQ茨城軍政部に着任したリンボー少佐は、故郷のナイアガラの滝を懐かしみ、花火の打ち上げを要望したという。 これを受けて県内の花火師が招集され、土浦観光協会の主催により、9年ぶりの大会が実現した。リンボー少佐ら幹部将校30人余りが、友末知事ら県幹部とともに観覧したと伝えられている。日本の花火に魅了されたGHQが花火師たちの訴えに耳を傾けたことが、1948年の製造解禁を後押ししたとも言われている。 歴史の転換点を経て しかし1970年代に入ると、転機が訪れる。人件費の高騰や円高、さらに安価な中国製花火の台頭により、花火の輸出は次第に縮小していった。 現在の「土浦全国花火競技大会」は、輸出振興よりも芸術文化の継承や観光振興の側面が強い。しかし、その根底には「日本の匠(たくみ)の技で世界を魅了し、国を豊かにする」という、戦後を駆け抜けた花火師たちの熱い志が、今も確かに息づいている。本日はこれにて、打ち留めー。(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「下妻市史」(下妻市史編さん委員会、1995年刊)「日本の花火のあゆみ」(武藤輝彦、あずさ書店、2000年刊)「花火の事典」(新井充、東京堂出版、2016年刊)「花火と土浦」(土浦市、2018年)「花火師たちの記憶/DVD」(㈲茨城ビデオパック、2025年完成)

絶滅危惧種のアイドル サクラソウ展始まる 筑波実験植物園

筑波大コレクション100品種以上展示 100品種余りのサクラソウの園芸品種が並ぶ企画展「さくらそう品種展」が18日、つくば市天久保、国立科学博物館 筑波実験植物園(遊川知久園長)で始まった。筑波大学が保有する約300品種の中から、見頃を迎えた株を順次入れ替えて展示する。環境の変化などから野生種の個体数が減少しているサクラソウは、「一見地味にも見えるが、よく見ると可愛らしく、絶滅危惧種植物のアイドルとも言われる。古くから日本人の身近にあった植物でもあり、人々の暮らしから生まれた多様な園芸品種を見てもらえたら」と、企画に携わる筑波大つくば機能植物イノベーション研究センター准教授の吉岡洋輔さん(47)は話す。26日まで。約20年前に始まったこの企画には、毎年およそ5000人が訪れる。 江戸の庶民文化を知る 展示会場では、上部や背面をすだれで囲んだ3段から4段の木製縁台に、鉢植えのサクラソウが並べられる。江戸時代に観賞用に用いられた「桜草花壇(さくらそうかだん)」を再現したものだ。当時の文献や図面をもとに、上段には下向きの花、下段には上向きの花を置くなど、見る人の目線を意識した配置がなされている。すだれの隙間から差し込む光も含め、花壇全体で空間を演出する手法だ。 サクラソウは、種子とともに地下茎でも増える多年生植物で、自分の花粉では受粉せず、昆虫が運んだ異なるタイプの花粉によって受粉・受精するのが特徴だ。近年は環境の変化などにより野生種の個体数が減少し、準絶滅危惧種に指定されている。 ルーツは1種の野生種 日本では古くから園芸用として栽培され、現在確認されている園芸品種は300種以上にのぼる。その多くを筑波大が遺伝資源の保存を目的に保有している。同大での園芸品種の研究は、2003年に埼玉県の園芸試験場から約200品種の寄贈を受けたことを契機に本格化した。それ以前は野生種の研究が中心だったが、園芸品種の多様性に注目が集まり、研究対象が広がった。 栽培の歴史は1440年代、室町中期に始まった。当初は野山の花を持ち帰って育てていたものが、やがて公家や武家、僧侶へと広がり、江戸時代には庶民文化として定着した。 国内に現存する300種以上の園芸品種のルーツをたどると、江戸時代に江戸郊外の荒川流域に咲いていた1種の野生種に行き着くことが、DNA研究から分かっている。その後、生育環境によって色や形などにわずかな違いが出て、その差異に着目して人々が選抜と栽培を重ねた結果、数百年をかけて多様な品種が生まれた。花の色は白から赤が中心だが、花びらの形や咲き方は多彩で、ギザギザの縁を持つ「錦鶏鳥」や、下向きの花をつける「白滝」、縁が白く色づく現存する最古の園芸品種「南京小桜」など、野生ではあまり見られない特徴を持つ品種も多い。 江戸郊外の荒川流域に園芸品種のルーツがあるのは、庶民の暮らしとの近さを示しているという。吉岡さんは「こうした多様性は、人が珍しさを求めて選び続けた結果ともいえる。江戸時代には庶民の間でも栽培が広まり、特に後期には品種改良が盛んになり、多様性が飛躍的に拡大した」と話す。 温暖化、10日早い開花 サクラソウは、種子だけでなく地下茎で繁殖するため、環境が整えば広がりやすい特性を持つ。また、林内から河川敷まで幅広い環境に適応する能力も高い。しかし近年は気候変動などの影響も指摘され、今年は暖冬の影響で開花が例年より約10日早まった。企画を担当する同博物館植物研究部多様性解析・保全グループ研究主幹の田中法生さんは、今後は展示時期の見直しが必要になる可能性もあると話す。 一方、野生種の保全が課題となっている。かつては関東各地に自生地が広がっていたが、多くはすでに失われた。埼玉県の田島ケ原は現在も残る貴重な自生地で、天然記念物に指定されている。野生種の個体数が減少する中、筑波大学では市民と協力して品種を守る「里親制度」を市内のNPO法人とともに2005年に立ち上げ、遺伝資源の保全にも取り組んでいる。 田中さんは「来園者に人気投票を行ったところ、濃い紫色の『天晴(あっぱれ)』や、桃色の『美女の舞』などが上位に挙げられた。サクラソウの面白さは、小さな違いに目を向けて増やしてきた歴史にある。花の大きさや色だけでなく、それぞれの個性を楽しみ、自分のお気に入りを見つけてほしい」と話す。(柴田大輔) ◆コレクション特別公開「さくらそう品種展」は18日(土)~26日(日)、つくば市天久保4-1-1 国立科学博物館 筑波実験植物園で開催。開館時間は平日は午前9時~午後4時30分(入園は午後4時)、土日曜は午前9時~午後5時(入園は午後4時30分)。20日(月)は休館。入園料は一般320円。高校生以下と65歳以上、障害者などは無料。19日(日)は無料入園日。 ◆第1会場の教育等では、「さくらそうを知る」と題した、サクラソウに関する歴史や栽培方法を紹介するパネル展が開かれ、「さくらそう里親の会」が増殖したさくらそう品種の販売会が開かれる。25日(土)には、「植物園研究最前線 シコクカッコウソウ遺伝子資源から見えてきた花の色の多様性」と題する講座が、午後1時30分から開かれる。定員は30人。事前予約制。