【コラム・平野国美】今の「死が遠ざかった時代」(私の呼び方)では、「死」だけでなく、「老いる」過程も我々の意識から遠ざけられています。私が勤務医だった時代と訪問診療をしている今の「死生観」は異なったものになりました。人を年齢で区分したり、年齢で差別してはいけないと思いますが、「老化」について改めて考えてみます。
上のイラストをご覧ください。向かって左から、生まれた赤ちゃんはハイハイをして家の中を移動し、その後二足歩行を開始し、やがて転ばずに走れるようになります。そして、徐々に体は前傾し始め、杖(つえ)が必要になり、車椅子に乗る状態を描いています。
この流れを見て、後半部分を病態と考えるでしょうか? それとも、正常な経過の老化と考えるでしょうか? 以前は車椅子に乗る状態を「異常」と考えていましたが、高齢の患者さんを診察していると、初診の時にすでにこの状態になっているか、診察の経過でこの状態から寝たきりになっています。そして、死へと向かうのは避けられません。
何を偉そうにと思われるかも知れませんが、多くの方が、これを「理解できない」、もしくは「受け入れられない」のです。しかも、患者さんの息子さんや娘さんが私と同業の医者であっても、「理解していない」ことが多々あるのです。
この半世紀、日本人は病院で亡くなるのが普通になり、特に最期の場面は密室化されてしまいました。これが、老いや死ぬことを異常事態と考えるようになった背景です。こういった感覚は、我々が視覚で捉えられる身体上の変化だけでなく、目に見えない体内や頭の中でも起きているのです。
どこまでが生理でどこからが病態?
薬や老化を予防する体操で死は少し先延ばしできるかもしれませんが、いずれ確実に訪れるのです。大家族の時代は、同居していた祖祖父や祖父が身をもって、老いや死を見せてくれました。「老いる」はネガティブなイメージが多い言葉ですが、決してそれだけではないということを患者さんは私に見せてくれます。
老いとは生理的なことだけではなくて、その取り巻く環境でも様々なことが起きます。ドラマや映画で見る死とは違った風景があります。自分が独居であることを嘆く方もいますが、今、多くの高齢者がその状態です。同居していても、家族との接触が無いのです。
これからも「死」と「老いる」問題を取り上げたいと思います。今、介護の現場で何が起きているか? 今、人生の最終コーナーで何が起きているのか? 決して悲壮な場面だけではなく、いろいろなお話ができればと思います。(訪問診療医師)
<参考> 前回の「『死が遠ざかった』今の時代」はこちら