水曜日, 1月 7, 2026
ホームつくば自分の性に向き合う 「ヴィーガン」で「クイア」の2人が贈るレシピ集(下)

自分の性に向き合う 「ヴィーガン」で「クイア」の2人が贈るレシピ集(下)

3月につくばで出版されたヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」。作者のユミさんとヨニイさんは同書で、ヴィーガンのことだけでなく、性的マイノリティである自身がこれまでに感じた性自認についても触れている。2人は自身の性を、全ての性的マイノリティを広く包みこむ概念である「クィア」だと表現する。2人は周囲の無理解から悩みを感じてきたという。

「いつも自分のことを相手に隠したり、頑張って自分のことを説明したりしなければいけなかった。理解して欲しくてたくさんの感情とエネルギーを使ってきた。私はただここに存在していいはずなのに」とヨニイさんが思いを吐露する。ユミさんは「自分は間違っていないというのはわかっていた。でも生きづらさを感じてきた。隠さなければいけないという思いが少しずつ自分の心の中に積もっていくのを感じていた」と語る。

カミングアウト

ヨニイさんが初めて自身の性を周囲に伝えたのは中学時代、韓国でのことだった。「女子中学だったので、かっこいい先輩がいるとみんなが『きゃー』ってなるんですよ。それで自分も(女性に好意を持つことは)自然なことだと思っていた」。

自分の気持ちを隠さず伝えていたヨニイさんは、高校でも「隠さずカミングアウトをしていた」と話す。否定的な反応もあったけど、気にはしなかった。

「自分のセクシャリティを隠したまま人と出会っても、後から伝えて嫌がられると辛い。それなら最初から『私はこんな人です』と言った上で仲良くなる方が楽」。そう明るく話すヨニイさんだが、両親には最近まで伝えられなかった。

「両親に伝えたのは去年の春頃。すごく保守的な家なので、嘘をつき隠していた。でもそれが嫌で、隠すのをやめて全部話した。否定的なことも言われてその瞬間だけは辛かった。でも、両親も慣れてきた様子。結婚や子どもの話をされる度にプレッシャーを感じていたが、それがなくなりすごく楽になった」

近所の公園を散歩するヨニイさん(左)とユミさん

髪を切り、本当の自分に出会う

ユミさんは自分の性にどう向き合ってきたのか。家族と暮らしていた幼少期をこう振り返る。

「小さい頃から男の子と遊びたかった。でも、歳を重ねるごとに難しくなった。小学校に入って男の子と遊んでいると『お前、あいつの彼女なの?』とか、『なんでここに女がいるの?』と言われて、『ああ、私って女なんだな』って思うようになった。でも、女性的な振る舞いや遊びに馴染めなかった」

周囲に「女性」としての形を押し付けられたユミさんは、自分の性に違和感を感じ始めた。「私はボーイッシュな髪型にしたかった。でも実家のある郊外では、周りにそんな女性はいなかった。好きな髪型にしていいなんて思えずに大学生になった。ただ、ずっと実家に住んでいたので、私のことに家族もなんとなく気付いていた気がする。私は隠すつもりはなかったけど、わざわざ言うのも気まずい。それで結局、隠している状態になっていた。それがストレスだった」

大きな変化は大学生の時に訪れた。短髪にしたのだ。「思い切ってメンズカットにして『これが本当の自分だ!』って思えた。これで隠れずに生きられるって」

一歩を踏み出したきっかけは、あるテレビドラマだった。「アメリカのハイスクールドラマで、様々なマイノリティが出てくる。アジア系の人、車椅子の人、セクシャルマイノリティーの人。みんないきいきと自分を表現していた。『私もこうしていいんだ』って思えた。それで、似合わないかもしれないけど私も髪を切ってみようって思えた。それがきっかけになり、どんどん勇気を振り絞れるようになった」

短く整えられたユミさんのヘアースタイルに思いがこもる

自分の体を取り戻す

テレビドラマを通じてユミさんは、性的マイノリティとして生きる自分以外の人を知り、背中を押された。一方でヨニイさんは、今も複雑な自身の性について答えが出せずにいると話す。

「まだ悩んでいる。私は昔から女性に好意を持ってきたから、男性になった方がいいんじゃないかとずっと悩んでいた。でも、やっぱりそれは違う気がしていた。私は男になりたくないって思った。大学では周囲と英語でやりとりしているが、自分の代名詞が『He(彼)』なのか『She(彼女)』なのか考えると、『He』だと違和感があるけど、『She』なら大丈夫だと思える。『They(彼ら、性別を問わない)』でも違和感はない。でも正直なところ、私は自分をラベリングするのに疲れている。今は『クイア』という言葉が一番しっくりきている」と、今の気持ちを率直に語る。

自身の性に向き合うヨニイさん

ユミさんは、揺らぐ自身の性認識に向き合う中で、次第に「自分は何者なのか」という問いへの答えを見つけ始めている。

「私は自分が男になりたいわけではないけど、女性としての役割を担うのはキツかった。それじゃ男なのかなってめちゃくちゃ悩んでいた。そんな時にある本と出会い、男女どちらの性別でもない『ノンバイナリー』という存在を知って、自分は男でも女でもないんだって気がついた。すごくスッキリした。『これが私だ。こう名乗っていいんだ』って思えて自分に自信を持てるようになった」

もう一つ、大きなきっかけになった出来事として、大学を卒業し実家を離れて経験したあるエピソードがある。

「私、就職してからタトゥーを入れたんです。腕と手首に、五百円玉サイズの太陽と雲を。その時、本当にうれしかった。『私は自分の体のことを自分で決めたんだ。その権利を証明できたんだ!』って。『これが私の人生だ』って思えた」

ユミさんの手首には初めて入れた雲のタトゥーがある

そう話すとユミさんは、「性」に対する考えをこう言葉にした。

「性別は社会的なもの。本当はスペクトラム(連続した境界のない状態)なはず。私は周りに自分が何者なのかを決められてきた。でも、自分が男でも女でもない『ノンバイナリー』だと思えるようになって、性の呪縛から解放された気がした。心地よかった。『もう他人から女性と呼ばせない』という思いが湧いてきた」

「大丈夫」と伝えたい

ヴィーガンでクィアである2人にとって互いの出会いが持つ意味は大きかった。ヨニイさんがユミさんとの出会いを振り返りながら、こう呼び掛ける。

「私はユミと出会えたことでとても楽になった。クィアでヴィーガンの人には本当に出会えない。マイノリティーの中の、さらにマイノリティーなので。1人で暮らしていると『私だけがおかしいんじゃないか?』と思ってしまうこともあった。でも同じ価値観の人に出会えて『私はおかしくないんだ』と思えるようになった。もし今、悩みを抱えている人がいたら『大丈夫』と伝えたい。安心してほしい」

ユミさんは、今後についてこう話す。

「私はヴィーガンのハードルを下げたいと思っている。そして、クィアカップルがいることが自然になるように、私たちも自然に暮らし続けたい。私たちはこんな存在で、ただここに存在していい。そんな場所が増えるといいと思っている。そのために自分の経験が誰かの役に立てばいい」

「自然に暮らし続けたい」と話すユミさん

光州事件のパネル展開催

冊子で2人は、ヨニイさんの故郷である韓国・光州市の歴史にも触れている。光州では、韓国が軍事政権下にあった1980年5月18日、民主化を求める学生デモに対して政府が武力で応じ、以降10日間で多数の市民が犠牲になる「光州事件」が起きた。光州では今も、忘れてはいけない悲劇として日常的に語り継がれている。

今回、冊子の発行元である、つくば市天久保のブックカフェ「サッフォー」では、冊子発売を記念して「光州5.18民主化運動を記憶する」として関連書籍の特設コーナーを設けるとともに、4月27日から始まった光州事件を紹介するパネル展が開催中だ。

冊子の企画・編集を手がけたサッフォー店主の山田亜紀子さんによると「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は同店にとっては2冊目の出版企画となる。山田さんは今回の冊子制作について、「人権の向上を願っての企画。2人の想いは、日常をシェアすることで『私たちはナチュラルに生きている』と知ってほしいということ。地方で、楽しみながらヴィーガンをやっているクィアカップルがいるんだよと、多くの人に知ってもらいたい。色々な人に届くといい」と語った。(柴田大輔)

「本と喫茶サッフォー」の店主・山田さん(右)と、ハンガン・ビーガンの2人 =本と喫茶サッフォー

終わり

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

筑波山神社宮司 上野貞茂さん《ふるほんや見聞記》12

【コラム・岡田富朗】上野貞茂さん(64)は、桜川市にある神社が御実家で、笠間稲荷神社で権禰宜(ごんねぎ)を務めたのち、4年ほど前から筑波山神社の宮司を務めています。筑波山神社は、古くから信仰の歴史を持つ霊峰筑波山を御神体と仰ぎ、「常陸国風土記」や「万葉集」にも記されている古社です。 境内は中腹の拝殿から山頂を含む約370ヘクタールにおよび、山頂からの眺望は関東一円に広がります。筑波男大神(いざなぎのみこと)、筑波女大神(いざなみのみこと)を祭神とし、縁結びや夫婦和合の神として広く信仰を集めています。結婚式や縁結び、交通安全、厄除けなどの祈祷も毎日行われています。 年越祭 年末年始からお正月の期間は、新年を祝う多くの参拝客でにぎわう筑波山神社ですが、2月には「年越祭(としこしまつり)」が開催されます。年越祭とは、新年最初の満月を迎え小正月と節分を祝う追儺(ついな)豆まき神事です。拝殿でお祓(はら)いを受けた年男・年女が福豆とともに、たくさんの福物をまき、春の訪れを祝います。 1年の家内安全や商売繁盛、厄除(やくよけ)けなどを祈願する祭礼で、本来は旧暦の正月14日に行われてきましたが、現在は毎年2月10日と11日の両日に開催されています。大相撲大島部屋から大島親方(元旭天鵬)をはじめ、力士の方々も豆まきに参加されます。 御座替祭 古来より春と秋、4月と11月には「御座替祭」(おざがわりさい)という筑波山神社の例大祭が開催されます。「神衣祭(かんみそさい)」「奉幣祭(ほうへいさい)」「神幸祭(しんこうさい)」の三種の神事が執り行われ、大神様の依代である神衣の御神座を新たに奉り、御神徳のいっそうの高揚をいただく最も重要な神事です。 午後の「神幸祭」では、御山の神様を里に迎え五穀豊穣(ほうじょう)を祝い、国の安寧を祈ります。祭装束を整えた神職・氏子総代、総勢約150名の氏子崇敬者が猿田彦を先頭に太鼓や雅楽の音色の中、神様が坐します神輿(みこし)とともに町内を巡り、筑波山神社拝殿に宮入します。御座替祭の日に限り、茨城県重要文化財である「御神橋(ごしんばし)」(徳川家光公寄進)を御神輿とともに一般の方も渡ることができます。 徳川家と筑波山神社 徳川家康が江戸城守護の霊山として筑波山を祈願所と定めて以来、筑波山神社は将軍家の崇敬を厚く受けてきました。国の重要文化財に指定されている吉宗銘の太刀は、三代将軍・家光の寄進によるものです。境内には、日枝神社、春日神社、厳島神社、さらに参道の中央に架かる神橋など、1633(寛永10)年に家光によって寄進された諸社殿も立ち並んでいます。 歴史が長く貴重な文化財が数多く残る筑波山神社ですが、その分維持や管理には大変さがあるそうです。取材した日も、厳島神社の屋根の修復作業が行われていました。 2033(令和15)年には、徳川三代将軍家光が諸社殿などを寄進してから400年の節目を迎えます。日枝神社本殿正面には、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が施されており、この作は日光東照宮のものよりも前の作であると言われています。 貴重な文化財が今後も大切に守り継がれていくためにも、より多くの方に筑波山神社の魅力を知っていただきたいと感じました。(ブックセンター・キャンパス店主) <年越祭> 2月10日(火)、11日(水)の2日間、午後2時、3時、4時に開催。年男年女の参加料は2万円。

つくば駅前で市民らがスタンディング 米国のベネズエラ軍事行動に抗議

米国によるベネズエラへの軍事攻撃とマドゥロ大統領拘束に反対する市民による抗議行動が4日、つくば駅前のつくばセンター広場で催された。主催したのは同市の市民グループ「戦時下の現在を考える講座」。参加者らはメッセージボードを掲げてスタンディングを行い、暴力への反対を通行人に訴えた。 行動を呼び掛けた主催グループの加藤匡通さん(57)が活動の実施を決めたのは前日の夜。SNSで事態を知り、「戦争は許せない。理不尽な口実で武力行使が行われ、国際法を軽視する流れが広がることに強い危機感を覚えた」と話す。今回の軍事作戦が「成功」と評価されること自体が誤った前例となりかねないとし、「『ふざけるな』と声を上げなければならないと思った」と語った。 加藤さんは、抗議の場所につくばを選んだ理由について「自分たちが生活している場所だから」と話し、「通行人が行動を目にすることで、『自分も声を上げていいんだ』と思ってもらえたり、異なる人同士の議論のきっかけにつながれば」とし、「米国大使館や国の主要機関がある東京だけでなく、全国のさまざまな地域で市民が声を上げていることが見える形になることが大切」と話す。 また2003年に始まった米国によるイラク戦争にも言及し、「大量破壊兵器という口実で戦争が行われ、その混乱は今も続いている」と指摘する。「戦争が始まれば当たり前の生活は成り立たなくなる。『仕方がない』という考え方に流されず、誤った行動には『それはだめだ』と声を上げ続けるべき」と加藤さんは強調した。 一方で、ベネズエラの政治状況については「人権の抑圧や選挙不正の疑いなど、マドゥロ政権にも問題がある」としながら、「だからといって軍事侵攻が許されるわけではない。本来は国際社会が対話で対応すべきだ」と述べ、「私たちはすべての戦争に反対する。戦争に対する歯止めが効かない世界を生きるということは、いつ自分の身に降りかかるか分からないということ。日常の暮らしを守るためにも、戦争を容認しない社会を維持しなければならない」と訴えた。(柴田大輔)

つくば市には純金小判! ふるさと納税返礼品《水戸っぽの眼》8

【コラム・沼田誠】年末年始は、普段じっくり話せない友人や知人と飲む機会があります。その場でふるさと納税のことが話題に上りました。そこで、自分が住んでいるつくば市はどのような返礼品があるのだろうと、ネット検索してみると、なんと!「純金小判」が出てきました。 ふるさと納税は、本来、応援したい自治体に寄付を届けるという理念で2008年に始まった制度。昨年10月からは、仲介サイトによる「ポイント付与」が原則禁止されました。過熱する自治体間の寄付獲得競争に国が歯止めをかけた形です。 少し話が逸れますが、この制度を自治体のどの部署が担当しているかは、そのまま首長や行政組織(特に財政部門)の考えが反映されるものになっています。制度の趣旨、あるいは自治体間競争の面から考えれば、観光やシティプロモーション担当部署が担うのが自然であるように思います。岐阜県飛騨市では、関係人口創出や移住・定住などを担当するふるさと応援課が担当部署になっています。 私が在職していた水戸市では、税務部門の市民税課が担当しています。ふるさと納税を「税務事務」の範囲内で適正に処理したい―との考え方からです。ところがつくば市は、民間企業との連携やSDGsを担当する企画経営課の持続可能都市・官民連携推進係が担当しています。官民連携を活用した資金調達と、ふるさと納税を捉えているようです。 税収確保のための「防衛戦」? 最先端の研究機関が並ぶ街で、つくば市はなぜ純金小判を返礼品にする必要があるのでしょうか? それは、つくば市が県内でも数少ない地方交付税不交付団体だからだと思います。 つくば市民が他自治体に寄付して流出した住民税(2024年度は約28億円)に対し、国からの穴埋めは1円もありません。これに対し、交付団体である水戸市は、流出額の75%が翌年度以降の交付税で補填(ほてん)されます。つまり、つくば市にとって、ふるさと納税は税収確保のための「防衛戦」なのです。 その防衛戦のためには、一度の寄付額が大きい高付加価値商品をそろえることが合理的―という判断が、純金小判なのではないかと思います。しかし、この防衛戦のコストは軽くありません。寄付額の半分は、返礼品代、ポータルサイトへの手数料、職員人件費などに充当されますから、「毎年10億円ずつ税収が増えている」(2024年10月23日掲載のNEWSつくば記事)とはいえ、「非常にもったいない」と思います。 カタログから他県の特産品を選び、「等価交換」で得をした気分になる一方、その代償として削られているのは、自分が踏みしめる道路の補修費であり、子供たちが通う学校の設備費なのかもしれません。私たちが手にする肉や魚や米は、本来受けるべき公共サービスと引き換えに差し出されたいびつな「等価交換」の結果なのです。 「受益と負担」という地方自治の原則を根底から揺さぶるこの制度について、私たちは一度立ち止まって、そのあり方を考えるべきでしょう。(元水戸市みとの魅力発信課長)

霞ケ浦 土浦港周辺をリゾート地域に 市・県有地を民間の力で整備

土浦駅東口に近接し霞ケ浦に面する土浦港とその周辺約9.5ヘクタールを民間の力で観光・レクリエーション拠点に整備する事業が2026年春にまとまる。土浦市と茨城県は25年10月、同エリアを「観光客が訪れる魅力ある空間」にする事業計画の提案事業者を公募した。12月中旬までに「複数の事業者から関心ありとの返答があった」(同市都市政策部)。市と県は26年3月に整備事業を実施する企業あるいは企業グループを選定し、霞ケ浦湖畔の土浦港周辺リゾート化計画を公表する。 「ラクスマリーナ」は事業者に譲渡 市と県が進めている「土浦港および周辺地区広域交流拠点整備事業」区域は▽A地区:湖底土砂浚渫(しゅんせつ)船などが利用する土浦新港(県施設)約2.7ヘクタール▽B地区:マリーナ(ラクスマリーナのヨットなどの係留・管理施設)と広場(市有地)約3.9ヘクタール▽C地区:「りんりんポート土浦(サイクリスト向け拠点施設)」区画(市有地)約1.1ヘクタール▽D地区:プレジャーボートなどが停泊する土浦港(県施設)約1.6ヘクタール―から成るエリア。 市はこの地域を霞ケ浦観光の拠点にすることを考えてきたが、市が手掛ける整備ではなく、発想や資金が豊富な民間業者に任せることにした。25年10月、複数企業から計画を提案してもらいベスト企業を選定する「公募型プロポーザル方式」で事業主体を選ぶと発表した。市と県は26年3月中下旬、事業者から出される提案内容を審査、同月末に1企業(グループ)に絞り込む。 担当者によると、市有地は選定された企業に売却せず、用地を賃貸する形になる。また、「りんりんポート土浦」は指定管理者制度の活用を想定している。一方、観光船やマリーナを運営する「ラクスマリーナ」(株式の100%を市が保有)については、湖畔整備を担当する企業に4065万円(予定価格)で全株を譲渡する。事業者から見ると、用地は自社所有にならないものの、マリーナ経営の自由度は確保でき、リゾート開発の「絵」は描きやすくなる。 会議場、マーケット、レストラン… 24年11月に市が行った「サウンディング(アイディア聴取)型市場調査」では、「水陸両用飛行機の発着場」(A地区)、「グランピング施設、温浴施設、会議場、スポーツ施設」(B地区)、「サイクルスポーツ施設」(C地区)、「マーケット、レストラン」(D地区)といった活用策が寄せられた。 市有地になっているB・C地区には、かつて、マリーナも経営する土浦京成ホテルが建ち、市を代表する宿泊・宴会・婚礼施設があった。ところが2007年春に経営難で閉鎖。その後、中堅不動産開発会社がホテル用地を買収、リゾート型マンションの建設を計画していた。しかし、2008年秋のリーマン・ショックで同社の計画は破綻。そこで2010年秋、市がラクスマリーナとホテル跡地を取得、霞ケ浦湖畔にふさわしい活用策を探ってきた。 土地取得から15年。市はやっと、①土地は売却せず賃貸②マリーナ会社は完全譲渡③県の2港施設も利用―をセットにした市有地活用案を策定、経営力がある民間事業者に湖畔のリゾート化を進めてもらうことになる。(坂本栄)