火曜日, 4月 7, 2026
ホームつくば自分の性に向き合う 「ヴィーガン」で「クイア」の2人が贈るレシピ集(下)

自分の性に向き合う 「ヴィーガン」で「クイア」の2人が贈るレシピ集(下)

3月につくばで出版されたヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」。作者のユミさんとヨニイさんは同書で、ヴィーガンのことだけでなく、性的マイノリティである自身がこれまでに感じた性自認についても触れている。2人は自身の性を、全ての性的マイノリティを広く包みこむ概念である「クィア」だと表現する。2人は周囲の無理解から悩みを感じてきたという。

「いつも自分のことを相手に隠したり、頑張って自分のことを説明したりしなければいけなかった。理解して欲しくてたくさんの感情とエネルギーを使ってきた。私はただここに存在していいはずなのに」とヨニイさんが思いを吐露する。ユミさんは「自分は間違っていないというのはわかっていた。でも生きづらさを感じてきた。隠さなければいけないという思いが少しずつ自分の心の中に積もっていくのを感じていた」と語る。

カミングアウト

ヨニイさんが初めて自身の性を周囲に伝えたのは中学時代、韓国でのことだった。「女子中学だったので、かっこいい先輩がいるとみんなが『きゃー』ってなるんですよ。それで自分も(女性に好意を持つことは)自然なことだと思っていた」。

自分の気持ちを隠さず伝えていたヨニイさんは、高校でも「隠さずカミングアウトをしていた」と話す。否定的な反応もあったけど、気にはしなかった。

「自分のセクシャリティを隠したまま人と出会っても、後から伝えて嫌がられると辛い。それなら最初から『私はこんな人です』と言った上で仲良くなる方が楽」。そう明るく話すヨニイさんだが、両親には最近まで伝えられなかった。

「両親に伝えたのは去年の春頃。すごく保守的な家なので、嘘をつき隠していた。でもそれが嫌で、隠すのをやめて全部話した。否定的なことも言われてその瞬間だけは辛かった。でも、両親も慣れてきた様子。結婚や子どもの話をされる度にプレッシャーを感じていたが、それがなくなりすごく楽になった」

近所の公園を散歩するヨニイさん(左)とユミさん

髪を切り、本当の自分に出会う

ユミさんは自分の性にどう向き合ってきたのか。家族と暮らしていた幼少期をこう振り返る。

「小さい頃から男の子と遊びたかった。でも、歳を重ねるごとに難しくなった。小学校に入って男の子と遊んでいると『お前、あいつの彼女なの?』とか、『なんでここに女がいるの?』と言われて、『ああ、私って女なんだな』って思うようになった。でも、女性的な振る舞いや遊びに馴染めなかった」

周囲に「女性」としての形を押し付けられたユミさんは、自分の性に違和感を感じ始めた。「私はボーイッシュな髪型にしたかった。でも実家のある郊外では、周りにそんな女性はいなかった。好きな髪型にしていいなんて思えずに大学生になった。ただ、ずっと実家に住んでいたので、私のことに家族もなんとなく気付いていた気がする。私は隠すつもりはなかったけど、わざわざ言うのも気まずい。それで結局、隠している状態になっていた。それがストレスだった」

大きな変化は大学生の時に訪れた。短髪にしたのだ。「思い切ってメンズカットにして『これが本当の自分だ!』って思えた。これで隠れずに生きられるって」

一歩を踏み出したきっかけは、あるテレビドラマだった。「アメリカのハイスクールドラマで、様々なマイノリティが出てくる。アジア系の人、車椅子の人、セクシャルマイノリティーの人。みんないきいきと自分を表現していた。『私もこうしていいんだ』って思えた。それで、似合わないかもしれないけど私も髪を切ってみようって思えた。それがきっかけになり、どんどん勇気を振り絞れるようになった」

短く整えられたユミさんのヘアースタイルに思いがこもる

自分の体を取り戻す

テレビドラマを通じてユミさんは、性的マイノリティとして生きる自分以外の人を知り、背中を押された。一方でヨニイさんは、今も複雑な自身の性について答えが出せずにいると話す。

「まだ悩んでいる。私は昔から女性に好意を持ってきたから、男性になった方がいいんじゃないかとずっと悩んでいた。でも、やっぱりそれは違う気がしていた。私は男になりたくないって思った。大学では周囲と英語でやりとりしているが、自分の代名詞が『He(彼)』なのか『She(彼女)』なのか考えると、『He』だと違和感があるけど、『She』なら大丈夫だと思える。『They(彼ら、性別を問わない)』でも違和感はない。でも正直なところ、私は自分をラベリングするのに疲れている。今は『クイア』という言葉が一番しっくりきている」と、今の気持ちを率直に語る。

自身の性に向き合うヨニイさん

ユミさんは、揺らぐ自身の性認識に向き合う中で、次第に「自分は何者なのか」という問いへの答えを見つけ始めている。

「私は自分が男になりたいわけではないけど、女性としての役割を担うのはキツかった。それじゃ男なのかなってめちゃくちゃ悩んでいた。そんな時にある本と出会い、男女どちらの性別でもない『ノンバイナリー』という存在を知って、自分は男でも女でもないんだって気がついた。すごくスッキリした。『これが私だ。こう名乗っていいんだ』って思えて自分に自信を持てるようになった」

もう一つ、大きなきっかけになった出来事として、大学を卒業し実家を離れて経験したあるエピソードがある。

「私、就職してからタトゥーを入れたんです。腕と手首に、五百円玉サイズの太陽と雲を。その時、本当にうれしかった。『私は自分の体のことを自分で決めたんだ。その権利を証明できたんだ!』って。『これが私の人生だ』って思えた」

ユミさんの手首には初めて入れた雲のタトゥーがある

そう話すとユミさんは、「性」に対する考えをこう言葉にした。

「性別は社会的なもの。本当はスペクトラム(連続した境界のない状態)なはず。私は周りに自分が何者なのかを決められてきた。でも、自分が男でも女でもない『ノンバイナリー』だと思えるようになって、性の呪縛から解放された気がした。心地よかった。『もう他人から女性と呼ばせない』という思いが湧いてきた」

「大丈夫」と伝えたい

ヴィーガンでクィアである2人にとって互いの出会いが持つ意味は大きかった。ヨニイさんがユミさんとの出会いを振り返りながら、こう呼び掛ける。

「私はユミと出会えたことでとても楽になった。クィアでヴィーガンの人には本当に出会えない。マイノリティーの中の、さらにマイノリティーなので。1人で暮らしていると『私だけがおかしいんじゃないか?』と思ってしまうこともあった。でも同じ価値観の人に出会えて『私はおかしくないんだ』と思えるようになった。もし今、悩みを抱えている人がいたら『大丈夫』と伝えたい。安心してほしい」

ユミさんは、今後についてこう話す。

「私はヴィーガンのハードルを下げたいと思っている。そして、クィアカップルがいることが自然になるように、私たちも自然に暮らし続けたい。私たちはこんな存在で、ただここに存在していい。そんな場所が増えるといいと思っている。そのために自分の経験が誰かの役に立てばいい」

「自然に暮らし続けたい」と話すユミさん

光州事件のパネル展開催

冊子で2人は、ヨニイさんの故郷である韓国・光州市の歴史にも触れている。光州では、韓国が軍事政権下にあった1980年5月18日、民主化を求める学生デモに対して政府が武力で応じ、以降10日間で多数の市民が犠牲になる「光州事件」が起きた。光州では今も、忘れてはいけない悲劇として日常的に語り継がれている。

今回、冊子の発行元である、つくば市天久保のブックカフェ「サッフォー」では、冊子発売を記念して「光州5.18民主化運動を記憶する」として関連書籍の特設コーナーを設けるとともに、4月27日から始まった光州事件を紹介するパネル展が開催中だ。

冊子の企画・編集を手がけたサッフォー店主の山田亜紀子さんによると「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は同店にとっては2冊目の出版企画となる。山田さんは今回の冊子制作について、「人権の向上を願っての企画。2人の想いは、日常をシェアすることで『私たちはナチュラルに生きている』と知ってほしいということ。地方で、楽しみながらヴィーガンをやっているクィアカップルがいるんだよと、多くの人に知ってもらいたい。色々な人に届くといい」と語った。(柴田大輔)

「本と喫茶サッフォー」の店主・山田さん(右)と、ハンガン・ビーガンの2人 =本と喫茶サッフォー

終わり

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

開幕戦は引き分け つくばFC

1年で1部復帰目標 第60回関東サッカーリーグが4日開幕した。2部男子のジョイフル本田つくばFC(本拠地つくば市)は5日の開幕戦でオノデラFC(本拠地 横浜市)と対戦、互いに決め手を欠き、0-0の引き分けで終わった。開幕戦はホームのつくば市山木、セキショウ・チャレンジスタジアムで開催された。 第60回関東サッカーリーグ2部 第1節(4月5日、セキショウ・チャレンジスタジアム)つくばFC 0-0 オノデラFC前半0-0後半0-0 つくばFCは1年での関東リーグ1部復帰を目標に掲げ、開幕に向けて2カ月前から準備に取り組んできた。試合前半はその成果が出て、相手のシュートを0本に抑えつつ、ボールを保持して主導権を握る戦いができていた。だが後半はボールへの出足や運動量が鈍り、押し込まれて後手に回るようになった。最終的に、後半だけで7本のシュートを相手に許している。 「無失点で粘れたことは非常に良かったし、前半は良い守備から良い攻撃という形で、何度も相手ゴールに迫ることができた。だが後半は相手が戦い方を修正し、準備が整っているところへ自分たちが飛び込んでいく形になってしまった」と楠瀬章仁監督。 「陣形が間延びして中盤でセカンドボールを拾われ、自分たちがボールを前へ送っているつもりでも、逆に押し込まれる展開を作られてしまった。攻撃しながら守備もしっかりイメージしないといけないし、守備から攻撃への連動も必要。攻守が表裏一体でつながっている部分は、チームとしてもっと突き詰めないといけない」と菅谷将人主将。 楠瀬監督は「今日は前の動き出しが少なく、長いボールが増えてしまった。そこには開幕戦の緊張や負けたくないという思いもある。次は緊張もほぐれると思うので、フォーメーションやシステム、ボールの動かし方を調整し、もっと自分たちの目指すサッカーをやりたい」と強調する。 若手とベテランの良いバランス 今季新規加入選手の一人に関口訓充がいる。かつてベガルタ仙台や浦和レッズなどで活躍し、日本代表にも選出されたミッドフィルダーだ。5日は2列目の中央で先発し、攻撃のスイッチを入れたり、自らゴール前へ走り込んだり、ボールを落ち着かせたりなどチームの要として90分間走り続けた。「つくばはチームの雰囲気が明るく、若くて野心ある選手が多い。もっとやれるし、もっと上へ行かないといけないチーム。昇格のために少しでも力になりたい」と話す。 楠瀬監督も現役時代はヴィッセル神戸や松本山雅FCで活躍。こうした経験豊富な人材から、若い選手が学ぶことは多いはずだ。 「関口は言葉でもプレーでもチームを引っ張り、いい流れをもたらしてくれる存在。他の選手はそれに引っ張られているだけでなく、追い越していかないとトップレベルへは行けない。選手として非常に大切なこと」と楠瀬監督。 「若い選手も自分をしっかり表現することでは全然劣らず、前向きなパフォーマンスを見せている。そこで少しの食い違いやバランスの悪さを感じた時に、広い視野で働きかけるのが自分や関口の役割。経験豊富な選手にうまく頼りつつ、任せきりではなく協力し合ってチームの力を引き上げていきたい」と菅谷主将は目論む。 開幕戦でつくばFCは勝ち点1を獲得し、順位は10チーム中5位。次節は12日、とちぎフットボールセンター(栃木県矢板市)でヴェルフェ矢板と対戦する。(池田充雄)

里山に響く若者たちの声《宍塚の里山》134

【コラム・齋藤桂子】宍塚の里山には、月1回、法政大学のサークル「キャンパス・エコロジー・フォーラム(略してキャンエコ)が通ってきています。初めて来たのが2002年11月と聞いていますから、今年で24年になります。私がキャンエコと活動するようになってから10年になります。私の体力は少しずつ低下する一方で、学生たちのエネルギーはますます々アップしているように感じます。 最近の参加人数は、平均すると30人ほどですが、50人に達することもあります。具体的な活動内容は、外来魚や外来植物の駆除、雑木林での落ち葉かき、増え過ぎた植物の伐採や抜き取り、竹細工、溝さらいなどですが、彼らの表情はいつも明るく楽しそうです。 最近は、学生たちからの「〇〇をやってみたい」という提案で始める活動が増えています。提案は、学生の代表から出る場合もありますが、1年半前から実施している活動後のアンケート結果から生まれることもあります。その結果、生き物調査、里山ダンスの創作、山道の階段づくり、森の看板づくり、森づくり、ピザづくり、竹炭づくりなどの活動が進行しています。 これらは、全員でやるよりも数人で取り組んだ方が効率が良いので、希望者を募ってプロジェクトチームを結成して進めています。 階段づくりプロジェクトチームは5人で結成し、昨年11月からの3回で二つの階段を造り上げました。仲間と試行錯誤しながら仕上げたときの達成感は、この上ない喜びとなったことでしょう。寒い中で顔を真っ赤にして汗を流す彼らの表情は、喜びと充実感がみなぎっていました。活動後の反省文に「またこのようなプロジェクトに参加してみたい」とありました。 今日は一番楽しかった さまざまなプロジェクトは、まだ始まったばかりですが、細分化されればされるほど私1人の力では動かすことが難しくなります。しかし、宍塚の会の方々はみなさん協力的で、学生の気持ちに寄り添いながらサポートしてくれます。里山に集まってくる人たちは、やさしさも一緒に連れてくるような気がするのは、私だけの感覚でしょうか。 学生たちの活動が活性化しているもう一つの要因は、彼らが上手にSNSを使っていることだと思います。アンケート調査と集計はネットでやっています。また、事前に私から活動内容を受け取ると、代表が参加者の希望を聞きながらグループを決め、里山に到着した後、すぐに活動に入れるようになっています。 キャンエコ代表の任期は、10月から翌年の9月までです。昨年10月、新代表が初めて35人のメンバーを連れて里山にやってきました。代表としての初日、さぞかし緊張しているのだろうなと見守っていましたが、活動後のあいさつで「代表になって初めての活動でしたが、今日は今までで一番楽しかったです」と、ニコニコ顔で話した瞬間、みんなの拍手が里山に響き渡りました。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

切り捨て《短いおはなし》

【ノベル・伊東葎花】 2100年、人間は2種類に分けられる。AIを使う人間と、AIに使われる人間。約7割の人間は、AIに使われている。AIロボットの指示で働き、失敗すると容赦なく切られる。切られた人間はスラム街へ流れ、一生這い上がれない。 私はもちろんAIを使う側の人間。 「おはよう、アンジー、西区の売り上げを出してちょうだい」 「かしこまりました。ケイト様」 「Bブロックの業績が悪いわ。原因は何だと思う。アンジー」 「ロボット30台に対し、人間200名は多いかと。人件費が無駄です」 「そうね、50名ほど切りましょう。ピックアップお願い」 「承知しました」 AIロボットは、人間みたいに迷わない。的確に、能力が低い人間を切り捨てる。 「ケイト様、今日はマリアさんのバースデーです」 「あら、そうだったわ。ぬいぐるみでも贈っておいて」 「ケイト様、マリアさんは12歳です。アクセサリーがよろしいかと」 「そう。じゃあアンジー、お願いね」 結婚はしていないけど娘はいる。遺伝子を残すために作った娘。それがマリア。研究施設に預けて、優秀な子育てロボットに全てを任せている。面会は年に一度。成長を確認しに行くだけ。 今日はマリアとの面会日。高級なお菓子を持って、研究施設に行った。ここには人間の大人はいない。完璧なシステムを組み込んだAIロボットが、食事から学習、運動能力から就寝まで管理する。「いらっしゃいませ、ケイト様」 「こんにちは。マリアはどこかしら」 「マリアさんはC棟です」 「C棟? そんな施設あったかしら」 オートカートに乗って着いたC棟は、まるでスラム街のようだ。すさんだ目の子どもたちが、私からお菓子を奪ってむさぼるように食べた。ひどい場所。こんなところにマリアがいるはずない。 「ママ」 振り向くと、マリアがいた。擦り切れたジーンズを履いている。 「マリア、いったいどうしたの? ママが送った服は?」 「高価な服は、落ちこぼれ棟には回ってこない」 「落ちこぼれ? マリアが?」 「そう。あたし勉強できなくて、AI先生に切られたの」 「何ですって?」 「でもね、こっちの方がいい。自由だもん」 何てこと。信じられない。私はすぐに、施設長に苦情を言った。 「多額の寄付をしているのに、どういうことなの?」 「マリアさんは、われわれの理想とするレベルには程遠いです。よって、切り捨てました」 「切り捨てた?」 「私たちはそのようにプログラムされておりますので」 「戻しなさい。すぐにマリアを戻しなさい」 AI警備隊によって、私は外に出された。クレーマー対応ボタンが押されたのだ。 能力が低ければ切り捨てる。すべて私がAIにやらせていたこと。それが正しいと信じていたこと。混乱しながら、フェンスを伝って歩いた。 「ママ、バイバイ」 C棟の前で、マリアが無邪気な顔で手を振った。娘の笑顔を初めて見た。そして私は、初めて泣いた。 (作家)

10年の区切りに…《令和樂学ラボ》40

【コラム・川上美智子】45年にわたる大学勤務を70歳で終えて、ちょうど10年が過ぎた。老後の時間をどのように過ごすかは、誰にとっても大きな課題であろう。それまでの経験を生かして生きがいを持ちながら、自分を活かす方法を探ってきた10年間の足跡を総括してみた。 大学では73歳まで非常勤講師として勤務できることから、3年間は週2コマ程度の授業を担当しながら、新たに水戸に開設された民間の認可保育園の園長を3年間務めた。大学勤務の時に茨城県初の認定こども園設置のモデル事業を担当した関係で、幼児教育には少しはなじみがあったが、保育現場で発生する課題の多くを知る3年であった。 ここで学んだ経営管理手法を生かし、つくばの認可保育園「みらいのもり保育園」開設に関わることになり、準備期間1年、園長4年を務め、その後は会社のアドバイザーの立場で関わりをもっている。今年の3月にはゼロ歳児であった園児が卒園を迎え、旅立ちの姿を見届けることができた。 毎年、園児には卒園制作として陶芸体験をさせ、ペンダントを作らせている。どの子も思い思いにユニークな形に練り上げ、出来上がりをとても楽しみにしてくれる。卒園後、宝物やお守りのように大事にしてくれる子もいる。こちらも、大学生や院生に卒論や修士論文を仕上げさせた時のように、一緒に小さな達成感を味わっている。 これと並行して某社を訪問し、週1~2時間、野菜関係の商品開発や研究などについて社長より相談を受けている。こちらは、筆者の専門領域を生かせる分野であり、研究や学びの継続につながっている。 またNPO活動の「子ども大学常陸」では、長らく学長と理事を務めており、年1回、小学生を対象に大学レベルの授業をわかりやすく行っている。このNPOでは、若い理事長が積極的に動いており、日立駅前の子どもの屋内型遊び場「Hiタッチランド・ハレニコ」運営の指定管理を日立市より受けていて、ほぼ年中無休で開館している。 さらに先日は、高萩ユーフィールド運営会社と連携協定を結んだ。屋内だけでなく、緑豊かな自然環境の中での子どもたちの体験活動プログラムを展開して、広く子どもの育ちを支援できればと考えている。 ボランティア活動にもいろいろ関わってきた。ロータリー活動の一環で、水戸市内の子どもの遊び場の玩具の清掃、年1回の障害のある子どものアート展開催、子どもフードパントリーの手伝いなど、また学区内の学校運営協議会への参加、町内会長としての防犯パトロールなど、高齢なりに地域活動ができたと思う。 次の10年こそは… 趣味が高じた陶芸活動にも少し欲が出てきている。暇を見つけての作陶で一つの作品を作るのに時間はかかるが、展覧会に出す大型作品の制作だけはずっと続けて行きたいと考えている。 地域に役立つことと自己表現に力を入れた10年であったように思うが、本当に短かった。次の10年こそは、断捨離と研究の整理など先延ばしにしてきた自分のことをやり、子どもや孫と過ごす時間も大切にしたいと思っている(関彰商事アドバイザー、茨城キリスト教大学名誉教授)。