【コラム・田口哲郎】
前略
コロナ禍では国土開発について、首都一極集中からの脱却と地方再生が謳(うた)われました。テレワークの推進や移住の促進で首都圏から地方への人口移動がなされた感じがします。阿見町は人口が5万人を突破しましたね。
でも、コロナ禍が一応の収束をみて、改めて見るとどうでしょうか。テレワークもとりあえずなんとなく減っている感じで、出勤が増えているような気がします。3月のダイヤ改正で、常磐線の品川駅〜土浦駅間は、10両編成の列車から15両編成列車への輸送力増強がなされたそうです。東京に通う人が増えているということなのでしょう。
そうなると、また常磐線の取手駅から土浦駅あたりは東京中心のベッドタウン化してしまうのではないか…。そんな予感が頭をよぎります。
たしかに、コロナ禍という災禍によってテレワークという、ずいぶん前から実用可能だった技術によって、物理的な人間の移動が不要な画期的な便利さが世に知らしめられたのは大いに良いことです。東京の街を歩いていても、以前のような全体的で慢性的な混雑はなく、インバウンドの旅行客で観光スポットは混んではいるものの、日本人の数は減っているようにも見えます。
それでも、首都東京の特権的な地位というのが、またじわじわと復活しているのは確かだと思います。この流れは止められないものなのか、とモヤモヤしていたのですが、東京を中心とする地方と中央の間の移動はいまに始まったことではなく、江戸時代にもあったことを知り、そうか仕方ないか、と思いました。
人の移動は経済効果を生む
ご存知の通り、江戸時代には参勤交代があり、外様大名は1年おきに国元と江戸を行き来しました。今のように数時間で東京に着ける時代ではないので、大名行列は道中、いくつもの宿場町に泊まり、そこで多額のお金を落とす。宿場町がある藩はその恩恵にあずかることができます。
人間が移動することは経済を動かすという視点に今さらながら気づかされました。逆に人間が移動しないと、経済圏がブロック化して、金の回りが鈍くなるような気がします。
コロナ禍は新たな可能性を示す結果になりました。でもそれを追求するばかりでは良くない。古来の人間の移動が経済のためにも大切だ。そもそも人間は「動」物なのだから。そんな必要性がまたじわじわと再認識されて、アフター・コロナのテレワークの減少につながっているのかもしれません。
そう考えると、人間の移動も無駄ではないし、茨城県南の街がベッドタウンとしての本領を発揮するのも悪いことではないと思えてきます。ごきげんよう。
草々
(散歩好きの文明批評家)