水曜日, 8月 5, 2026
ホームつくば次長級の統括監を新設 つくば市人事異動’24

次長級の統括監を新設 つくば市人事異動’24

つくば市はこのほど4月1日付人事異動を内示した。次長級の職として統括監を新設し、各部局が所管する公共施設の管理や長寿命化を担当する。異動総数は、再任用、組織改編に伴う部署名変更などを除き全体の21.6%の300人。23年度から市職員の定年引き上げが開始され61歳になったことにより3月末の定年退職者はゼロ。再任用を除く普通退職者は39人、新規採用は66人で、4月1日付全職員数は前年度に比べ27人増えて2087人になる。

係長以上の管理職は前年度から9人増え609人。管理職の昇格者は同比32人減り88人。女性管理職の割合は前年度より0.1ポイント減って25.8%になる。

国、県などとの人事交流では、文科省から政策イノベーション部長を迎えるほか、国、県などに8人の実務研修生を派遣する。

組織改編では、ダイバーシティ(多様性)を一体的に推進するため市民部の男女共同参画室を市長公室に移し、ダイバーシティ推進室に名称変更する。こども部は、子育て家庭を包括的に支援する体制を構築するため、健康増進課の母子保健係をこども未来課に移し、名称をこども未来センターに変更する。

政策イノベーション部は、国政調査等、統計業務の推進やデータ利活用の強化のため企画経営課に統計係を、情報政策課にデジタル推進係を新設し、根拠に基づいた新たな政策立案を推進するためとして21年度に新設した統計・データ利活用推進室を廃止する。

財務部は、未利用の市有地利活用を一体的に進めるため、公共施設マネジメント推進室を都市計画部の公有地利活用推進室と統合し、公共資産利活用推進室を新設する。経済部は産業用地の創出を推進するため、産業振興課に立地推進室を新設し、プロジェクトチームだった産業用地検討室と都市計画部の地域開発振興室を廃止する。建設部は都市計画道路の整備に重点的に取り組むため、都市計画道路整備推進室を課に昇格させる。

保健部は、新型コロナが5類に移行し全額公費によるワクチン接種が3月末で終了することなどから、新型コロナウイルス対策室を、他の感染症対策と一体的に推進するため予防接種・感染症対策室に変更する。消防本部は予防広報課を予防課に変更する。

◆4月1日付け人事異動は以下の通り。カッコ内は現職。敬称略。

【部長級】
▽政策イノベーション部長(文部科学省)髙橋安大

【次長級】
▽総務部次長兼人事課長(人事課長)松本光由
▽総務部次長兼法務課長(総務課長)沼尻浩幸
▽総務部政策法務監・教育局教育法務監(新規採用、任期付)大岩昇
▽政策イノベーション部次長(市民部次長)池畑浩
▽市民部次長(同次長兼市民窓口課長)中川伸一
▽市民部統括監兼統括地域支援監(同次長兼統括地域支援監)大木茂樹
▽保健部次長(こども政策課長)鈴木加代子
▽こども部統括監(経済部次長)大橋一彦
▽経済部次長(産業振興課長)柳町哲雄
▽経済部統括監(同部次長)岡田克己
▽建設部次長(総務部次長)山田正美
▽建設部建設政策監(同部次長)木村幸弘
▽生活環境部次長兼環境政策課長(同課長)渡邊俊吾
▽上下水道局次長(水道総務課長)小吹正通
▽上下水道局統括監(同局次長兼水道監視センター所長)渡辺高則
▽教育局統括監(保健部次長)中根英明
▽消防本部消防次長・消防本部担当(同次長・消防署担当)松岡幹夫
▽消防本部消防次長・消防署担当(同本部主任参事兼南消防署長)鈴木浩
▽消防本部主任参事兼救急課長(救急課長)中島昌美
▽消防本部主任参事兼消防総務課長(予防広報課長)高野順一

【課長級】
▽市長公室国際都市推進課長(危機管理課長)鬼塚宏一
▽市長公室危機管理課長(国際都市推進課長)岸田和克子
▽総務部総務課長(同課長補佐兼企画監)高野剛
▽総務部ワークライフバランス推進課(市民協働課地域改善対策室長)岡田健一
▽総務部人事課付参事(豊里交流センター地域支援監兼市民ホールとよさと)安田正幸
▽政策イノベーション部企画経営課長(開発指導課長)川原智彦
▽政策イノベーション部情報政策課長(情報政策課長補佐兼情報ネットワークセンター所長)石川玄壱
▽政策イノベーション部科学技術戦略課長(スマートシティ戦略監)中山秀之
▽財務部公共資産利活用推進課長(公有地利活用推進課長)岡野渡
▽財務部納税課長兼徴税管理監(市民税課長)高野克則
▽財務部市民税課長(同課長補佐)横田知巳
▽市民部つくば市民センター所長(企画経営課長)横田裕治
▽市民部市民窓口課長(下水道総務課長補佐)青木ゆかり
▽市民部大穂窓口センター所長(土地改良課長)森田幸一
▽市民部豊里窓口センター所長(桜交流センター地域支援監)吉岡直人
▽市民部筑波窓口センター所長(納税課長兼徴税管理監)柳田賢一
▽市民部スポーツ振興課長(中央図書館副館長)沼尻祐一
▽市民部地域支援課長(農業政策課長)根本隆
▽市民部筑波交流センター所長兼市民ホールつくばね館長(防犯交通安全課長)一瀬剛
▽市民部谷田部交流センター所長兼市民ホールやたべ館長(スポーツ振興課長)大久保正巳
▽市民部桜交流センター所長(つくば市民センター所長)荒澤浩俊
▽福祉部社会福祉課長(市民協働課長補佐兼企画監)中村銀華
▽保健部医療年金課参事、茨城県後期高齢者医療広域連合派遣(地域包括支援課長補佐)飯島良弘
▽保健部健康増進施設いきいきプラザ館長(社会福祉課長)宇津野功
▽こども部こども政策課長(広報戦略課広聴室長)木村真理
▽こども部こども育成課長(ワークライフバランス推進課長)桐生修
▽こども部こども未来センター課長(こども未来課長)中澤真寿美
▽経済部ジオパーク推進監兼観光推進課ジオパーク室長(観光推進課長)伊藤祐二
▽経済部産業振興課長(科学技術戦略課長)前島吉亮
▽経済部農業政策課長(同課長補佐)岡野清宏
▽経済部土地改良課長(公園・施設課長)山口義智
▽経済部観光推進課長(管財課長補佐)小川高徳
▽都市計画部建築指導課長(教育施設課長)鈴木聡
▽都市計画部開発指導課長(建築指導課長)中島隆志
▽建設部都市計画道路整備推進課長(こども育成課長)吉田和敏
▽建設部道路管理課長(同課長補佐)須藤文雄
▽建設部公園・施設課長(同課長補佐)山口嘉宏
▽建設部防犯交通安全課長(道路管理課長)入江一成
▽生活環境部環境衛生課長(同課長補佐)木村憲一
▽上下水道局水道総務課長(地域消防課長)水橋光一
▽上下水道局水道監視センター所長(環境衛生課長)石川太郎
▽会計事務局長(情報政策課長)飯塚喜軌
▽教育局学務課長(選挙管理委員会事務局副局長)笹本昌伸
▽教育局教育施設課長(地域支援課長)大口勝也
▽教育局筑波学校給食センター所長(地域支援課長補佐)倉持賢一
▽教育局つくばすこやか給食センターやたべ所長(筑波学校給食センター所長)渡辺寛明
▽教育局つくばほがらか給食センターやたべ所長(管財課公共施設マネジメント推進室長)田中聖史
▽教育局中央図書館副館長(同館長補佐)玉木正徳
▽選挙管理委員会事務局副局長(法務課長)渡邉健
▽農業委員会事務局農業行政課長(学務課長)下田裕久
▽消防本部地域消防課長(会計事務局長)小川英男
▽南消防署長(消防総務課長)品川豊
▽北消防署長(消防救助課長)北沢直弘
▽消防本部消防救助課長(参事兼中央消防署副署長)青木節
▽参事兼中央消防署副署長(中央消防署桜分署長)櫻井誠
▽消防本部予防課長(予防広報課長補佐兼予防係長)三浦春彦

【退職】3月31日付
▽政策イノベーション部長 藤光智香
▽谷田部交流センター所長兼市民ホールやたべ館長 間中和美

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

6 コメント

6 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

鹿島神宮を訪ねて《ふるほんや見聞記》19

【コラム・岡田富朗】今年は、12年に一度の午年(うまどし)に執り行われる鹿島神宮の「式年大祭 御船祭(みふねまつり)」が、9月1日から3日まで斎行されます。祭礼は、1日の勅使参向例祭(ちょくしさんこうれいさい)・神幸祭(じんこうさい)、2日の御船祭、3日の行宮祭(あんぐうさい)・還幸祭(かんこうさい)の3日間にわたって執り行われます。12年に一度、午年に斎行されるのは、十二支が一巡する節目であることに加え、午が方角では南、時刻では正午を表し、陽の気が最も盛んになると考えられているためです。この大祭には、「天下泰平」「諸願成就」「魔陣退散」の願いが込められています。 鹿島神宮では年間90を超える祭儀が執り行われ、祭頭祭(さいとうさい)や白馬祭(おうめさい)、流鏑馬(やぶさめ)など特色ある諸行事が数多く行われていますが、その中でも一番規模の大きな祭礼が御船祭であり、本邦内海で行われる御船祭としても最大の祭典です。開催期間中は多くの人出が見込まれるため、神宮周辺では交通規制が実施されるほか、シャトルバスが運行されます。 御船祭の起源は二千年以上前にさかのぼるとされ、平安時代より体系化され、世情に合わせその規模や形を変えることはあっても、現代まで脈々と受け継がれてきた祭礼です。 鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」(たけみかづちのおおかみ)は鹿嶋の地域だけでなく、日本全国を守護する神として古くから信仰されてきました。その御神威を広く全国に届けるため、祭礼の舞台となるのが、かつて「香取の海」と呼ばれた広大な水域です。現在の霞ケ浦や北浦、水郷地帯一帯に広がっていたこの内海は、古代には東国最大級の水上交通の要衝でした。 現在の御船祭は1870(明治3)年に再興されたもので、御分霊をお遷(うつ)した御神輿に約2000人が供奉して北浦湖岸の大船津へ向かいます。大船津河岸の大船津鳥居(西の一之鳥居)に御船祭の時期のみ設置される船着き場で神事が執り行われます。そこから色鮮やかな五色の吹き流しや龍頭を飾りつけた「御座船」を先頭に、幟旗や大漁旗を飾り付けた約100隻の供奉船(ぐぶせん)が約11キロをわたって香取市加藤洲に向かって進み、香取神宮のお迎えを受けます。 武甕槌大神と経津主大神 鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」と香取神宮の御祭神「経津主大神」(ふつぬしのおおかみ)は、ともに協力して日本の基礎を築き上げた神として神話で語られています。御船祭では、「今後も共に国の安寧のために力を尽くす」ことを確認することに重要な意義があるとされています。香取神宮では2026年4月に12年に一度の「式年神幸祭」を執り行い、「経津主大神」を鹿島神宮の神職がお迎えしています。 こうした歴史ある式年大祭を迎えるにあたり、2020年から5年7カ月にわたり、記念事業として境内の主要建造物を修繕する「令和の大改修」が進められてきました。6月には楼門改修工事の完了をもってすべての工事が終了し、修復を終えた楼門が参拝者を迎えます。楼門は1634(寛永11)年、水戸藩初代藩主・徳川頼房によって奉納されたもので、日本三大楼門の一つに数えられ、国の重要文化財にも指定されています。(ブックセンター・キャンパス店主)

筑波大、2年ぶりの皇后杯出場ならず 女子サッカー県予選 準優勝 

第32回茨城県女子サッカー選手権 兼 皇后杯JFA第48回全日本女子サッカー選手権関東予選茨城県予選は1日、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド)で決勝が行われ、筑波大学女子サッカー部とQOL IBARAKI MITO CIRUELA(シルエラ)が対戦、筑波大は0-1で敗れた。2年ぶりの皇后杯出場はならず、準優勝となった。 第32回茨城県女子サッカー選手権大会(8月1日、水戸ツインフィールド)筑波大0-1シルエラ前半0-0後半0-1 シルエラはかつてMITO EIKO FC茨城レディースとして活動していたチーム。2019年にFC水戸シルエラに改名し、22年に運営会社の移管に伴いFC QOL MITO CIRUELAに再改名し、この年関東女子サッカーリーグ2部に昇格した。25年には体制を一新、ゼネラルマネージャーに赤崎秀平さん(筑波大学、J1鹿島などでプレー)、アドバイザーに鈴木隆行さん(元日本代表、J1鹿島、J2水戸などでプレー)が就任し、監督には佐藤誠一郎さん(元水戸商高監督、前つくばFCレディース監督)を迎えた。 「前回対戦したときからスタッフも選手も替わっており、気を引き締めて臨んだ。前に足が速い選手がいて攻撃力があり、後ろの守備もしっかり固めている」と、筑波大の吉田拓矢監督は印象を語る。 試合では、前半は筑波大が圧倒的にボールを保持した。攻撃時は4-3-3、守備時は4-4-2のフォーメーションで、サイドからは左ウイングの戸塚環が両足を使ったステップやドリブルで敵陣を切り裂き、中央では大野羽愛から石原百華へのホットラインが機能していた。シルエラはパスの狙いは良いものの選手の動きと合わず、ボールをロストする場面が多く見られた。 前半の給水タイム以降はシルエラの動きが良くなり、筑波大のパスを巧みに刈り取る場面なども多く見られるようになった。後半に入ってもシルエラの勢いは続き、7分にはついにゴールを割られてしまう。左サイドのペナルティエリア横へ攻め込んだ相手選手を倒してしまい、直接フリーキックに。相手が中央で頭で合わせたボールを一度ははじき返したが、こぼれ球を押し込まれ、これが決勝点となった。「ファールを取られた位置も、はじき返した位置も悪かった。壁が壁として機能していない。最後の寄せをチームとして徹底しなくては」と、筑波大主将でDFの山崎琳の反省の弁。 筑波大の次の目標は、関東大学女子サッカーリーグ1部への復帰。2部リーグ優勝なら自動昇格、3位以内なら入れ替え戦の機会が与えられる。「いま5位で残り5試合。取りこぼしは許されない」と吉田監督。そのためには今日の敗北も糧にしたいところ。「1試合の中でチャンスはそう何度もない。決めるところを決めきることが大事。うまいから勝てるわけではない。勝ちきるメンタリティーも鍛えなくては」と、9月末からのリーグ戦再開に備える。(池田充雄)

バイシクル・ダイアリーズ ⑷《ことばのおはなし》95

【コラム・山口絹記】前回記事では、人生初の本格的なサイクリングがヒルクライムになりつつあるところまで書いた。 冷静に振り返ってみると、私がこんな無謀なコトに及んだのにはそれなりの理由があるように思う。つくば市に暮らし始めて10年以上たつのだが、実はつくばの中心部の街並みには坂がほとんどないことを意識せずに暮らしてきた。したがって、普段ロードバイクで走る分には坂道を経験したことがなかったのだ。平地に飼いならされていたと言ってもよいだろう。 そして、今回のライドにおける前半30分、約10キロが実はずっと下り坂だったことに私は気が付いていなかった。初心者の私でもしっかりペダルを踏み込めば時速40キロ以上出せることを、自分のバイクの性能ゆえと思い込んでいたのだ。ロードバイクってこんなに速いんだ! すごい! 端的に言って間抜けである。 平坦と思い込んでいた下り坂の爽快な記憶をひきずったまま、私はヒルクライムを開始した。何かつらいけど、まぁなんとかなるだろう、そう思った。実は、私が走っていた道は「八幡高原チャレンジコース」という名のコースの一部で、中上級者向けの山岳コースという位置づけになっているらしい。 走行開始から2時間30分、短い下りから突然の上り坂、獲得標高にして760メートルで両脚を激しくつった。下りで重くしていたギアのまま、上りに突入したのが原因だ。ショルダーバッグを投げ捨てたくなるのをこらえ、坂道に罵声を浴びせ、悲鳴をあげながらバイクをひいて歩いて登る。食料はない。持ってきたのは水500ミリリットルだけ。軽い遭難である。 走行距離42キロ、3時間40分 そこから45分かけて、もう一度短い下りを挟んだ上り坂を悲鳴と愚痴を吐き散らしながら標高1040メートルの八幡崎に登頂した。獲得標高959メートル。少し曇ってはいたが那須野が原の景色が広がっていた。なんてこった、ちょっと気持ちいい。 帰りはほぼ下り坂だ。延々と苦しんだ登りを15分で下ることができた。総走行距離は42.21キロ、約3時間40分のライドだった。 記憶領域の小さい私の脳みそに残ったのは、那須野が原の景色と下りの気持ちよさだったのだろう。帰ってきた3日後の5月6日深夜、偶然「ツール・ド・つくば2026」のエントリーページを見つけた私は、深く考えずにその場でエントリーした。ツール・ド・つくばのコースは全長約12キロ、高低差約500メートルだという。途中から歩いたとはいえ、すでに私は脚がつるまでに760メートル登り、距離にしたら40キロ以上走っているのだ。 翌日、過去のツール・ド・つくばの映像をYouTubeで見た私は凍り付いた。なんかみんなピチピチの服にサングラスをつけて走っている。こんな服持ってない。というか、思ったよりだいぶ本格的である。まずいかもしれない。大会の本番は5月31日。あと3週間である(言語研究者)

最期の1週間、家では何が起こるのか?《看取り医者は見た!》54

【コラム・平野国美】患者さんのご家族から受ける相談には、いくつか共通するものがあります。その代表が、この問いです。「先生、あとどれくらいなのでしょうか?」。その奥にあるのは、残された時間の長さへの関心だけではありません。「これから家で何が起こるのか、自分たちで看られるのか」という不安です。病名は理解していても、その先の日々に何が起こるかは、案外、誰も知らないのです。 私は23年にわたる訪問診療で、3400人ほどの患者さんの最期に立ち会ってきました。その経験から言えるのは、人生の最終盤の1週間には、多くの方に共通する「ゆるやかな道筋」があるということです。それを知っているかどうかで、ご家族の1週間はまったく違うものになります。 まず、食が細くなります。ご家族はここで一番動揺されます。「食べないから弱るのではないか」と。しかし順序は逆です。体が「店じまい」の支度を始めたから、食べなくなるのです。この時期の体は、栄養を受け取る力そのものを畳みつつあります。無理に食べさせることは、むしろ本人を苦しめることがあります。好きなものを一口、ふた口。それで十分なのです。 次に、眠る時間が長くなります。ウトウトと、1日の大半をまどろみの中で過ごすようになる。呼びかけへの返事が減ると、ご家族は「意識がなくなった」と悲しまれますが、耳は最期まで働いていると私たちは考えています。返事がなくても、声は届いています。 そして最後の数日、呼吸の仕方が変わります。喉の奥でゴロゴロと音がしたり、あごを上下させるような呼吸になったりします。初めて見るご家族には、苦しんでいるように見えます。夜中にこの呼吸が始まって、救急車を呼ぶべきか迷ったという話を、私は何度も聞いてきました。しかし、これは死前喘鳴(ぜんめい)、下顎(かがく)呼吸と呼ばれる、体が閉じていく自然な過程です。本人の意識はすでに深いところにあり、見た目ほどの苦痛はないとされています。 最期は医療でなく家族の出番 以前、看取らせていただいたある男性のご家族には、この道筋を初診の日を含め、何度かお伝えしてありました。最期の夜、例の呼吸が始まったとき、娘さんは慌てませんでした。「先生の話していた呼吸だ」と気づき、救急車ではなく、父親の手を握ることを選ばれました。翌朝、私が死亡診断に伺うと、娘さんは泣きながら、しかしどこか晴れやかに言われました。「最期まで家の音の中に居させてあげられました」 死の間際の変化は、知らなければ「異変」ですが、知っていれば「道筋」です。異変には救急車で応じるしかありませんが、道筋とわかれば、手を握って寄り添うことができます。最期の1週間に家で起こることの多くは、医療の出番ではなく、家族の出番なのです。 そして、その道筋を前もってご家族に手渡すこと。それが私たち訪問診療医の、処方より大事な仕事なのかもしれません。(訪問診療医師)