日曜日, 6月 7, 2026
ホーム暮らし葦舟レースで水質浄化を 3月2、3日 霞ケ浦

葦舟レースで水質浄化を 3月2、3日 霞ケ浦

霞ケ浦の高須崎公園周辺(行方市玉造甲)で3月2日から3日にかけて「ニホンウナギ杯争奪 第4回霞ケ浦葦舟(あしぶね)世界大会」が開催される。1日目は湖岸で参加者自らアシを刈り取って葦舟を作り、2日目は自ら漕いでレースをするというユニークな大会だ。

長年、霞ケ浦の水質浄化に取り組んできた市民らでつくるNPO霞ケ浦アカデミーと、行方カヌークラブが主催する。

「どうせやるなら大きく『世界大会』と付けて、霞ケ浦をメジャーにしていこうと企画した」と語るのは、主催団体の霞ケ浦アカデミー理事長の荒井一美さんだ。同団体は、2000年から石岡市で始めた市民講座を前身に、04年に活動拠点を現在の行方市に移した。08年から霞ケ浦の自然環境の保全活動と地域資源を活用した教育活動を行っている。

「最初『世界大会』って聞いた会員の皆さんからは『えー』って驚きの声が上がったが、回を重ねるごとにだんだん皆、本気になってきた、という形ですね」と、荒井さんは笑みを浮かべながら、大会の目的を「霞ケ浦の現状を知ってもらうこと。そして環境の改善」だと話す。

ワークショップに参加し湖岸でアシを刈り取る小学生

湖とのつながり取り戻したい

全国で2番目の広さを持つ霞ケ浦。夏から秋にかけて、名物のワカサギ漁などで活躍した白い帆を張る帆曳船が、観光用に運行されている。ただこのワカサギも、1965年に年間2000トンを数えた漁獲量が2022年は17トンにまで減少している。原因の一つとして指摘されてきたのが水質悪化だった。

1963年に現在の神栖市にあたる常陸利根川と利根川との合流地点に、海水の逆流を防ぐ「逆水門」が造られた。目的は、霞ケ浦湖岸地域の洪水対策と、塩分が含まれる湖水による土壌への塩害対策、首都圏の水資源確保だ。水門を閉鎖以降、霞ケ浦は淡水湖となった。

水門閉鎖後に進んだのが「水質悪化だった」と、同会事務局長の菊地章雄さんが語る。時代は高度経済成長期。人口が増えた周辺地域の市街地や農地から湖に注ぎ込む生活排水、農業排水が、多量の窒素化合物やリンを運び込んだ。湖水は「富栄養化」状態になり、1973年にはアオコが大量発生し、75年には湖水浴が禁止されている。水質悪化はシジミやワカサギなどの水産資源の減少にも影響したとされる。

菊地さんは、減少する水産資源の象徴として二ホンウナギをあげる。1960年代には霞ケ浦と利根川のウナギ漁獲量は全国の67%を占めていた。霞ケ浦は日本有数のウナギ生息水域だったのだ。

こうした歴史を踏まえて「もう一度、霞ケ浦をかつてのきれいな湖にすることで、人の暮らしと湖のつながりを取り戻したい」として発案されたのが葦船大会だった。冠した「ニホンウナギ杯」に、かつての霞ケ浦復活への思いを込めた。

自身も小学生から活動に参加してきたという霞ケ浦アカデミー事務局長の菊地さん(中央)。「次世代に活動への思いを伝えていきたい」と語る

アシを刈って使う文化を

同会が葦船製作を始めたのは2016年にさかのぼる。菊地さんは「かやぶき屋根などにも使っていたように、アシは人が最も身近に利用していた植物の一つ」であるとし、こう話す。

「アシは、富栄養化の要因である水中の窒素やリンを養分として吸い取り、水質を浄化させる働きがある。一方で近年はアシが利用されることがなくなり、せっかく水質悪化の元になる養分を吸い取っても、そのまま枯れて水の中にとどまってしまう。これでは意味がない」

「アシは人が定期的に刈り取ることで新しく生えてくる植物。里山のように、環境の維持には人の手を必要とする。アシが当たり前に使われる文化を定着させるためにも、多くの人が関われる、規模の大きな大会にしたかった」

葦舟を作るために大会参加者が湖岸のアシを刈り取ることで、アシが吸い取った霞ケ浦の窒素やリンは湖の外に持ち出され水質浄化に寄与する、さらに人工的な護岸堤に復活しつつある植生帯を手入れすることにもつながるというのだ。

大会に先立って1月末、葦船づくりのワークショップが開かれた。8年目を迎え、参加者の約半数をリピーターが占め、つくばや水戸など県内以外にも、岐阜など他県からも訪れている。

ペルーとボリビア大使館に招待状

「世界大会」と銘打ってはいるものの、これまでに外国チームの参加には至っていない。それでも地域で暮らしているベトナムやモンゴルの人たちに積極的に声をかけてきた。同会の荒井理事長の夢は大きい。

「目的は、あくまで霞ケ浦の環境改善。そのためには壮大だが、世界の人に関心を持ってもらい連携を図りたい。今回は(神話に葦船が登場するチチカカ湖がある)南米ペルーとボリビアの大使館に招待状を送った。いつか現地から本場のチームに来てもらえたらうれしい。今後の交流に繋げたい」と話す。

「『霞ケ浦は汚い』というイメージが定着してしまっている。しかし、ここからは筑波山も見ることができ、風光明媚なところ。地域振興の役目も果たしたい」(柴田大輔)

◆第4回霞ケ浦葦舟世界大会の詳細は同会ホームページへ。

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所属クラブの垣根超え写真展開催 土浦市民ギャラリー 高齢化で発表の場減少

所属している写真クラブの垣根を越え、写真愛好家なら誰でも参加できる企画展「形のない集団の写真展」が2日から、土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町)で開かれている。4回目の開催で、20人の作品100点が展示されている。 土浦には写真クラブが20団体ほどあり、数十年の歴史をもつクラブも多いが、写真愛好家と指導者の高齢化のためクラブが減少、解散するところも出てきた。それぞれの写真展も会員の減少で開催が困難になり、愛好家の発表の場がなくなってきたことなどから、誰でも参加出来る写真展を企画することになった。 土浦市在住の写真家、高木紀英さん(74)が「何とかしたい」という使命感をもち企画した。知り合いの写真愛好家に声を掛け、4年前、開催にこぎつけた。「苦労しているという気持ちよりも、好きなことをしているという感じの方が大きかった」と高木さんは振り返る。4年前は、出展者10人、展示作品50点だったが、年々参加者が増え、現在は2倍に輪が広がった。写真展は高木さんが会長となり運営する。しかし会としての活動は写真展開催以外一切なく、組織化することもないという。 2日から開かれている写真展には、スナップ写真、風景、花などの作品が、カラーやモノクロで展示されている。大きさやテーマに縛りはないが、額装のマットは白に統一した。 高木会長は、モノクロの「凛」という作品を展示する。ほかに、人の足をアップしたり、平安時代から伝わる菊結びなどをとらえたり、感性に訴える作品が並ぶ。副会長の吉田亘好さんは、若者の街、東京・下北沢で出会った出来事や物象をクローズアップして捉えた作品を展示する。また建物だけをさまざまな角度で撮った北見隆久さんの写真や、写真が一つ一つ物語になっている吉原世都子さんの作品など、それぞれが個性豊かで自由な世界を表現している。吉原さんは「個展を開くなどとても出来ないので、この企画はとてもありがたい」と語る。 高木会長は「写真愛好家の高齢化が進み70代後半から80代の方が多い。しかし今回は40代の方が2人参加し、作品を作っている感じがとても良いと言っていた」と語り、昨今、写真がSNSで発表されていることに触れ「SNSでは直接顔を合わせて会話することが出来ないが、写真展では語り合うことが出来るなど良い面もある。一方、写真展に展示する作品は、プリントして額に入れなければならないという作業があるが、SNSにはそれがない。これからの写真展にどういう未来があるのか全く先が読めない」などと話した。 ◆「形のない集団の写真展」は6月2日(火)~7日(日)まで、土浦市大和町1-1、アルカス土浦(市立図書館)1階、土浦市民ギャラリーで開催。開館時間は午前10時~午後6時。入場無料。問い合わせは北見隆久さん(電話080-1043-7551)へ。