霞ケ浦の高須崎公園周辺(行方市玉造甲)で3月2日から3日にかけて「ニホンウナギ杯争奪 第4回霞ケ浦葦舟(あしぶね)世界大会」が開催される。1日目は湖岸で参加者自らアシを刈り取って葦舟を作り、2日目は自ら漕いでレースをするというユニークな大会だ。
長年、霞ケ浦の水質浄化に取り組んできた市民らでつくるNPO霞ケ浦アカデミーと、行方カヌークラブが主催する。
「どうせやるなら大きく『世界大会』と付けて、霞ケ浦をメジャーにしていこうと企画した」と語るのは、主催団体の霞ケ浦アカデミー理事長の荒井一美さんだ。同団体は、2000年から石岡市で始めた市民講座を前身に、04年に活動拠点を現在の行方市に移した。08年から霞ケ浦の自然環境の保全活動と地域資源を活用した教育活動を行っている。
「最初『世界大会』って聞いた会員の皆さんからは『えー』って驚きの声が上がったが、回を重ねるごとにだんだん皆、本気になってきた、という形ですね」と、荒井さんは笑みを浮かべながら、大会の目的を「霞ケ浦の現状を知ってもらうこと。そして環境の改善」だと話す。
湖とのつながり取り戻したい
全国で2番目の広さを持つ霞ケ浦。夏から秋にかけて、名物のワカサギ漁などで活躍した白い帆を張る帆曳船が、観光用に運行されている。ただこのワカサギも、1965年に年間2000トンを数えた漁獲量が2022年は17トンにまで減少している。原因の一つとして指摘されてきたのが水質悪化だった。
1963年に現在の神栖市にあたる常陸利根川と利根川との合流地点に、海水の逆流を防ぐ「逆水門」が造られた。目的は、霞ケ浦湖岸地域の洪水対策と、塩分が含まれる湖水による土壌への塩害対策、首都圏の水資源確保だ。水門を閉鎖以降、霞ケ浦は淡水湖となった。
水門閉鎖後に進んだのが「水質悪化だった」と、同会事務局長の菊地章雄さんが語る。時代は高度経済成長期。人口が増えた周辺地域の市街地や農地から湖に注ぎ込む生活排水、農業排水が、多量の窒素化合物やリンを運び込んだ。湖水は「富栄養化」状態になり、1973年にはアオコが大量発生し、75年には湖水浴が禁止されている。水質悪化はシジミやワカサギなどの水産資源の減少にも影響したとされる。
菊地さんは、減少する水産資源の象徴として二ホンウナギをあげる。1960年代には霞ケ浦と利根川のウナギ漁獲量は全国の67%を占めていた。霞ケ浦は日本有数のウナギ生息水域だったのだ。
こうした歴史を踏まえて「もう一度、霞ケ浦をかつてのきれいな湖にすることで、人の暮らしと湖のつながりを取り戻したい」として発案されたのが葦船大会だった。冠した「ニホンウナギ杯」に、かつての霞ケ浦復活への思いを込めた。
アシを刈って使う文化を
同会が葦船製作を始めたのは2016年にさかのぼる。菊地さんは「かやぶき屋根などにも使っていたように、アシは人が最も身近に利用していた植物の一つ」であるとし、こう話す。
「アシは、富栄養化の要因である水中の窒素やリンを養分として吸い取り、水質を浄化させる働きがある。一方で近年はアシが利用されることがなくなり、せっかく水質悪化の元になる養分を吸い取っても、そのまま枯れて水の中にとどまってしまう。これでは意味がない」
「アシは人が定期的に刈り取ることで新しく生えてくる植物。里山のように、環境の維持には人の手を必要とする。アシが当たり前に使われる文化を定着させるためにも、多くの人が関われる、規模の大きな大会にしたかった」
葦舟を作るために大会参加者が湖岸のアシを刈り取ることで、アシが吸い取った霞ケ浦の窒素やリンは湖の外に持ち出され水質浄化に寄与する、さらに人工的な護岸堤に復活しつつある植生帯を手入れすることにもつながるというのだ。
大会に先立って1月末、葦船づくりのワークショップが開かれた。8年目を迎え、参加者の約半数をリピーターが占め、つくばや水戸など県内以外にも、岐阜など他県からも訪れている。
ペルーとボリビア大使館に招待状
「世界大会」と銘打ってはいるものの、これまでに外国チームの参加には至っていない。それでも地域で暮らしているベトナムやモンゴルの人たちに積極的に声をかけてきた。同会の荒井理事長の夢は大きい。
「目的は、あくまで霞ケ浦の環境改善。そのためには壮大だが、世界の人に関心を持ってもらい連携を図りたい。今回は(神話に葦船が登場するチチカカ湖がある)南米ペルーとボリビアの大使館に招待状を送った。いつか現地から本場のチームに来てもらえたらうれしい。今後の交流に繋げたい」と話す。
「『霞ケ浦は汚い』というイメージが定着してしまっている。しかし、ここからは筑波山も見ることができ、風光明媚なところ。地域振興の役目も果たしたい」(柴田大輔)
◆第4回霞ケ浦葦舟世界大会の詳細は同会ホームページへ。