月曜日, 10月 19, 2026
ホームつくば高校生に通学支援など つくば市新年度予算案 過去最大を6年連続更新

高校生に通学支援など つくば市新年度予算案 過去最大を6年連続更新

つくば市の五十嵐立青市長は1日、2024年度当初予算案を発表した。一般会計は前年度当初比3.0%増の1118億400万円、特別会計などを合わせた総額は同3.4%増の1763億8600万円で、いずれも6年連続で過去最大を更新した。主な新規事業として、人口増が続く同市に県立高校が少なく市外に通う生徒の通学費負担が大きいと指摘がある中、遠距離の高校に通う生徒に通学費の一部を支援する。

一般会計が3%(32億9400万円)増となり過去最大を更新した主な要因は、人事院勧告に伴って昨年12月議会で市職員らの給料や手当てなどを引き上げたことから人件費が同比7.7%(15億1900万円)増の212億円になったほか、民間保育園の増設や国の児童手当拡充により扶助費が8.1%(20億8200万円)増の278億6500万円となったことなどのため。

6000人に交付

主な事業の高校生の通学支援金は、公立、私立高を問わず、鉄道、バス、スクールバスなどで通学している高校生のうち、年間の定期代が計10万円以上の生徒に年3万円を交付し、6~10キロ以上離れた高校に自転車や原付バイクで通学する生徒に年1万円を交付する。新年度の予算額は約1億6100万円を計上し、約5000人に3万円、約1000人に1万円交付を想定している。つくば市在住の高校生は現在6000人程度で、市教育総務課によると平均通学距離は10キロほどという。県内では石岡、笠間、常陸太田市などが通学費補助を実施している。

児童生徒数の増加に伴う小中学校建設は、みどりの南小中学校が今年4月開校し学校建設のピークは超える。一方、24年度は新たに中根・金田台地区で小学校建設に着手する。建設費は24、25年度2カ年で計68億1600万円。みどりの駅北側の陣場地区などの人口増に対しては同地区3カ所目の学校の新設は実施せず、谷田部小学校に11教室などを増築するための設計費5200万円を計上する。増築校舎の完成は27年4月の予定。

不登校対策としては、小中学校の校内フリースクール設置校を現在の22校から全50校に増やし、3億500万円を計上して各校に専任職員と補助職員を配置などする。

スーパーシティの看板、ネット投票は実施せず

ほかに、スーパーシティの看板事業に掲げたインターネット投票は今年秋の市長選・市議選では実施せず、1300万円を計上して、投票箱を積んだワゴン車が障害者や高齢者の自宅前まで出向くオンデマンド型移動期日前投票を実施する。

昨年、環境省に選定された県内初の脱炭素先行地域づくり事業として、初年度となる24年に1億4000万円を計上し、大和ハウス工業が20街区プロジェクトに太陽光発電設備を設置するなど計5件の事業に着手する。

コミュニティバス「つくバス」は、運転手不足による2月からの減便に伴い、運行費などが23年度の3億7500万円から24年度は3億3500万円に約4000万円減額する。

旧上郷高校跡地に建設予定の陸上競技場は28年度下期完成を目指し、24年度に設計費5080万円を計上する。

中央図書館をリノベーション

中央図書館はリノベーション事業に着手、24年度は外壁改修工事費約610万円を計上し、中庭に面する外壁の改修と中庭の枯れたアカマツの伐採などをする。25年度は中庭に面するガラスを一部取り外して中庭への出入口を設け、中庭にウッドデッキを設けるなどする。

解体、撤去する計画だった茎崎老人福祉センターは、市民のたまり場・居場所づくりの一つとして、入浴施設を改修する。2026年度のリニューアルオープンを目指して、24年度は300万円で改修のための設計を実施する。

不交付団体に

一方、歳入は、自主財源の市税合計が1.7%増の526億6400万円となり、不交付団体となる見込み。市税の内訳は、人口増により個人市民税が3.2%増の208億4600万円、家屋の新築などにより固定資産税は1.8%増の231億2700万円を見込むのに対し、法人市民税は大口の立地企業による業績の下方修正があったなど23年度の実績を踏まえて、6.6%減の42億8300万円を見込む。

借金である24年度末の一般会計の市債残高は、前年度末より43億3200万円増え、721億7400万円になる見込み。水道事業など公営企業会計を加えた市債残高の合計は、同69億1900万円増え、1259億8700万円になる見込み。

新年度予算案は13日開会の市議会3月定例会に提案し審議される。(鈴木宏子)

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