火曜日, 10月 6, 2026
ホームつくば日越国交50周年 関彰商事とハノイ工科大が記念事業

日越国交50周年 関彰商事とハノイ工科大が記念事業

ジョブフェア、日系企業向け最大のイベントに

日本とベトナムが1973年9月21日の外交関係樹立から今年で50周年を迎えたのを記念し、関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)は3日、ハノイ工科大学のフィン・クェット・タン学長らを招き、同大学へのスポンサー契約更新の調印式と日越外交樹立50周年の記念品贈呈式を行った。

関彰商事は2016年にハノイに駐在員事務所を設立、同年からグループの人材派遣会社セキショウキャリアプラスがハノイ工科大の協力を得て、同大学で合同企業説明会「セキショウ・ジョブ・フェア」をスタートさせた。同フェアは今年で第10回を迎え、日系企業のベトナム高度人材採用およびベトナム人求職者の就労サポートに貢献している。

18年からは同大学との間にスポンサー契約を締結。19年にはサッカー部を日本に招き、鹿島アントラーズFCや筑波大学蹴球部などの協力を得て、交流試合やサッカー教室を開催するなど活動支援を行ってきた。

ハノイ工科大学からの記念品の絵画を手に記念撮影する関係者一同

今回のスポンサー契約更新について、関社長は「16年のベトナム進出以来、同大学には非常にお世話になっている。今年のジョブフェアは2600人の参加者を集め、同国で最大の日系企業向けイベントとなった。今後も人材関連事業のみならず、同大学やベトナムとの関係拡大・深化につながる取り組みを継続発展させ、相互文化理解の促進など両国の架け橋として大きな役目を果たしていきたい」と述べた。

ハノイ工科大のフィン・クェット・タン学長は「関彰商事にベトナムの若者が大勢勤務していることを知ってうれしく思う。社員とも意見交換したが同社とハノイ工科大の間には共通の教育理念があると思う。それは誠実で優秀な人材を輩出し、グローバルに活躍してもらうことだ。学生が日本の企業でより良く働けるよう、日本の文化に詳しくなる機会なども提供していきたい」と語った。

筑波大学とサッカーで交流も

交流試合の中盤、ボールをキープするハノイ工科大学のアン選手。縦縞は関彰商事、青は筑波大の選手

今回の招聘(しょうへい)にはハノイ工科大のサッカー部員3人も同行。記念行事として同日、筑波大学セキショウフィールドで、ハノイ工科大と関彰商事サッカー部の混合チームが、筑波大蹴球部と交流試合を行った。

ハノイ工科大はベトナムでは強豪とされるが、日本の大学サッカー界でトップレベルにある筑波大との対戦を経験し、選手たちは「(筑波大は)技術や体力、チームワークも優れている。貴重な機会をいただけた」「楽しく参加させてもらった。今日学んだことを生かし、もっと頑張りたい」などと語った。

試合を視察した関彰商事スポーツアドバイザーでU-22日本代表監督の大岩剛さんは「サッカーは言葉が伝わらなくても交流を深めることができる。今日の経験が彼らの将来の一助となってくれるといい。ベトナムのサッカーは近年非常にレベルが上がり、アジアでも注目度が高い。今後は日本にとっても強敵になってくると思う」と話した。(池田充雄)

交流試合の記念写真

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