火曜日, 1月 28, 2025
ホームコラムどうする?花火旅《見上げてごらん!》18

どうする?花火旅《見上げてごらん!》18

【コラム・小泉裕司】煙火業界は、あっちの大会、こっちの大会と大忙し。旅行会社の花火ツアーも好調で、各地の花火会場は赤や黄のツアー旗にワッペンを胸に付けた行列が続く。その人混みをかいくぐり、プラチナチケットを手に観覧席に向かう。今回は、コラム5「…越後3大花火」(2022年8月21日掲載)で書いた「海の大花火大会」(新潟県柏崎市)の会場に到着するまでの「どうする?」お話。

午前11時、JR土浦駅改札口に到着するや、「列車事故のため、土浦駅から取手駅間は運転を見合わせています。復旧の見込み時間は不明です」のアナウンス。この告知がトラウマの読者も少なくないはず。

駅員に確認したところ、「1時間以上の遅れ、取手駅から上野駅方面は通常運転」とのこと。本来、11時25分土浦駅発で上野駅へ向かい、12時46分発「とき321号」に乗車。いったん長岡駅で下車し、ホテルへ荷物を置いてから、柏崎市の花火会場に向かう予定。往復乗車券と新幹線特急券は「えきねっと」の「チケットレス」で、在来線特急は紙切符で予約済み。

遅延に慣れない筆者の心臓はバクバク。「さあ、どうする?」。思いついた選択肢は次のとおり。

① 予約を変更し、運転再開まで土浦駅で待機する。

② 土浦駅まで送ってくれた家族を呼び戻し、その車で取手駅に向かう。

➂ ②と同様、家族の車で上野駅に向かう。

④ 自宅に戻り、新潟県までひとり車で向かう。

⑤ 中止する。

苦手な長距離ドライブ、しかもひとり

選んだのは、④の往復635キロのドライブひとり旅。花火をあきらめる考えなど毛頭ない。最大の理由は「自己完結」であること。家族の車で自宅に戻り、ガソリンを満タンにして、3本の高速道路をノンストップ、長岡市内まで4時間。宿泊ホテルに駐車後、長岡駅から信越本線で柏崎駅に17時50分到着。会場入りは18時20分。打ち上げ開始19時30分まで1時間の余裕だ。「花火を見る」に限れば、正解だった。

選択肢①の場合は? 新幹線予約を変更しようと土浦駅の駅員にたずねたところ、「ネット予約は駅窓口では対応できない。上野駅に着いたら電話で変更してほしい」と、渡された小さな紙切れには「えきねっとサポートセンター」の連絡先がプリント。早速電話したが話し中。この状況は終日続いた。つながったのは翌朝。かの常磐線は1時間20分後に運転再開したとの後日談だが、これでは上野駅に着いたところで、つながらず路頭(駅構内)に迷っていたに違いない。

車で長岡市に到着後、間に合わなかった信越本線柏崎駅までの特急券を払い戻そうと、並んだ長岡駅の窓口では「到着駅で手続きしてほしい」との案内。「花火大会で混雑する柏崎駅にたらい回し?」と切り返すと、「次の方どうぞ」と完全無視。不快な思いを残し、後日、サポートセンターと土浦駅窓口で払い戻しの手続きを完了。交通費に限っての収支は1,000円ほどの黒字で、苦手な長距離ドライブは、やはり正解だったのだろう。

以来、新幹線の予約は、割安な「eチケット」ではなく、「紙切符」に限ることにした。利用日間際に届く発券の催促メールが、少々わずらわしいのだが…。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

2 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

2 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

冬の洗濯物と器《続・平熱日記》174

【コラム・斉藤裕之】嫌いなこと。そのひとつが冬の洗濯物の長袖下着の袖に手を突っ込んで引っ張り出すこと。冷たい袖に手を入れると、やり場のない(誰の仕業かは明らかだけど)怒りがこみ上げてくる。寒さや冷たい水が年々苦手になってくるのは、歳(とし)と共に脂っ気が抜けてきたからかもしれない。 「氷河期を生き延びたのはポッチャリらしいわよ」とは、永遠のダイエッターである友人のマヨねえさんの言い分。ポッチャリかどうかは関係なく、人間が氷河期を生き延びたというのは本当だろうか。どう考えても、氷の世界をダウンジャケットも暖房もない人間が生き延びたとは私には考えられない。 そこまで遡(さかのぼ)らずとも、例えば、ちょっと昔の日本の家屋で冬を過ごすことさえ私には耐えられそうもない。そんなことを思いながら朝、薪(まき)ストーブに火を入れる。 さて昨年の春のこと。ある若い女性が古い家を買ってご主人と直して住むというので、その庭木の伐採と処理を引き受けた。その家は私の住まいからほど近いところにあって、大きな石の配してある庭に平屋の母屋が建っていた。敷地には槙(マキ)、ヒバ、モッコク、山茶花、カエデ、サルスベリなどの庭木が植わっている。 女性はその数本を残してほとんどを伐(き)ってほしいという。庭木程度と軽い気持ちで引き受けてしまったが、軽トラの荷台に山積みの枝を何度も運ぶことになった。結局、春から始めて、終えたのは夏前のこと。 「さいとうさんちで絵と器」展? 今、この家を暖めてくれているのはその庭木たちだ。普通は薪などにしない種類の木もあって、例えば金木犀(キンモクセイ)は意外に火の付きがよかったり、ゴツゴツ・クネクネの梅は火持ちがいい。月桂樹は乾くと軽かった。ストーブの中で揺らぐ火を見ていると、あの暑い中、汗をかいてヘトヘトになったことを思い出す。 そして、あのとき体から出て行った体温が回りまわって、今ストーブの中で燃えて体を温めてくれているような気がする。 先日、まだ置きっぱなしの残りの薪を取りにうかがうと、ご夫婦で風呂場の造作中。実はこの女性、大学の後輩の陶芸家で、今年はこの界隈(かいわい)で作品を発表したいという。そういえば…。10年以上前に我が家で自分の絵を展示したことを思い出して、「我が家でいかが?」と誘ってみたところ、まんざらでもなさそうだ。我が家の枯れ具合は器を並べる器として悪くないらしい。 ちなみに、器という字の真ん中はもともと「犬」という字だそうで、ご存じのように我が家には名(迷)犬パクもいるし、私の絵も飾って「さいとうさんちで絵と器」展なんてやってみようかという気になっている。 最近、家族内のグループメールを作った。その昔、洗濯機のふたに「袖出せ!」と殴り書きして貼ったことを思い出すが、メールには「袖はきちんと出して洗濯機へ」と書いてみた。 全く器の小さい人間だと自分でも思うが、そんな憂鬱(ゆううつ)も、苦手なパーカーのフードもカラッと乾かしてくれる薪ストーブの包容力に助けられている。(画家) 

筑波山地域ジオパークが再認定 課題の改善が実る

日本ジオパークの認定審査が27日、日本ジオパーク委員会(中田節也委員長)で実施され、筑波山周辺6市にまたがる「筑波山地域ジオパーク」が再認定された。2021年に続く2度目の再認定となる。 理由として同委員会は「筑波山地域サイトの見直し、拠点施設『つくばジオミュージアム』の完成と活用、地元の石材遺産の活用などを通して、ボトムアップ形式の活動や各市の連携強化などの効果を生み出している」と評価。今後に向けては「多様な教育の推進、ツーリズムの推進、パートナーシップの強化、新しいサイトの案内・解説看板の整備等に取り組み、地域内ネットワークを強化しながら地域の持続可能な発展に結びつけることを期待する」と、4年後の審査に向けた更なる改善への期待を述べた。 審査は4年ごとに行われ、前回の審査時には委員会から、運営体制の在り方や部会員間の相互連携など8項目の課題を指摘されていた(24年11月28日付)。 地域経済の発展につなげたい 「再認されました!」 午後4時16分。日本ジオパーク委員会から審査結果を知らせる電話がつくば市役所庁議室で鳴る。電話を受けるのは筑波山地域ジオパーク推進協議会会長を務める五十嵐立青市長。結果を周囲に伝えると、関係者の表情が安堵した様子に変わった。 五十嵐市長は「(この結果が)地域経済の発展につながっていくことが望ましい。広域で連携しながら市民と共に様々な活動を展開していくことで、より自律的な活動になることが望ましい」とし「各自治体に事務局支部を置いたことで、これまでよりはるかにやり取りができるようになった。役割分担が進んでいる」と述べた。課題として「認知度不足」を挙げる。「五感で味わうのがジオパークの魅力。多くの人に実際にジオサイトに足を運んでもらえるよう、さらに努力していきたい」と語った。 ジオサイトを組み直し 筑波山地域ジオパークは、つくば、石岡、笠間、桜川、土浦、かすみがうらの6市にまたがるエリアで構成されている。一帯にある筑波山、霞ケ浦、平野を流れる河川が生み出す独特の地形や地質とともに地域に根ざした営みが評価され、2016年に日本ジオパークに認定された。4年前の再認定審査の際は、学校教育との連携、ジオツーリズム、運営体制の在り方、関係機関間の相互連携など8項目の課題を指摘されていた。 今回の審査を前に同推進協議会では、ユネスコ世界ジオパークが再定義したガイドラインに基づきジオサイトを新たに組み直した。2021年から専門員を雇用し各学校で出前授業を実施した。中核拠点施設として同市北条の廃校に「つくばジオミュージアム」(23年10月31日付)を整備するなど、指摘された課題の解決に取り組んできた。昨年7月には筑波山塊の花こう岩が、国際地質科学連合により「ヘリテージストーン(天然石材遺産)」に認定され、自然遺産と地域の新たな連携も生まれている。 同協議会の伊藤祐二事務局長は「地域にある課題を克服していくことがこの仕組み。一つ一つ解決するために、地域との連携を大事にしながら活動を進めていきたい」と話した。 今回の審査では、伊豆大島(東京)、箱根(神奈川)、立山黒部(富山)など10カ所が再認定され、蔵王(宮城)が新規認定を得た。現在までに48地域が日本ジオパークに認定されている。(柴田大輔)

笠間で写真家 柳下征史さんの遺作展《邑から日本を見る》176

【コラム・先﨑千尋】一昨年10月に亡くなった記録写真家・柳下征史さんの写真展が、笠間市の日動美術館で開かれている。会場には、柳下さんが残した県内各地に残る茅葺(かやぶ)き屋根の家や、今では見られなくなった農村風景、日常の行事、茅葺き屋根を題材にしたこれまでのカレンダーなど84点が展示されている。 柳下さんの業績については、このコラム148「茨城の原風景を撮り続けた柳下さん」(2023年11月27日掲載)でも報じた。1月11日には会場でギャラリートークが行われ、三男の知彦さんが征史さんの歩んできた道や作品の解説を行い、約30人が写真を見ながら熱心に説明を聞いた。 柳下さんは1940年、東京都渋谷区で生まれ、疎開により和紙で有名な久慈郡諸富野村(現常陸大宮市)西野内に移った。日立製作所時代から写真に興味を持ち、県北地方を中心に写真を撮り続けてきた。世界的な写真家、ユージン・スミスとの出会いもあった。 1975年に会社を辞め、ひたちなか市に写真工房を開き、写真家として独立した。独立後、柳下さんは「何か形のあるものを残したい」と考え、日本人の生活の源といえる草屋根の家が近代化の影響を受け、ものすごい速さで消えていることに着目。記録は生活の基盤である「家」を中心にすべきだと、ひたすら県内のワラ葺き、茅葺き民家を撮り続けた。 その成果が結実し、1994年に『ひだまりのワラ葺き民家』(八溝文化社)を発刊。東京・銀座の「富士フォトサロン」で企画展を開くことができた。あとがきに「初めての土地で気に入ったワラ葺き民家に出会ったとき、私の心を打ったのは、周辺の風景とともに永い日々の風雪に耐え続けてきたその存在感である」と書いている。 2007年には、同書のタイトルと構成を変え、『ひだまりの茅葺き民家-茨城に見る日本の原風景』(八溝文化社)を発刊した。笠間日動美術館では、全国の民家を描いてきた洋画家の向井潤吉作品展との共催も実現している。 2003年、常陸太田市の西金砂神社、東金砂神社が72年に一度という磯出大祭礼を実施したが、柳下さんはその公式記録の撮影を依頼されている。 茨城県北地域の原風景を写す 「茅葺き屋根のある風景を撮り続けてきた私は、ある日、写真を核として『人間の生から死までの所業』をあらわしたいと思った」。 その思いは、柳下さんの写真を見た俳人の今瀬剛一さんが俳句を作り、その俳句を書家の川又南岳さんが書にし、『おまえ百まで、わしゃ九十九まで』(八溝文化社)として結実した。最も古い写真は1965年、新しいものは2013年と、50年にわたって農山村の生から死までの日常の暮らしを写し取った。本書に収められた写真の多くは現在では見られない光景で、単なる写真集ではなく、「茨城県北地域の原風景」として後世に残る作品となっている。同書は、県内の図書館や小中学校の図書室に備えられており、ひたちなか市のヤギ写真工房や笠間日動美術館で購入できる。 柳下さんの写真展は3月9日まで開かれており、2月8日午後2時から、再度、知彦さんのギャラリートーク(作品解説)がある。(元瓜連町長)

「ほとんどが賛同」 産業用地候補地で初の地権者説明会 つくば市

圏央道つくば西スマートIC周辺 つくば市が検討している、工場や物流倉庫などが集積する新たな産業用地について(1月10日付)、市内4カ所の候補地のうち最も評価が高い「圏央道つくば西スマートIC周辺地区」(同市高須賀など約74ヘクタール)で25、26日の2日間、地権者説明会が開かれた。 地区別に計4回開かれ、地権者約250人のうち4回で計約200人が出席した。市は併せて地権者の意向調査を実施、集計はこれからだが、市によると、ほとんどの出席者から計画に賛同する意向確認書が書面で出されたという。 市は今回の地権者説明会の意向確認を元に今後、事業を進めるか否かを決める。事業計画や開発手法、今後のスケジュールなどは未定だが、地権者全員の同意を得て、全面買収で実施する方針だ。 27年来の懸案 同地区は昨年12月26日、地域経済をけん引することを目的とする地域未来投資促進法に基づく重点促進区域として経産省が同意した。重点促進区域になれば、開発の際に手続きが簡略化されたり、税制優遇などを受けることができる。一方、昨年12月の市議会定例会議では、市が提案した同地区の埋蔵文化財試掘調査費に対し、議会から「地権者への説明が先」だとする意見が出て、調査に待ったがかかった。 25、26日の説明会では、市から事業の目的や対象区域、経緯などについて説明があった。ほかに地元住民から、今月11日、地権者の合意形成を図ることを目的に、同地区の区長や土地改良区の役員らが住民団体「圏央道つくば西スマートインターチェンジ周辺地区連絡協議会」(木村守昭会長)を結成したこと、同地区内に農業の振興を図るための農振農用地37.4ヘクタールなど集団農地をもつ真瀬土地改良区が23日に理事会を開き、事業計画を推進することを決議したなどの報告があった。 説明会で連絡協議会の木村会長(78)は「27年前、7人の区長から『この地域は(TX沿線開発などの)開発から取り残されてしまうので、にぎやかにしてほしい』との要望が出され、昨年亡くなられた会長が市につないで、63ヘクタールのアグリパーク計画(バラ園や市民農園など)が立てられ設計までされた。第1期の20ヘクタールは地権者全員の同意までいただいて、市は約19億7000万円の予算を市議会に上程したが、1票差で否決されアグリパークはできなかった。その後も地域の皆が喜ぶものを完成させたいと、昨年亡くなった会長が市と話し合いながらここまできたという状況」と27年来、地域の懸案だった経緯を話し、「会長の遺志を継いで、皆が喜ぶようにやっていきたい」と述べた。 真瀬土地改良区の山田守理事長は「74ヘクタールのうち半分が農用地。農振(農業振興地域)を除外するのは大変な仕事で、農水省と話をすると何年もかかるが、地域未来投資促進法という法律で特例を受けることができる。地域住民から陸の孤島だと言われていた真瀬地区に開発の話が出るのは初めて。今、農業者の平均年齢は70歳前後で、あと5、6年で農業ができなくなる。土地を有効活用してほしいという声があり、土地改良区としても全面的に(産業用地計画を)やっていきたい」と話した。 出席した地権者から反対意見は出ず、質問も少なかった。 高齢化し農業で食べていけない 説明会に参加した地権者の男性は取材に対し「せっかくのチャンスなので、やってもらった方がいい」と話していた。木村会長は「農業では食べていけない状況があり、農家は高齢化し、いくら土地をもっていても、草刈りをやらなければならなかったり、税金がかかる」と話し、産業用地の開発について今後「地元の雇用が拡大するよう、製造業の立地を要望するなどしていきたい」と話した。 市によると、区域内に上郷院内山遺跡があることから、市議会に再度、予算を提案し、5月中旬から9月上旬ごろまでの間、文化財の埋蔵状況を確認するための試掘と確認調査を実施する予定だという。(鈴木宏子)