水曜日, 3月 26, 2025
ホームコラム「君死にたまふことなかれ」《ひょうたんの眼》60

「君死にたまふことなかれ」《ひょうたんの眼》60

【コラム・高橋恵一】戦後78年の8月が過ぎようとしている。広島、長崎、8月15日の戦没者慰霊、先の大戦の悲惨さ、愚かさがメディアで取り上げられ、戦争体験者からは、二度と戦争はしてはいけないと重い言葉が繰り返される。一方で、ロシアのウクライナ侵略が長引き、それにかこつけて、日本を取り巻く安全保障環境の深刻さが喧伝(けんでん)され、岸田首相はG7において、軍事費をGDPの2%(つまり世界第4位の軍事費大国)にすると宣言してしまった。

自分勝手な理由をかかげて、いきなりウクライナを侵略したプーチンのロシア軍の行動は、破壊力の拡大した兵器による殺し合いが繰り返され、学校も病院も住宅も商業施設も橋も道路も駅舎も破壊されている。民間人の生活の場が襲われ、略奪、婦女暴行、虐殺が当然のように行われている。

ロシアの行為は、満州事変や日中戦争、太平洋戦争での旧日本軍の行為に重なって仕方がない。戦後78年の報道では、関東軍など日本陸軍の甘い見通しの下、中国に対する前線を拡大し、現地軍先行のため、武器弾薬や食糧の補給も不足している状況下で、集落を襲い、戦闘員でない住民に対しても、略奪、婦女暴行、虐殺が行われ、恐ろしい南京大虐殺にまで至ってしまった。

日本軍の人命軽視、人権無視は、敵兵、敵国民だけでなく、自国の兵士、自国民も対象となり、日本軍の行為は、ナチスドイツとともに、近代人類史上最悪の軍事行為だったと言えるだろう。今、ロシアのプーチンが指揮している。

戦争の罪悪はここに極まる

日本は、「玉砕」「散華」などの理不尽な死を美化するような言葉を使い、日本人兵士や在留邦人までも切り捨てたのだ。悪名高い戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」で縛り、全滅させたのだ。サイパンも、硫黄島も、沖縄も、艦砲射撃が始まる前に降伏し、島民と兵士の安全を確保すべきだったのだ。自分が自決した後も、最後の一兵まで抵抗しろなどと指示して、米兵まで含めて、犠牲者を増やした司令官は、英雄とは程遠い、罪人だ。

日本の歴史の中では、敗軍の将は、自分の命と引き換えに、残兵と住民の命を保障させたものだ。まして、守備兵が住民をシェルターから追い出し、集団自決を迫ったりするなど考えられない。

「君死にたまふことなかれ」。旅順攻撃に出征中の弟に語る、与謝野晶子の詩だが、武器をとって敵を殺すことも否定している。戦争体験者の証言の中に、極めて少ないのだが、自分が無抵抗の捕虜を処刑したり、スパイの嫌疑で民間人を殺害したことを後悔する証言もある。ほとんど、上官の強制による殺害だが、80年以上トラウマを抱えたままで、多くの元兵士は家族にも言えず、いわゆる「墓場まで持って行く」のだろう。

同じような体験話は、元米兵にもあり、深く重い心の傷である。戦争の罪悪は、ここに極まるのだと思う。先の大戦で身も心も傷ついた日本人が、次の時間の生き方として、77年前にたどり着いた結論は、日本国憲法である。際限ない防衛力の強化よりも、実現可能な目標だと思う。(地図好きの土浦人)        

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

spot_img

最新記事

自然災害など課題研究を一層推進 気象研と環境研が協定 つくば

気象庁気象研究所(つくば市長峰)と国立環境研究所(つくば市小野川)は25日、研究の連携と協力を促進するための基本協定を締結した。気象研の気候変動予測に係る知見と、環境研の環境影響評価や気候変動適応の知見を融合させることにより、自然災害などの課題に関する研究をより一層推進する。 協定締結式には気象研の中本能久所長、環境研の木本昌秀理事長が出席し、協定書に署名した。筑波研究学園都市の研究機関同士の包括的な連携協定は、環境研が一昨年に防災科研(つくば市天王台)と結んだのに次ぐ2例目、気象研は初めての締結という。 両研究所は学園西大通りをはさんでほぼ正対する立地にあり、これまでも多くの研究プロジェクトで研究者個人レベルでの連携は行われてきた。 一例をあげると、環境省は温室効果ガス観測技術衛星(GOSAT)を打ち上げて、宇宙から地球の二酸化炭素濃度の測定などできる観測を行っており、そのデータ整理を環境研が担当している。気象研との連携ではモデルを融合して、どの国からどのくらいの二酸化炭素が出ているのか、気候変動問題に関する国際的な枠組みであるパリ協定に基づく削減の度合を測る研究に着手している。 「こうした連携の積み重ねがあったから今回の協定に至った」と気象研の中本所長。「地球温暖化や気候変動予測の研究成果を共有し、環境影響評価や適応に生かしていければ将来の持続可能性に対してもデータを提供していけると考えている」という。 「計算のメッシュが粗すぎるデータは地域で利用できるよう細かくするダウンスケーリングの技術を用いるなど、ユーザーが使いやすく分かりやすい形での情報発信につなげていきたい」(木本理事長)ともしている。(相澤冬樹)

春の里山ゴミ拾い大作戦《宍塚の里山》122

【コラム・富嶋稔夫】認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会(土浦市宍塚)では、春になると毎年、里山のゴミ拾いをしています。今年も3月20日の春分の日の午前中、16名の方(うち子ども3名)に集まっていただき、ゴミ拾いを行いました。前日は雨、筑波山はうっすら雪化粧していましたが、お彼岸のこの日は、風は冷たいものの晴れ上がり、絶好の野外活動日和。 ゴルフ練習場からコンビニに抜ける未舗装の通り(通称鎌倉街道)を中心に、大池堤防辺りのゴミも拾うことができました。鎌倉街道沿いは例年より少ないようでしたが、少し里山に分け行ってみると、家電類少々、一斗缶も多量に出てきました。 当会のホームページを見ると、最初の里山のゴミ拾いのは2001年2月11日です。今から24年前になります。記録には「他の里山に比べると大池はゴミが少ないとはいえ、集めてみるといまさらながらゴミの多さに愕然(がくぜん)としました」とあり、大池周辺の弁当や飲み物類、鎌倉街道沿いの家庭ゴミのほか、洗濯機やクーラーといった家電、廃材、タイヤ、ドラム缶などの粗大ゴミを回収したと書かれています。 以後2005年まで、大量のゴミを回収した様子がつづられていますが、2006年になると「ゴミの量が少なくなってきた」とあります。継続して行ってきた効果が現れてきたものと、当時の書き手は評価しています。 ゴミ拾いの名称も、最初は単に「ゴミ拾い」だったものが、2005年に「里山クリーン大作戦」となり、その後「ゴミ拾い」に戻ったりしていますが、2018年から現在の「春の里山ゴミ拾い大作戦」になりました。ここ数年、回収量は軽トラにして3~4台分程度と、以前に比べれば落ち着いていると言えるでしょう。 とはいえ、一見きれいな里山ですが、実地にやってみると、意外とゴミが捨てられていることに改めて気づかされます。 うさぎ追いしかの山、… 2025年3月号の「図書」(岩波書店のPR誌)に、解剖学者・養老孟司氏が「環境と自己」という題名で次のように書いていました。「『うさぎ追いしかの山、小鮒(ブナ)釣りしかの川』は本来自己を構成するものだったが、外部的、客観的な世界に移った。私は子どもたちには、田んぼや畑、里山は将来の君たちだよ、と教える。食物が体を作るからである」 。身近な里山が外部的・客観的な世界となり、ゴミの捨て場になってしまったが、巡り巡って将来の自分になるのだと思えば、そうそうゴミを捨てられなくなるはず。ではありますが、現状ではゴミ拾いをしなくて済む日は容易には来そうにありません。日ごろの里山への感謝を込めて、これからも春の里山ゴミ拾いを行っていけたらと思っております。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

2年ぶりに福島第一原発周辺地域を歩く《邑から日本を見る》180

【コラム・先﨑千尋】14日、友人から誘われて2011年3月に事故を起こした東京電力福島第一原発周辺を回ってきた。2年ぶりだ。これまでは、「脱原発をめざす首長会議」のメンバーと一緒に事故原発の間近まで行ったり、中間貯蔵施設や漁業者の話を聞いたりしてきた。今回はJR双葉駅、双葉高校、大野駅再開発地域など、これまでに行かなかったところが中心。 ナビゲーターは、原発事故賠償訴訟群馬県原告団代表で楢葉町にある「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」の事務局長を務める丹治(たんじ)杉江さん。 丹治さんは、14年前の事故の後、いわき市から群馬県に一時避難した。東電に賠償を求める群馬での訴訟の原告代表を務めながら、事故の実相を訴える活動を続け、3年前に原発事故を語り継ぐ伝言館の運営を託され、全国からの来訪者に、事故を起こした原発周辺を案内している。 最初に行ったのは、浪江町に残されている震災遺構の請戸小学校。海のすぐ近くにある。15.5メートルの津波が押し寄せたが、校長らの指示で児童82人、教員13人が1.5キロ離れた大平山に避難し、全員助かった。以前に訪れた石巻市立大川小学校では、すぐ目の前に避難できる山があったが、津波が襲ったときに、児童74人、教員10人が逃げずに亡くなったのと対照的だった。想定外の事故にどう対応したらいいのかを考えさせられた。 双葉駅周辺は、帰還困難区域の一部の避難指示が解除となり、駅が再開され、周辺に住宅が整備されたが、診療所と郵便局、コインランドリーがあるものの、学校やスーパーなどのインフラは未整備。周辺は依然として帰還困難区域だから、立ち入りができず、うかつに散歩もできない。 駅近くにある双葉高校は100年の伝統があり、甲子園にも3回出場している古豪。しかし17年度から休校になり、校内は立ち入りができず、荒れ放題だ。実質廃校だが、廃校にすると原発事故との関連を言われるので、休校にしておくのだと丹治さんは話してくれた。周辺の道路は除染されているので放射線量は少ないが、除染されていない道路脇で線量を測ると一桁違い、立ち入ることはできない。 周りは高線量の帰還困難区域 大野駅前は事故を起こした第一原発から2キロ。高線量の帰還困難区域の中に、復興のシンボルとして立派な商業施設や産業交流施設ができている。近隣住民やエリアを訪れる人が買い物を楽しんだり、憩いのひとときを過ごしたりできると言われているが、周りは高線量の帰還困難区域。のんびり楽しむことなどできるのかなと思った。 大熊町には56億円かけてできた「学び舎夢の森」がある。町立の7つの幼・保・少・中学校が統合して生まれた、フェンスもチャイムもない一貫校。子どもの数は68人。家族と一緒に会津若松から戻った子どももいれば、体験入校をきっかけに関東や関西から家族とともにやってきた子どももいるそうだ。ここでの教育が移住・定住の選択肢の一つになっているが、一歩外に出れば放射線量が高く、近づけない区域。そこで学んだ子どもは将来どう成長するのかが気になる。 全体として2年前と比べてハードの事業は進んでいるように見えるが、戻ってくるのは年寄りばかり。住民は、高齢者、行政職員と工事関係者がほとんど。これで「復興」と言えるのか。 もう一つ、除染作業や工事関係者、この地域に住む人、働く人たちの放射能による被害はどうなのかが気になった。道路1本で、居住可能な区域とそうでない区域を機械的に分けることにも違和感を覚えた。(元瓜連町長)

高安、決定戦で初優勝逃す 地元土浦で約200人が声援

大相撲春場所は23日、エディオンアリーナ大阪で千秋楽を迎えた。3敗で並んだ土浦市出身の元大関で前頭4枚目の高安(35)=田子ノ浦部屋=は、優勝決定戦で大関の大の里(24)=二所の関部屋、阿見町=に敗れ、惜しくも初優勝を逃した。高安が優勝に絡むのは9回目。高安の地元の土浦では、駅前の市役所1階でパブリックビューイング(PV)が催され、約200人の市民らが、応援の横断幕やうちわを掲げながら大きな声援を送った。 高安は取組で、小結の阿炎(30=錣山部屋)に落ち着いて対応し、立ち合いで変化した相手に左上手をガッチリつかんで土俵に投げつけ、上手出し投げで勝つと、土浦の会場は大いに盛り上がった。 千秋楽結びの一番で大の里が琴桜(27)=佐渡ケ嶽部屋=に勝ち、高安との優勝決定戦が決まった。初優勝への望みをつないだ高安に向けて、土浦の市民らから大きな拍手が起きた。今度こそという大きな期待がかかったが、念願はかなわず、大の里の圧力に屈し、送り出しで土俵を割ると、会場からは大きなため息と悲痛の声が漏れた。 今度こそはと応援 観戦席の最前列で声援を送った「高安土浦後援会」会長の中川清・元土浦市長(79)は「今度こそはと思って応援したが、かなわず、とても残念だった。20年も相撲をとっているのだから優勝してほしかった。また頑張ってほしい」と語る。 安藤真理子市長は「高安関の正々堂々とした取組は、地元土浦に勇気と元気をもたらしてくれた。惜しくも優勝を逃したが、これからも自分を信じ精進し、ますますの活躍を期待しています」とコメントした。 水戸市から来た加富昭子さん(75)は「家族7人で応援に来た。今日は勝つシーンもあり楽しかったが、最後、優勝が出来なかったので、とても残念で、力が入らない」と話していた。 高安は技能賞を受賞した。優勝した大の里は横綱昇進に向けての第一歩となった。(榎田智司)