【コラム・高橋恵一】戦後78年の8月が過ぎようとしている。広島、長崎、8月15日の戦没者慰霊、先の大戦の悲惨さ、愚かさがメディアで取り上げられ、戦争体験者からは、二度と戦争はしてはいけないと重い言葉が繰り返される。一方で、ロシアのウクライナ侵略が長引き、それにかこつけて、日本を取り巻く安全保障環境の深刻さが喧伝(けんでん)され、岸田首相はG7において、軍事費をGDPの2%(つまり世界第4位の軍事費大国)にすると宣言してしまった。
自分勝手な理由をかかげて、いきなりウクライナを侵略したプーチンのロシア軍の行動は、破壊力の拡大した兵器による殺し合いが繰り返され、学校も病院も住宅も商業施設も橋も道路も駅舎も破壊されている。民間人の生活の場が襲われ、略奪、婦女暴行、虐殺が当然のように行われている。
ロシアの行為は、満州事変や日中戦争、太平洋戦争での旧日本軍の行為に重なって仕方がない。戦後78年の報道では、関東軍など日本陸軍の甘い見通しの下、中国に対する前線を拡大し、現地軍先行のため、武器弾薬や食糧の補給も不足している状況下で、集落を襲い、戦闘員でない住民に対しても、略奪、婦女暴行、虐殺が行われ、恐ろしい南京大虐殺にまで至ってしまった。
日本軍の人命軽視、人権無視は、敵兵、敵国民だけでなく、自国の兵士、自国民も対象となり、日本軍の行為は、ナチスドイツとともに、近代人類史上最悪の軍事行為だったと言えるだろう。今、ロシアのプーチンが指揮している。
戦争の罪悪はここに極まる
日本は、「玉砕」「散華」などの理不尽な死を美化するような言葉を使い、日本人兵士や在留邦人までも切り捨てたのだ。悪名高い戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」で縛り、全滅させたのだ。サイパンも、硫黄島も、沖縄も、艦砲射撃が始まる前に降伏し、島民と兵士の安全を確保すべきだったのだ。自分が自決した後も、最後の一兵まで抵抗しろなどと指示して、米兵まで含めて、犠牲者を増やした司令官は、英雄とは程遠い、罪人だ。
日本の歴史の中では、敗軍の将は、自分の命と引き換えに、残兵と住民の命を保障させたものだ。まして、守備兵が住民をシェルターから追い出し、集団自決を迫ったりするなど考えられない。
「君死にたまふことなかれ」。旅順攻撃に出征中の弟に語る、与謝野晶子の詩だが、武器をとって敵を殺すことも否定している。戦争体験者の証言の中に、極めて少ないのだが、自分が無抵抗の捕虜を処刑したり、スパイの嫌疑で民間人を殺害したことを後悔する証言もある。ほとんど、上官の強制による殺害だが、80年以上トラウマを抱えたままで、多くの元兵士は家族にも言えず、いわゆる「墓場まで持って行く」のだろう。
同じような体験話は、元米兵にもあり、深く重い心の傷である。戦争の罪悪は、ここに極まるのだと思う。先の大戦で身も心も傷ついた日本人が、次の時間の生き方として、77年前にたどり着いた結論は、日本国憲法である。際限ない防衛力の強化よりも、実現可能な目標だと思う。(地図好きの土浦人)