火曜日, 10月 6, 2026
ホームスポーツ甲子園切符は土浦日大 9回一気の逆転劇【高校野球茨城’23】

甲子園切符は土浦日大 9回一気の逆転劇【高校野球茨城’23】

第105回全国高校野球選手権茨城大会は26日、ノーブルホームスタジアム水戸で決勝を行い、土浦日大が霞ケ浦を5対3で破り、5年ぶり5度目の夏の甲子園出場を決めた。霞ケ浦の最速150キロ右腕・木村優人は9回に力尽き、甲子園出場は夢と消えた。

(土浦日大の優勝は5年ぶり5回目)

土浦日大は3点を追う9回に7安打を集中、一気に5点を奪って逆転した。この回先頭の代打伊藤智一が右前打、飯田将生が右前二塁打で上位打線へ勢いをつなぐと、中本佳吾の中前打で2点を返す。押せ押せとなり、太刀川幸輝の左前打などで2死一・二塁とし、香取蒼太、松田陽斗、鈴木大和の3連打で3点を追加、一気に逆転を果たした。

9回表土浦日大2死一・二塁、松田の右前適時打で逆転

逆転打の松田は「前の打席からまっすぐをとらえていて、変化球で来るだろうと予想。打った球は覚えていないが、振り遅れず、詰まったと思ったが気持ちで持っていった。きれいなヒットでなくても次へつなぐことが大事」と話した。

先に好機をは生かしたのは霞ケ浦だった。3回裏に土浦日大の先発、藤本士生から3点を奪った。羽成恭之介の中前打や山崎隼人の内野安打などで1死一・三塁から、木村の遊ゴロが敵失を誘い2者生還。羽成朔太郎が左前打でつなぎ、大崎謙の右前適時打で1点を追加した。

3回裏霞ケ浦2死一・二塁、大崎の右前適時打でこの回3点目

ところがその後は打線が沈黙。特に6回以降は藤本の切れのある投球に三者凡退が続いた。一方木村は8回までを被安打7、奪三振5で無失点に抑えていたが、9回に力尽きた。霞ケ浦には魔の9回、両校は2017年の決勝でも顔を合わせ、9回表の逆転劇で甲子園を逃した悪夢がよみがえった。

勝利投手の藤本は「失点しても弱気にならず、相手がいやがる攻めの投球ができた。コンディションは良いとはいえないが、抑えるところは抑え、打たせるところは打たせて、メリハリの効いたプレーができた」と振り返った。

土浦日大の小菅勲監督は「木村投手には8回まで完璧に抑えられたが、9回には気持ちを切り替え、特に伊藤智、飯田のつなぎが大きかった。(取手二時代の恩師の)木内幸男監督は『野球は何が起こるか分からない』と常々言っておられたが、そういう気持ちで最後まであきらめないことが得点につながった」と選手を讃えた。

土浦日大の喜びはじける集合写真

霞ケ浦の高橋祐二監督は「木村が7本も連打を浴びるのは経験がない。どうしてこういうことが起こるのか」と、まるで負けに不思議の負けがあったかと言わんばかりの表情。「木村のボールは前2戦より走っていて、相手を押し込めていたが、勝ちを急ぐ気持ちがあせりを生んでしまったか。相手の執念に負けた」とかぶとを脱いだ。

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