【コラム・オダギ秀】人を表すには、写真にせよ絵画にせよ、眼鼻の表現が大切だ。眼鼻が見えないと、どんなヤツかわからん。とくに眼が、どんなふうに表現されているかが、とにかく大切。こんな眼付きじゃ犯人みたいだぜ、なんて言われる。
「眼を開けている時に撮ってね」
仏像の場合は、眼の表現、つまり眼の形や造形方法によって、制作意図や時代などが推定されることが多い。多くはその仏像の持つ意味などが表わされる。だがボクが、好きで、しばしば撮影している石仏の場合は、一般の仏像より、何かと困ることがある。石仏は、そのほとんどが、開いているか半眼か、どちらかなのだ。
石仏は、まずほとんどは、仏像制作の専門家である仏師が彫ったものではなく、石屋さん、つまり石塀や庭石、墓石を扱う石切場の石工が彫っているし、頻繁に彫仏の仕事があるわけでもないから、それほど詳しい知識もなければ工法にも大きな差のある技術があるわけでもないことが多い。
いくつかのポイントを寺の僧侶などに教えてもらい、それによって彫ることが多かった。だから、地蔵さまなど、よく注文される仏さまの眼は、教えられたように半眼にする、となる。半眼とは、瞑想(めいそう)している眼で、開いていれば雑念が見え過ぎ、閉じていれば寝てしまったようだから、半眼ということなのだ。細く開いた、半分だけ開いた眼だ。
だから、眠っているようでなく、開いているようでなく撮る。ちゃんとそう彫ってあれば、撮影も難しいことではない。
むかし、「♬今日でお別れね」と歌った眼の細い歌手を撮った時は、「ボクはいつも眼を閉じた時に撮られちゃうの、眼を開けている時に撮ってね」と言われたが、半眼でない、ただ細い眼は、どうしても閉じたような眼になってしまう。だから、思いっきり開けて歌えよ、と思ったが、石仏の場合は、寝てないように、人間臭いギョロリ眼にならぬように撮る。
するとありがた味がきちんと写る。しかも動いていない。だから簡単な撮影と言われそうだが、そういうワケでもない。と言うのは…。
すごい眼を見せるモデルさん
仏像はもちろんだが、人の顔というのは、眼鼻をどう撮るかの表現で、大きく変わる。じつはカメラの位置が数センチ、ほんの5センチぐらい違うだけで、変わってしまう。魅力的にも嫌らしい顔にも撮れるのだ。その狙い通りのドンピシャの位置を見つけるのが大変。だが面白い。楽しい仕事とも言える。一般的には、眼鼻を撮る難しさなんてわからないから、勝手な言葉で評されている。
優れたモデルさんは、もちろん、眼の重要さはよくわかっていて、シャッターを切る瞬間がわかるらしい。今だ、とシャッターを切ろうとすると、その瞬間、それまで何でもなかった眼がキラリと光ったり、狙った眼になるのだ。いい眼だからシャッターなのではなく、シャッターを切ろうとする瞬間、さらにいい眼になるのだ。「だって、シャッター切る瞬間って、わかるわよ」なんて笑っていた。
もっとも、そのことがわからぬカメラマンもいるのだが、すごい眼を見せるモデルさんは、本能なのか、感覚が鋭いのか、はたまた努力なのか、すごいもんだと思う。「は〜い、チーズ」なんて声をかけられて写真を撮ってもらっているうちは、ちゃんとしたモデルにはなれないってことだよ。あなたは?(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)