火曜日, 4月 7, 2026
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「リニア中央新幹線」論の不思議 《文京町便り》16

【コラム・原田博夫】リニア中央新幹線の工事をめぐる静岡県とJR東海の協議が、膠着(こうちゃく)しています。そもそもリニア中央新幹線とは、品川駅から名古屋駅までの286キロを所要時間40分で結ぶ21世紀の「夢の超特急」です。2027年開通に向けて、国は2014年10月、品川~名古屋間の工事の実施計画をJR東海に認可しています

ここに至るまでには、1962年、東京―大阪間(約500キロ)を1時間で結ぶ目標に対して、レールとの摩擦がない超電導による浮上方式の提案がありました(つまり、リニア新幹線の技術的提案です)。

1974年、運輸大臣は国鉄に、甲府・名古屋付近の山岳トンネル部の地形・地質調査を指示し、1990年11月には、山梨リニア実験線の建設に着手しています(要するに、新幹線ルートの工事に関わる課題の抽出・解決策の実効性チェックです)。

併せて、1979年の9都府県による「中央新幹線建設促進期成同盟会」、1988年の「リニア中央エクスプレス建設促進期成同盟会」、2009年の「リニア新幹線建設促進期成同盟会」(地元経済界や当該自治体からの要請=我田引鉄)などを踏まえた、JR東海への工事認可です。

つまり、長期の調査を経て着工したにもかかわらず、肝心の工事が一部区間(現在は田代ダム<静岡市>の取水抑制問題)でストップしています。

現時点での静岡県の主張は、「南アルプストンネル工事に伴う湧水を、JR東海は全量、大井川に戻すべし」のようです。この発言は、川勝平太知事(初当選は2009年7月で現在は4期目)が、3期当選後の2017年10月の記者会見冒頭で、ありました。それからは、複数の関係自治体、東京電力も巻き込んで、議論は二転三転しています。

元東大全共闘・山本義隆氏の指摘

この加熱した議論とは異なった視点からの書籍を、私に教えてくれた友人がいました。それは、山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって~原発事故とコロナ・パンデミックから見直す~』(みすず書房、2021年4月)です。東大全共闘代表・山本義隆は、われわれ全共闘世代にとっては(ノンポリにしても)インパクトがあり、彼のその後の生々流転も気になっていました。

早速手にすると、目から鱗(うろこ)でした。リニア線は、そもそも、二重に電力を過剰消費する、というのです。まず浮体式、加えて推進力、そのいずれにも膨大な電力が必要なのです。この電源としては浜岡原発2基分が相当する、とのこと。ところが浜岡原発自体は、1号機・2号機は廃止措置中(2009年度以降)で、残りの3号機(2010年11月以降)・4号機(2012年1月以降)・5号機(2012年3月以降)はいずれも点検停止中です。

この浜岡原発相当のベースロード電源を2個分も必要とするリニア中央新幹線とは、人口減少社会の21世紀日本で、一体どのような交通システムなのか。大いに首をひねります。

ところが冒頭の、リニア中央新幹線の工事に関するここ数年来の議論には、こうした論点が全く登場しません。これは意図的なのかどうか不思議です。きわめて近視眼的・局所的に問題設定している気配すらあります。これでは、リニア中央新幹線は国家百年の計などとは、言明できないでしょう。(専修大学名誉教授)

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「芥川龍之介記念館」来年夏に開館《ふるほんや見聞記》15

【コラム・岡田富朗】芥川⿓之介は、東京帝国⼤学(現・東京⼤学)学⽣であった1914(⼤正3)年から亡くなる1927(昭和2)年まで、北区⽥端に暮らしました。その芥川の居住跡地に、「芥川龍之介記念館」(仮称)が、没後100年を迎える2027(令和9)年夏に開館する予定です。命日である7月24日は「河童忌」と呼ばれ、毎年芥川龍之介をしのぶ催しが行われています。 ⽥端には、明治から昭和期にかけて、1キロ四方の狭い地域に累計100人以上もの芸術家や文筆家らが暮らしていました。1889(明治22)年に東京美術学校(現・東京藝術⼤学)が上野に開校すると、上野への便がよい⽥端には、芸術を志す若者たちが住むようになりました。 そして1914(⼤正3)年に芥川⿓之介が転⼊し、その後、室⽣犀星、菊池寛、堀⾠雄、萩原朔太郎、⼟屋⽂明らも転⼊し、芸術家のみならず、多くの⽂⼠も住む地域となっていきました。 陶芸家の板谷波山も、1903(明治36)年から、当時、人家少なく故郷の筑波山を望むことのできる場所ということで、田端に居を構えていました。1945(昭和20)年、戦災により住居兼工房が全焼し、郷里に疎開しましたが、戦後再び戻り、終生田端で暮らしました。 芥川⿓之介の没後、⽥端の家にはご遺族が居住していましたが、1945年の空襲により焼失し、ご遺族は転居しました。その後、集合住宅1棟と個人住宅2棟が建ちましたが、2017(平成29)年、そのうち1棟が売却されることとなり、翌18年に北区はその⼟地を購⼊し、国内初となる「芥川⿓之介記念館」(仮称)を建設することを表明しました。これまで芥川⿓之介を単独で顕彰する記念館・⽂学館は設置されてきませんでした。 大正期の暮らしを体感できる場所 芥川龍之介が居住し、多くの作品を生み出したこの地において、記念館は大正期の暮らしや創作環境を体感できる場所となります。邸宅2階にあった書斎は、創作の場として再現され、芥川が実際に使用していた文机やインク入れ、ペンなども複製して配置されます。来場者は再現された書斎に実際に入ることができ、これらの複製品に触れることもできます。 また建物や内装、庭園に至るまで、当時の姿を参考にしながら空間の雰囲気を大切にし、庭の木々や石の配置についても、写真資料などを手掛かりに芥川が見ていた風景の面影を感じることができるよう、整備をする予定です。館内には展示スペースのほか、ミュージアムショップの設置も予定されています。 北区地域振興部文化施策推進課の飯塚さんは「今では、田端に住む人の中でも芥川龍之介が実際に田端に住んでいたことを知らない方が増えています。北区民、文学ファンの中でも「芥川といえば⽥端」ということを知らない人たちに、是非足を運んでいただき、芥川が数多の名作を生み出した書斎などを「体感(feel)」して、楽しんでもらいたい」と話してくれました。 芥川⿓之介の作品は40を越える国・地域でも翻訳され、現在も世界中で高く評価されています。開館に向けてクラウドファンディング(CF)も行われており、海外からの支援も寄せられているそうです。今後のCFは今年の夏ごろを予定しているそうです。(ブックセンター・キャンパス店主)

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