火曜日, 3月 24, 2026
ホームつくば居場所を求め続けた想い つくばから双葉へ 谷津田光治さん㊤【震災12年】

居場所を求め続けた想い つくばから双葉へ 谷津田光治さん㊤【震災12年】

つくば市並木の公務員宿舎に、福島県双葉町の役場機関である「双葉町役場つくば連絡所」がある。東日本大震災の後、2011年12月に設けられた。同町から避難した人々に向けて住民票などの申請手続きや、町からの連絡事項を伝えるとともに、避難者による自治会活動や地域との交流の拠点になるなど、避難生活を支えてきた場所だ。

福島県内外に避難する双葉町民が、つくばの公務員宿舎へ入居するきっかけを作り、連絡所の設置を進めたのが、元双葉町議の谷津田光治さん(81)。自身も双葉町で被災し、現在、妻の美保子さんと宿舎で生活している。震災から12年がたつ3月末、谷津田さんは宿舎を離れ、故郷に近い南相馬市へ転居する。つくばと双葉の人々を結びつけてきた谷津田さんにとって、12年の時間はどのようなものだったのか。

つくば、公務員宿舎へ入居する

「ここは、見渡すと樹木が多い。双葉の家も周りが山だったから違和感ないんです。なんとなく、双葉を思い出せるんですよ」谷津田さんが自室の窓越しに、敷地に繁るクヌギの木々に目を向ける。谷津田さんが暮らすつくば市並木の公務員宿舎には、以前は48世帯が入居していた。今はそれぞれ別の場所へ移るなどし、4世帯が生活をする。2022年3月の時点で、つくば市には437人の福島からの避難者が暮らしている。その中で双葉町の人々は、最も多い112人。

つくば市並木の国家公務員宿舎

双葉町は、福島第一原発事故による放射能汚染のため町全体に避難指示がだされ、全町民が避難生活を余儀なくされた。震災直後、1400人あまりが埼玉県に一時避難するなどし、先の見えない暮らしに不調をきたす人も多かった。そんな中、当時、町議を務める谷津田さんが耳にしたのが、つくばにある公務員宿舎のことだった。

「知り合いが、『茨城のつくばに空いている公務員宿舎がある。取り壊してるところもあるけど、まだ住めるところもあるから、見てきたらどう?』って言うもんで、見にきたら、びっくりするくらい部屋があったんですよ」つくば市には1970年代、筑波研究学園都市で働く研究所職員らに向けた公務員宿舎が約7800戸建てられた。その後、老朽化などを理由に、国は段階的に住宅の廃止を進めている。

「埼玉では、学校の教室に寝泊まりしていましたし、仮設住宅も長く暮らすには大変なんです。それが、つくばにこれだけまとまった家がある。多くの町民が1カ所で生活できるわけですよ。役場の事務作業だって少なくなる」

「みんながまとまって暮らすのが一番」と考えていた谷津田さんは、各地に避難する人たちに声をかけて下見に訪れ、役場とも交渉し、その後、2011年7月までに希望者の入居が始まった。

連絡所の設置

震災後、双葉町は、集団移住先の埼玉県加須市に役場機能を移転した。しかし、避難者は各地に散らばっていて必要な連絡が行き届かない。町は、避難者の多い場所に、支所や連絡所を置き事務機能を分担させていた。それを見た谷津田さんは「連絡所をつくばにも」と町に掛け合った。「情報があっちこっちすると、間違いが起きる。直接、連絡が来るのが一番だと思ったんです」

並木地区の公務員宿舎につくられた「双葉町役場つくば連絡所」

また、つくばには、生活に必要な支援物資が届いていなかった。「当時、支援物資は加須の役場に行かないと受けとれなかった。でも、個人で行ってもなかなかもらいにくいんです。みんな困ってるのは同じだけど、物をもらうっていうのは気が引けちゃう。だから、私らがライトバンで加須に行って、役場に話をつけて受け取ってきたんです。周りの人に『何かいるのあっかな?』って聞いてまわって。連絡所があれば支援の拠点になれる。そういう考えもありました」

妻の美保子さんは「これだけみんながバラバラになって、知らない土地で心細い中にいて、何かひとつだって町から届けば『見捨てられてない』って思えたんですよね」と連絡所ができたことで覚えた安心感を話す。

始めたグラウンドゴルフ

つくばでの新しい地域づくりが始まった。そこでは避難者同士だけではなく、つくば市民とのつながりも生まれた。

谷津田さんらは毎週火曜日、近所の公園でグラウンドゴルフを楽しんでいる。12年前から欠かさない、大切にしている交流の場だ。今では避難してきた人だけでなく、地域住民も参加している。終わった後のお茶会も楽しみとなっている。

運動の指導などを通じて避難者と交流し、学生にも交流の機会を設けてきた筑波大学名誉教授で体操コーチング論が専門の長谷川聖修さん(66)は「交流の場として、私たちにとっても貴重な場です」と話す。また長谷川さんの活動を通じて谷津田さんたちと知り合い、6年前から毎週グラウンドゴルフに参加している筑波大大学院の松浦稜さん(27)は「いつも楽しみにしてきました、ここに来ると、まるで実家にいるような気持ちになります」という。

グラウンドゴルフを楽しむ美保子さん(右)と参加者たち

グラウンドゴルフの始まりは、当事者同士の気遣いからだった。谷津田さんは「最初は、ばあちゃんの引きこもり防止だったんです。『あそこのじいちゃん、ばあちゃん、部屋から出てこないから』って。週に1回でも引っ張り出してっていうのがあったんです。何をやるにも、48世帯に声かけてやってました」と話す。

震災の月命日もそうだった。「みんなどこにも頼るところがないし、『月に1回、みんなで集まっか』って意識があった。その後も、年に1回、3月11日に慰霊祭を続けていました」

市内に借りた畑にもみんなで行った。「なんでも作りましたね。白菜からキャベツ、じゃがいも、里芋。収穫する時は、双葉の人、近所の人にも声かけて、弁当持って行ったんです。みんな喜んで、ピクニックみたいにね」

互いの様子を気遣いながら、共に暮らせる場所を作っていった。美保子さんは「つくばに来て、何もないところからの始まりだったんです。同じ双葉でもそれぞれ違うところに住んでいたので、双葉にいたら顔を合わせることもなかったかなって思います。その人たちが、ここで親しくなったんですよね。みなさん本当に親切にしてくれて。自分の家族のような人もできました」と振り返る。

今年3月末で、谷津田さんは、双葉町にほど近い南相馬市に建てた自宅に転居する。12年暮らしたつくばを離れる日が近づいている。つくばでの人とのつながりが、福島への転居をためらわせていたと美保子さんは言う。(㊦につづく、柴田大輔)

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序章 土浦一高哲学部「放課後の哲学」

はじめに 【コラム・哲学部顧問 飯島一也】現在、世界的に哲学ブームが起きているそうです。1960年代生まれの筆者にとっては、80年代に起こったニューアカデミズムという哲学ブームが懐かしく思い出されます。今回の哲学ブームはAIの進化と関連があるようで、AIと倫理に関連するスキルを合わせ持つ人材が、過去5年で6倍に増えているとのこと、2025年12月8日付 日経新聞電子版の記事「超知能 仕事再定義⑴ AI時代の雇用『求む!哲学専攻』」には、以下のように述べられています。 「なぜ今、哲学なのか。米エール大学心理学部のローリー・アン・ポール教授は『AIがもたらす予測不能な未来に、既存の価値観では対処できなくなりつつあるためだ』と説明する」 「AIはいずれ与えられた最終的な目標に向けて自ら計画を立て、必要なタスクを自律的に実行するようになると見込まれている。そのとき、AIの根本的な判断を左右するのは開発者の思想にほかならない」 この記事では「開発者の思想」である哲学は、「予測不能な」AIに対抗するためのものとされています。現代のAIは人間の脳をモデルとして作られていることから、筆者からすると、AIを開発することが人間の知能や人間らしさそのものについて思索する可能性を開いている、という側面も重要であると思っています。 改めまして、土浦一高哲学部顧問の飯島と申します。この度、NEWSつくばのライター柴田大輔さんから、生徒のエッセイを連載するという企画について、お声を掛けていただき、生徒にとって、自分の思索を文章にする絶好の機会だと受け止めました。連載を始めるにあたって、本稿では、顧問の立場から、部活動や本コラムの紹介をさせていただきます。 哲学部の由来 高校生が哲学について考え、自身の問題として語り合う。そういった放課後の光景が、土浦一高には、部活動として存在しています。土浦一高哲学部では、この記事の執筆時点(2月21日)で、1、2年生合わせて23人の部員が、それぞれの関心に応じて哲学を探究しています。 「哲学部」が正式に部活動として承認されたのは、2025年3月の生徒総会で、まだ最近のことになりますが、前進となる組織は、文芸・弁論部内の「哲学班」として、約4年間の活動を積み重ねてきました。 その始まりは、2021年の4月頃、入学して間もない一人の女子生徒が、国語科室を訪れたという出来事にさかのぼります。その生徒は、中学時代、筑波大学で開催されていた哲学カフェに参加したことがあり、土浦一高でも開催してほしいと言うのです。その要望に応える形で、まずは1年生を対象に第1回の哲学カフェを開催し、そこに参加した5人の生徒が文芸・弁論部に入部したことで「哲学班」の発足に至ったのでした。つまり、哲学部の始まりは、あくまで生徒の要望だったのです。  哲学部の活動 そのような経緯から、哲学部の活動の中心は、哲学カフェにあります。参加者が輪座して対面し、当たり前に見える事柄を疑い、その場にいる皆が納得できる答えを求めて、専門的な知識を用いず、誰にでも通じる言葉で、前提にさかのぼって対話する。ですから、哲学カフェにおける「哲学」とは、参加者全員が共同して制作するものです。つまり、「哲学」を生み出すのは「対話」なのです。この原則は、哲学カフェを離れた、読書や文章作成などの場面でも変わらないと考えます。そこで、読書会なら「テクストカフェ」、文章作成なら「編集カフェ」というように、あらゆる活動について、対話を通して行うように意識しています。 また哲学カフェを含めて、個々の活動は「チーム制」で行っています。生徒自身が発案し、生徒自身の交渉によって実現したチーム活動としては、地元のレンタルスペースを運営する「がばんクリエイティブルーム」さんのご協力による市民哲学カフェが挙げられます。生徒が東京大学の研究室を訪問したときに、土浦一高で哲学カフェを開催していただけるよう、名誉教授を口説き落としたこともあります。他にも、哲学カフェの研究・企画・運営を行う哲学対話モデル研究会や、哲学史勉強会、各種の読書会、哲学散歩、広報活動などに、チームで取り組んでいます。最近の動きとしては、哲学という言葉に敷居を感じる人にも対話の文化を届けるために、心理班を発足させ、精神療法の一つであるオープンダイアローグ(開かれた対話)を活用した実践も始めています。 このように、土浦一高哲学部では、「対話」と「チーム制」に基づいて、フラットで対等な関係性が築かれています。 哲学部の挑戦 哲学部がまだ哲学班だった頃、2代目の班長を務めた女子生徒の言葉が印象に残っています。卒業を前にして残してくれた言葉です。 「哲学カフェで戦争を止めたい」 20世紀後半の哲学では、様々な哲学者や学派が異口同音に、言語や対話の重要性を主張していたように思います。それらの動きに先駆けて、アメリカの哲学者でプラグマティズム(実用主義)の創始者チャールズ・サンダース・パースは、次のように述べています。 「私たちは純粋な概念を語ることから始めてはならない。それはまるで誰も住んでいない公道をさまよい歩くようなあてのない考えだ。そうではなく、人々とその会話とともに始めなければならない」(CP8.112) 相対主義と分断の時代にあって、対話を通した哲学、哲学を共創する対話が生み出す関係性は、共同体の新たな形の一つを示唆しているように思います(*脚注)。学校内外での哲学カフェの実践は、そのような新たな共同体の芽を育てていく挑戦でもあると、土浦一高哲学部は考えています。 コラム連載にあたって これからご覧いただくコラムは、哲学部員の中から手を挙げた生徒たちによるものです。「対話を通した共同執筆」という理念の下にチームを立ち上げ、先ず、生徒が選んだテーマについて、それぞれ30分くらいの哲学カフェ、次に、生徒が書いた第1稿について、やはりそれぞれ30分くらいの編集カフェを行いました。その後は、生徒が自身の内的な声と対話しながら完成させました。 生徒の文章を読むと、世界の根源などといった形而上学的なテーマは見受けられず、日常生活に密着した問いが中心となっています。その分、想定した以上に、生徒それぞれにとって切実なテーマが取り上げられているように思います。また、哲学カフェや編集カフェで交わされた対話や出された意見を誠実に受け止めて、文章に反映させようとしていました。それ故に、産みの苦しみを味わった生徒も多かったようですが、その過程で、自分の問いに進展があった、答えが見えた、という言葉を生徒から聞けたときは、このコラムのお誘いを引き受けてよかったと思えました。 哲学史の知識や文献研究の点では物足りなさを感じる方もいらっしゃると思いますが、「タイパ」(タイムパフォーマンス=時間対効果)重視という表面的な若者像、「Z世代」というステレオタイプとは異なった、リアルな若者の姿を発見できるでしょう。現代の高校生たちが、いかに誠実に世界と向き合い、いかに真剣に思索しているか。放課後の教室で、夕日を浴びる街中で、哲学を語り合う高校生たちのエッセイ集を、ぜひお楽しみください。『放課後の哲学』、スタートします。 *脚注筆者は、顧問として、生徒との哲学カフェの体験を積み重ねる中で、生徒がこれほどまでに哲学カフェに熱中するのはなぜなのか、問い続けてきました。その結果として実感したのは、次の2点です。一つは、哲学について:哲学とは、たとえ高度に専門的なものであっても、内的/外的な対話によって制作されるものであるということ。よって、哲学カフェは初歩的なお遊びどころか、哲学本来の姿を具現しているということ。そして、哲学カフェという場所では、対面することによって、参加者に共有できる現実が生み出され、その現実との対話から出された結論は、アドホック(その場限りの)でありながらも普遍性を確保しうるということ。もう一つは、対話について:哲学が共同の制作物であると前提することで、哲学カフェに必要なルールが決まってくるということ。そのような哲学カフェのルールとは、対話を成立させるためのものに他ならないということ。そして、対話の中で、参加者それぞれの経験や気づき、アイディアが、哲学の共同制作に寄与していると実感できることで、他者や自己の価値に気づき、お互いを尊重し合うような関係性が発展するということ。筆者の実感と近いものとして、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「べてるの家」に対する野口裕二氏の考察が挙げられるでしょう。「 〔べてるの家では〕上下関係が生まれる心配はないのか。結論からいえば、その心配はない。その理由のひとつは、当事者研究が共同研究という形をとっているからである。誰かひとりのアイディアではなく、みんなで作り上げたアイディアとなるので上下関係と結び付きにくい。もう一つの理由は、そこで出てきたアイディアが有効かどうかは実際の行動によって検証されるからである。」(野口裕二「継承すべき系譜②―自助グループ」(臨床心理学増刊第10号 当事者研究と専門知)2018:松本卓也『斜め論』2025よりまた引き)当事者研究と哲学カフェは、共同の表現の制作が対等な関係性につながる点、当事者または参加者に共有される現実が検証や普遍性の根拠とされる点で、共通していると考えられます。同じように対話を重視しても、声の複数性(ポリフォニー)の確保そのものが水平性につながる点を強調するオープンダイアローグとは対照的です。

阿見町、2027年の市制移行ならず《文京町便り》50

【コラム・原田博夫】2027年11月に市制移行を予定していた阿見町は、3月11日、市への移行を見送ると発表した。昨年10月の第22回国勢調査(簡易)の結果、総人口が4万9689人(速報値)となり、市制移行要件の5万人を下回ったためである。 阿見町は、2023年11月の常住人口(直近=この場合は20年=の国勢調査人口を基準に、毎月の住民基本台帳の増減により集計)が5万人を超えたことで、25年10月の第22回国勢調査で5万人達成は可能と見て、市制施行への準備を進めてきた。25年10月1日現在の常住人口も5万637人だった。 しかし、2026年2月27日、第22回国勢調査の結果(速報値)が通知され、要件を下回ったことが判明した。阿見町としては、市制移行を前提に、26年度当初予算に関連費約1590万円を計上していたが、これを減額修正することになった。国勢調査の結果によるとはいえ、関係者の落胆ぶりがうかがえる。 国勢調査の歴史と特徴 そもそも国勢調査(センサス)は、公的統計の中でも基幹統計と位置付けられ、統計法第61条で、回答拒否や虚偽報告に対しては罰金50万円以下の罰則が規定されている。 歴史的には、1902(明治35)年に制定された「国勢調査ニ関スル法律」にさかのぼるも、当初予定された調査(1905=明治38=年)は日露戦争で、さらに第1次世界大戦(1914~18年)などで実施が延期され、第1回調査は1920(大正9)年まで実施がずれ込んだ。 現状では、①住民を対象に調査が実際に行われ、住民基本台帳など他資料を集計した業務統計は含めない②ある地域に住む人全員を対象にする③調査票を用いて対象の住民が自ら回答する④調査時点(10月1日)を定め、規則的に(西暦が0年では大規模調査、5年では簡易調査)に実施される―などの特徴がある。 社会構造が変化⇒調査手法を刷新? 国勢調査の回収率は、国民性のためか、かつては非常に高かった。しかし、近年は低下していて、特に大都市部では顕著である。 期間内に調査票の回収が困難な場合は、近隣住民からの情報を基に自治体が住民票のデータで補う「聞き取り調査」を行うが、この調査の世帯割合は、2000年調査では全国4.4%(うち東京都5.9%)、05年4.4%、15年13.1%、20年16.3%に急増している。その背景には、大都市部を中心にした高層・大型マンションのオートロックシステムや不在世帯の増加、地方圏では空き家の増加など、社会構造の変化が関連している。 かつては有効だった全数調査も、DX化や社会関係の希薄化が顕著な現代では、その限界が顕在化している。新たな調査手法が求められているのかもしれない。(専修大学名誉教授)