月曜日, 4月 20, 2026
ホームつくば居場所を求め続けた想い つくばから双葉へ 谷津田光治さん㊤【震災12年】

居場所を求め続けた想い つくばから双葉へ 谷津田光治さん㊤【震災12年】

つくば市並木の公務員宿舎に、福島県双葉町の役場機関である「双葉町役場つくば連絡所」がある。東日本大震災の後、2011年12月に設けられた。同町から避難した人々に向けて住民票などの申請手続きや、町からの連絡事項を伝えるとともに、避難者による自治会活動や地域との交流の拠点になるなど、避難生活を支えてきた場所だ。

福島県内外に避難する双葉町民が、つくばの公務員宿舎へ入居するきっかけを作り、連絡所の設置を進めたのが、元双葉町議の谷津田光治さん(81)。自身も双葉町で被災し、現在、妻の美保子さんと宿舎で生活している。震災から12年がたつ3月末、谷津田さんは宿舎を離れ、故郷に近い南相馬市へ転居する。つくばと双葉の人々を結びつけてきた谷津田さんにとって、12年の時間はどのようなものだったのか。

つくば、公務員宿舎へ入居する

「ここは、見渡すと樹木が多い。双葉の家も周りが山だったから違和感ないんです。なんとなく、双葉を思い出せるんですよ」谷津田さんが自室の窓越しに、敷地に繁るクヌギの木々に目を向ける。谷津田さんが暮らすつくば市並木の公務員宿舎には、以前は48世帯が入居していた。今はそれぞれ別の場所へ移るなどし、4世帯が生活をする。2022年3月の時点で、つくば市には437人の福島からの避難者が暮らしている。その中で双葉町の人々は、最も多い112人。

つくば市並木の国家公務員宿舎

双葉町は、福島第一原発事故による放射能汚染のため町全体に避難指示がだされ、全町民が避難生活を余儀なくされた。震災直後、1400人あまりが埼玉県に一時避難するなどし、先の見えない暮らしに不調をきたす人も多かった。そんな中、当時、町議を務める谷津田さんが耳にしたのが、つくばにある公務員宿舎のことだった。

「知り合いが、『茨城のつくばに空いている公務員宿舎がある。取り壊してるところもあるけど、まだ住めるところもあるから、見てきたらどう?』って言うもんで、見にきたら、びっくりするくらい部屋があったんですよ」つくば市には1970年代、筑波研究学園都市で働く研究所職員らに向けた公務員宿舎が約7800戸建てられた。その後、老朽化などを理由に、国は段階的に住宅の廃止を進めている。

「埼玉では、学校の教室に寝泊まりしていましたし、仮設住宅も長く暮らすには大変なんです。それが、つくばにこれだけまとまった家がある。多くの町民が1カ所で生活できるわけですよ。役場の事務作業だって少なくなる」

「みんながまとまって暮らすのが一番」と考えていた谷津田さんは、各地に避難する人たちに声をかけて下見に訪れ、役場とも交渉し、その後、2011年7月までに希望者の入居が始まった。

連絡所の設置

震災後、双葉町は、集団移住先の埼玉県加須市に役場機能を移転した。しかし、避難者は各地に散らばっていて必要な連絡が行き届かない。町は、避難者の多い場所に、支所や連絡所を置き事務機能を分担させていた。それを見た谷津田さんは「連絡所をつくばにも」と町に掛け合った。「情報があっちこっちすると、間違いが起きる。直接、連絡が来るのが一番だと思ったんです」

並木地区の公務員宿舎につくられた「双葉町役場つくば連絡所」

また、つくばには、生活に必要な支援物資が届いていなかった。「当時、支援物資は加須の役場に行かないと受けとれなかった。でも、個人で行ってもなかなかもらいにくいんです。みんな困ってるのは同じだけど、物をもらうっていうのは気が引けちゃう。だから、私らがライトバンで加須に行って、役場に話をつけて受け取ってきたんです。周りの人に『何かいるのあっかな?』って聞いてまわって。連絡所があれば支援の拠点になれる。そういう考えもありました」

妻の美保子さんは「これだけみんながバラバラになって、知らない土地で心細い中にいて、何かひとつだって町から届けば『見捨てられてない』って思えたんですよね」と連絡所ができたことで覚えた安心感を話す。

始めたグラウンドゴルフ

つくばでの新しい地域づくりが始まった。そこでは避難者同士だけではなく、つくば市民とのつながりも生まれた。

谷津田さんらは毎週火曜日、近所の公園でグラウンドゴルフを楽しんでいる。12年前から欠かさない、大切にしている交流の場だ。今では避難してきた人だけでなく、地域住民も参加している。終わった後のお茶会も楽しみとなっている。

運動の指導などを通じて避難者と交流し、学生にも交流の機会を設けてきた筑波大学名誉教授で体操コーチング論が専門の長谷川聖修さん(66)は「交流の場として、私たちにとっても貴重な場です」と話す。また長谷川さんの活動を通じて谷津田さんたちと知り合い、6年前から毎週グラウンドゴルフに参加している筑波大大学院の松浦稜さん(27)は「いつも楽しみにしてきました、ここに来ると、まるで実家にいるような気持ちになります」という。

グラウンドゴルフを楽しむ美保子さん(右)と参加者たち

グラウンドゴルフの始まりは、当事者同士の気遣いからだった。谷津田さんは「最初は、ばあちゃんの引きこもり防止だったんです。『あそこのじいちゃん、ばあちゃん、部屋から出てこないから』って。週に1回でも引っ張り出してっていうのがあったんです。何をやるにも、48世帯に声かけてやってました」と話す。

震災の月命日もそうだった。「みんなどこにも頼るところがないし、『月に1回、みんなで集まっか』って意識があった。その後も、年に1回、3月11日に慰霊祭を続けていました」

市内に借りた畑にもみんなで行った。「なんでも作りましたね。白菜からキャベツ、じゃがいも、里芋。収穫する時は、双葉の人、近所の人にも声かけて、弁当持って行ったんです。みんな喜んで、ピクニックみたいにね」

互いの様子を気遣いながら、共に暮らせる場所を作っていった。美保子さんは「つくばに来て、何もないところからの始まりだったんです。同じ双葉でもそれぞれ違うところに住んでいたので、双葉にいたら顔を合わせることもなかったかなって思います。その人たちが、ここで親しくなったんですよね。みなさん本当に親切にしてくれて。自分の家族のような人もできました」と振り返る。

今年3月末で、谷津田さんは、双葉町にほど近い南相馬市に建てた自宅に転居する。12年暮らしたつくばを離れる日が近づいている。つくばでの人とのつながりが、福島への転居をためらわせていたと美保子さんは言う。(㊦につづく、柴田大輔)

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土浦の花火100年の紡ぎ(4)《見上げてごらん!》51

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絶滅危惧種のアイドル サクラソウ展始まる 筑波実験植物園

筑波大コレクション100品種以上展示 100品種余りのサクラソウの園芸品種が並ぶ企画展「さくらそう品種展」が18日、つくば市天久保、国立科学博物館 筑波実験植物園(遊川知久園長)で始まった。筑波大学が保有する約300品種の中から、見頃を迎えた株を順次入れ替えて展示する。環境の変化などから野生種の個体数が減少しているサクラソウは、「一見地味にも見えるが、よく見ると可愛らしく、絶滅危惧種植物のアイドルとも言われる。古くから日本人の身近にあった植物でもあり、人々の暮らしから生まれた多様な園芸品種を見てもらえたら」と、企画に携わる筑波大つくば機能植物イノベーション研究センター准教授の吉岡洋輔さん(47)は話す。26日まで。約20年前に始まったこの企画には、毎年およそ5000人が訪れる。 江戸の庶民文化を知る 展示会場では、上部や背面をすだれで囲んだ3段から4段の木製縁台に、鉢植えのサクラソウが並べられる。江戸時代に観賞用に用いられた「桜草花壇(さくらそうかだん)」を再現したものだ。当時の文献や図面をもとに、上段には下向きの花、下段には上向きの花を置くなど、見る人の目線を意識した配置がなされている。すだれの隙間から差し込む光も含め、花壇全体で空間を演出する手法だ。 サクラソウは、種子とともに地下茎でも増える多年生植物で、自分の花粉では受粉せず、昆虫が運んだ異なるタイプの花粉によって受粉・受精するのが特徴だ。近年は環境の変化などにより野生種の個体数が減少し、準絶滅危惧種に指定されている。 ルーツは1種の野生種 日本では古くから園芸用として栽培され、現在確認されている園芸品種は300種以上にのぼる。その多くを筑波大が遺伝資源の保存を目的に保有している。同大での園芸品種の研究は、2003年に埼玉県の園芸試験場から約200品種の寄贈を受けたことを契機に本格化した。それ以前は野生種の研究が中心だったが、園芸品種の多様性に注目が集まり、研究対象が広がった。 栽培の歴史は1440年代、室町中期に始まった。当初は野山の花を持ち帰って育てていたものが、やがて公家や武家、僧侶へと広がり、江戸時代には庶民文化として定着した。 国内に現存する300種以上の園芸品種のルーツをたどると、江戸時代に江戸郊外の荒川流域に咲いていた1種の野生種に行き着くことが、DNA研究から分かっている。その後、生育環境によって色や形などにわずかな違いが出て、その差異に着目して人々が選抜と栽培を重ねた結果、数百年をかけて多様な品種が生まれた。花の色は白から赤が中心だが、花びらの形や咲き方は多彩で、ギザギザの縁を持つ「錦鶏鳥」や、下向きの花をつける「白滝」、縁が白く色づく現存する最古の園芸品種「南京小桜」など、野生ではあまり見られない特徴を持つ品種も多い。 江戸郊外の荒川流域に園芸品種のルーツがあるのは、庶民の暮らしとの近さを示しているという。吉岡さんは「こうした多様性は、人が珍しさを求めて選び続けた結果ともいえる。江戸時代には庶民の間でも栽培が広まり、特に後期には品種改良が盛んになり、多様性が飛躍的に拡大した」と話す。 温暖化、10日早い開花 サクラソウは、種子だけでなく地下茎で繁殖するため、環境が整えば広がりやすい特性を持つ。また、林内から河川敷まで幅広い環境に適応する能力も高い。しかし近年は気候変動などの影響も指摘され、今年は暖冬の影響で開花が例年より約10日早まった。企画を担当する同博物館植物研究部多様性解析・保全グループ研究主幹の田中法生さんは、今後は展示時期の見直しが必要になる可能性もあると話す。 一方、野生種の保全が課題となっている。かつては関東各地に自生地が広がっていたが、多くはすでに失われた。埼玉県の田島ケ原は現在も残る貴重な自生地で、天然記念物に指定されている。野生種の個体数が減少する中、筑波大学では市民と協力して品種を守る「里親制度」を市内のNPO法人とともに2005年に立ち上げ、遺伝資源の保全にも取り組んでいる。 田中さんは「来園者に人気投票を行ったところ、濃い紫色の『天晴(あっぱれ)』や、桃色の『美女の舞』などが上位に挙げられた。サクラソウの面白さは、小さな違いに目を向けて増やしてきた歴史にある。花の大きさや色だけでなく、それぞれの個性を楽しみ、自分のお気に入りを見つけてほしい」と話す。(柴田大輔) ◆コレクション特別公開「さくらそう品種展」は18日(土)~26日(日)、つくば市天久保4-1-1 国立科学博物館 筑波実験植物園で開催。開館時間は平日は午前9時~午後4時30分(入園は午後4時)、土日曜は午前9時~午後5時(入園は午後4時30分)。20日(月)は休館。入園料は一般320円。高校生以下と65歳以上、障害者などは無料。19日(日)は無料入園日。 ◆第1会場の教育等では、「さくらそうを知る」と題した、サクラソウに関する歴史や栽培方法を紹介するパネル展が開かれ、「さくらそう里親の会」が増殖したさくらそう品種の販売会が開かれる。25日(土)には、「植物園研究最前線 シコクカッコウソウ遺伝子資源から見えてきた花の色の多様性」と題する講座が、午後1時30分から開かれる。定員は30人。事前予約制。