火曜日, 10月 6, 2026
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「むすびつくば」4月から民間施設に 不登校支援でつくば市

不登校児童生徒の学習支援施設運営事業者の選定をめぐる迷走から、つくば市が認定NPO法人リヴォルヴ学校教育研究所(小野村哲理事長)と協働で運営してきた不登校学習支援施設「むすびつくば」が4月の新年度から、民間フリースクールの一つとして運営されることが分かった。

23年度は現在地のまま

小野村理事長は(63)は同施設ついて、4月から「むすびつくばライズ学園」として仕切り直すと話した。同市谷田部地域で20年間続けていたライズ学園の名称を入れた形だ。開所日時はこれまでと同じ週4日(月、火、木、金)午前10時~午後3時。現在は週2日のコースで各20人、計40人程度を受け入れているが、市が他の民間フリースクールを運営する事業者と利用者の補助を23年度から開始するなど、市全体のサポート体制が充実することから、登録定員を30人程度とし、希望があれば相談の上で週4日の通所を受け付ける。

同市は4月から、事業者のリヴォルヴに対し運営費の一部を補助する。利用者に対しては月2万円を上限に利用料の一部を補助する。場所は、23年度は激変緩和のため現在の市産業振興センター(同市吾妻)で継続するが、24年度以降は新たな場所に移るという。

同市の不登校支援をめぐっては、2021年12月に市が実施した「むすびつくば」の運営事業者の選定で、20年10月から同施設を運営していたリヴォルヴが2位となり、新規のトライグループが1位となった。選定結果に対し、むすびつくばの保護者会がリヴォルヴによる運営継続を五十嵐立青市長らに陳情。五十嵐市長は「現在の利用者や保護者に多大な不安を与えてしまった」などと謝罪し、22年度は約2300万円を追加計上して、「むすびつくば」のリヴォルヴによる運営を産業振興センターで継続した。トライは場所を移して、同市研究学園のトライ研究学園駅前校で新たに支援事業を開始するという異例の決着を図っていた。

一方、むすびつくばの一部の保護者などから、市内の不登校児童生徒すべてを公平に支援するよう求める要望が出ていたことなどから、市は昨年5月、今後の市の不登校支援のあり方について検討する「市不登校に関する児童生徒支援検討会議」を設置した。今後の支援策として昨年10月、校内フリースクールを小中学校全校に設置する、民間の支援事業者と不登校児童生徒の保護者の両方に運営費や利用料を補助するーなどの案を示し、14日開会した3月議会に民間フリースクール事業者と利用者への補助事業として約7300万円などを提案していた。

利用には月謝制と補助制度併用

これまでは無料で利用できたが新年度からは月謝制になる。市は、不登校児童生徒の保護者の経済的負担の軽減などを目的に新たな補助制度を設ける施策を明らかにしており、週4日通所の場合、補助金額の上限2万円を超えた月謝は利用者負担となる。

民間フリースクール運営者への補助額は経費の2分の1となる見込みで、24年度以降の場所について小野村理事長は「利便性の高い場所は望めないだろう」とした上で、「考えていた以上に幅広い支援策が検討されていることは進展だと思う」と公表された施策を評価する。一方「(市と民間による)公民協働で不登校の支援にあたる事業の事業者に採択され、教育分野における協働事業の草分けとなれればとの思いで臨んだものの、教育局と十分な協議と調整を図ることができず、協働に関する認識の違いを感じた」とも振り返る。

小野村理事長は「雨降って地固まる。これからはもっと多くの時間を子どもたちと向き合う時間に当てたいと思う」と述べ、「不登校の心に寄り添い、育ち・学びを支えるという姿勢に変わりはない。これからも子どもたちのサポートに取り組んでいきたい」と意気込みを語った。

むすびつくばの保護者会代表だった庄司里奈さんは「市が示した民間施設運営者と保護者への支援は全国に類を見ない先進的な策で、ぜひ実現してほしい」とする一方、「不登校児童生徒と保護者の現実は厳しく、当事者が声を上げていかないと変わらないと感じている」とし、保護者の塩見直子さんは「多くの市民が身近な問題として快く署名に応じてくれたことが支援策につながったと思う。賛同してくださった皆さんにお礼を言いたい」と話す。(橋立多美)

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