火曜日, 12月 2, 2025
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つくば洞峰公園バトル、勝者は県? 市? 《吾妻カガミ》151

【コラム・坂本栄】県営洞峰公園(つくば市二の宮)の運営をめぐる茨城県とつくば市のバトルが収拾に向けて動き出しました。県が提示した「県営⇒市営」無償譲渡案を市が受け入れる意向を表明したからです。公園運営の考え方では県が譲歩、運営費用の面では市が譲歩するという、双方が納得できる形で決着しそうです。

県の「大人の対応」で決着へ

私は、本コラム134「…洞峰公園問題…市が買い取ったら?」(2022年6月6日掲載)で、公園の「県営⇒市営」を提案、「(この問題で)市と県のバトルが続くことは好ましくありません。それは市と県の関係の泥沼化を意味するからです」と書いたこともあり、親(県)子(市)ゲンカの収束にひと安心です。

県の公園改修計画と市がそれに反対する理由は以下のようなことでした。民活方式で洞峰公園にアウトドア施設を設け、公園を魅力的なものにするとともに、その収益を公園運営費に回して県の歳出を抑える―が県の考え方。これに対し、アウトドア施設は自然公園になじまない、県の計画に反対する―が公園利用者の意を汲(く)んだ市の考え方。

こういった対立を背景に、大井川知事は、▽公園利用者は反対のための理屈を並べている▽市が県に示した運営費補填案(施設利用料値上げ)はバランスが悪い―と市を批判。五十嵐市長は、▽公園は現在の形をいじらない方がよい▽大型テント(一種の住宅)設置は市の権限で阻止する―と反発。それはそれで面白いバトルでしたが、結局、知事が提案した収拾案(無償譲渡という大人の対応)に市長が乗る形になりました。

今度は「市街戦」が勃発か?

「県営⇒市営」で決着すれば、県の計画は無くなりますから、市がこだわった自然公園の形は維持できることになります。しかし、市営になると、これまで県が出してきた公園管理費・施設修繕費は市の負担になります。県は「名(改修計画)を捨て実(費用転嫁)を取る」、市は「実を捨て(費用を負担し)名(現状維持)を取る」ことになります。どちらが勝ったのか? その判定は「名」を見るか「実」を見るかで異なるでしょう。

市は14日、洞峰公園管理費と園内施設修繕費を試算した数字を議会に出しました。それによると、譲り受けに伴う年間支出は、1億5085万円(公園管理費)+7800万円(施設修繕費)=2億2885万円になるそうです。

今年度の全公園(356カ所)管理費は8億9978万円(施設修繕費は別会計)ですから、1億5085万円(今年度比14%増)が大きいか小さいか、意見が分かれるでしょう。市の計算に議会がどう反応したかは、記事「費用負担 年2.3億円 無償譲渡受ける方針を議会に説明…」(2月14日掲載)をご覧ください。

市議の意見や記事に寄せられたコメントを読むと、市民の評価は割れています。赤(止め)派=洞峰公園を使っておらず支出増は認められない。青(行け)派=公園の現状が維持されるのだから負担は仕方ない。黄(待て)派=アウトドア施設を受け入れ県営のままがよい。県とのバトルは収束しそうですが、今度は「市街戦」が勃発(ぼっぱつ)しそうな気配です。(経済ジャーナリスト)

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)