火曜日, 10月 6, 2026
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20歳の門出を祝う つくば、土浦で式典

20歳の門出を祝う「二十歳(はたち)のつどい」が8日、つくば市、土浦市で開かれた。民法改正により22年4月から成年年齢が18歳へと引き下げられるなか、両市共に20歳を節目と捉え、市として若者たちの門出を祝った。新型コロナの感染対策から、つくば市は式典を出身中学ごとに分け、午前・午後の2部制とした。昨年のように参加者の制限は行わず、検温、マスクの着用、隣との間隔をあけての着座などの対策をとっての開催となった。(柴田大輔・下村竜世)

勇気を持って一歩踏み出す…つくば

「おお!久しぶりー!」式典会場となったつくばカピオ(つくば市竹園)前では、広場にできたいくつもの人の輪から歓声が上がった。

冨山美空さんと塚本瑠奈さんは、幼稚園からの幼馴染。この日は同じ美容室で着付けを済ませて朝一番に会場に足を運んだ。大学で韓国に留学していた冨山さんは「将来はCAなど国際的な仕事につきたい」、専門学校に通う塚本さんは「動物看護師になりたい」と夢を語った。社会人をしながら専門学校に通う大塚真尋さんは中学、高校の同級生と足を運んだ。「(式典を)楽しみたい」とこの日への思いを語ると「将来はインフルエンサーに」と将来への思いに力を込めた。

式典では、参加者を代表し中川輝成さんがコロナ禍による自身の進路への影響を振り返ると共に、「正しい判断を下すこと」や「そのための努力、誤っても後悔せず、精一杯前を向いていくこと」が大切だとし、「これからの人生、どんな困難があろうと常に努力し続ける」と誓いを述べた。

式典の中で、出身中学ごとに恩師によるビデオレターが放映された=つくばカピオ

つくば市の五十嵐立青市長は、昨年開催のワールドカップを念頭に「PKを外すことができるのは、PKを蹴る決断をしたものだけ」というサッカー元イタリア代表、サロベルト・バッジョ選手の言葉を引きながら、「怖がらず勇気をもって、一歩踏み出すことで新しい世界が開ける。難しく、悩ましい判断があるかもしれないが、そんな時こそ自分からPKを蹴れる人になってほしい」と成人たちに言葉を送った。

ピンチをチャンスに…土浦

土浦市では午後1時30分からクラフトシビックホール土浦(同市東真鍋)で「二十歳のつどい」が開かれた。2部制を敷いた昨年とは変わり、今年は一度での開催となった。新型コロナ感染対策として入場時のマスクの着用と検温、手指のアルコール消毒、会場では10分ごとに換気が行われ、式典終了後は速やかな解散が求められた。

会場入り口に設けられた参加者受付には、20歳を迎えた市内の各中学校の代表者による「土浦市二十歳のつどい運営委員会」のメンバーが立った。委員会の副委員長を務める木野内孝都さんは、「みんなで作ってきた式典。昨年9月から何度も会議を繰り返し、準備を重ねてきた」と振り返ると、「ようやくこの日を迎え、晴れやかな気持ち」と笑顔を浮かべた。将来については「(式典も)大人たちの力もあってここまでこられた。20歳の自分にはできる部分と、まだできない部分も多い。これからは、周りを引っ張っていけるような大人になりたい」と気持ちを込めた。

式典では参加者を代表して、運営委員長の中川博陽さんが謝辞を述べた。中川さんは「コロナ禍の中で、友人たちとの二十歳のつどいを開催していただけたことをとてもうれしく思う」と周囲への感謝を述べると、「友の存在を忘れず出会いを大切にし、目標を持ちこれからの人生を歩んでいく。そして、故郷土浦の魅力を高め、盛り上げていくことにも力を注いでいきたい」と思いを語った。

安藤市長と記念撮影のつどい運営委員長の中川博陽さん=クラフトシビックホール土浦

安藤真理子市長は、これまでのコロナ禍を踏まえながら「ピンチをチャンスに変えてほしい」とエールを送るとともに、「土浦で生まれ育ち、勉強したことを自慢してもらえるよう、私たちも努力していきたい」と思いを語ると、参加者に向けて「悲願だった(つくばエクスプレスの)土浦延伸に向けて皆さんのご協力をお願いします」と呼びかけた。

式典の模様は、つくば市では後日YouTubeで配信する。詳細はつくば市ホームページで案内される。土浦市では、8日午後6時からYouTube チャンネル「二十歳のつどい」で公開される。

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