【コラム・中尾隆友】日本の大学の卒業生は、米国と比べて決して劣っていないと思う。決してお世辞ではない。それでは、なぜ日本の企業は米国の企業に比べて成長性や生産性が著しく低いのか。それは、日本の大学がリーダークラスの学生を育てることができていないからだ。優秀な経営者が企業を変革し、社会全体を変えていくのだが、日本ではそれが起こりにくいのだ。
大学に決定的に足りないもの
日本の大学に決定的に欠けているのは、日本を引っ張るリーダーを育てるという役割だ。当然のことながら、それは地方の大学にも求められる。茨城の大学にも、地方のリーダーになることができる人材、すなわち、グローバルな視点を持って地方にイノベーションを起こすことができる人材を育成するようなコースがあってよいと思う。
地方が発展するためには、地方からイノベーションを起こすことができる社会にしなければならない。そのために、知の拠点となる大学と地方の経済発展というのは、これまでとは比べものにならないほど密接に関わっていくことになるだろう。
地方大学改革の必要最低条件
日本の少子化が加速していくなかで、多くの大学が淘汰(とうた)される厳しい状況下にある。とはいえ、地方自治体は有為な若者を地元にとどまらせるために、地方大学の改革を通して、その魅力度を底上げできるように懸命に努力しなければならない。
そこで、地方大学を改革するために必要最低条件となるのは、卒業要件を非常に厳しくするということだ。大学が卒業生に対して、リーダーとしてふさわしい知識やスキル、柔軟な思考力を担保できなければ、地方経済の発展に貢献することなどできるはずがないからだ。
首長のリーダーシップにかかる
そういった意味で、私は、地方が少子化をできるかぎり抑え、地方創生を成し遂げるためには、地方自治体の首長のリーダーシップによって地方大学を変革することが欠かせないと確信している。
知事にしても市長にしても、首長が先見性を持った思考力と本質を見抜く才覚を持っていることはもちろん、地域の住民に何が何でも明るい未来を見せたいという情熱を持たなければ、地方の大学の改革、ひいては、地方の明るい未来は期待できないだろう。
できるだけ多くの首長に、地方大学の改革を地方の成長に結び付けるような取り組みを始めてもらいたい。そう願っている。(経営アドバイザー)