火曜日, 10月 6, 2026
ホームつくば旧郵便局舎と巡り合う【北条宿でコーヒーブレイク】2

旧郵便局舎と巡り合う【北条宿でコーヒーブレイク】2

つくば市北条は、正しくは宿場町ではない。農村の様々ななりわいが集積した在郷町(ざいごうまち)と称するのがふさわしい。街道(県道138号石岡つくば線)に面して発展した歴史を持つ街並みには、いくつかの登録有形文化財指定を受けた近代建築が残る。

旧常陸北条郵便局もそのひとつ。切妻造妻入と切妻屋根のポーチを持つ、洋風外観でありながら和風建築との融合を果たした局舎と住宅だ。

登録文化財の旧郵便局舎が利活用される店舗

1933年に建てられ、1962年まで使われていたこの建物は、2008年に喫茶店として蘇った。その名も「カフェ ポステン」。スウェーデンの言葉で郵便局を意味する。

思い付きだったコーヒー修行

店主の椎名祐一さん(51)が1人で切り盛りする。椎名さんとコーヒーとの出合いは、数奇な縁が下地となっている。

「学生のとき、就職活動中に見た学内掲示板の『ブラジルへの交換留学』がきっかけでした。これを主催していた団体は今はもうありませんが、留学と就職目標の両方に選び、先方からは『どちらかに絞って』と言われて卒業後の留学となりました。1995年から1年間、ブラジルのコーヒー企業で豆の卸業や直営店での接客など、いろいろな経験をさせていただきました」

この時点ではまだ、喫茶店を営む考えも構想もなかった。サッカーとサンバとコーヒーの国に、たまたま出かけていったらラテンの陽気さが肌に合った、という程度だったそうだ。

帰国後しばらくして、つくば市古来の「珈琲倶楽部なかやま」に就職した。本格的なコーヒー修行はここから始まる。

「亡くなられたオーナーからはコーヒー屋の全てをたたき込まれました。もうひとつ、栃木県の黒磯(那須塩原市)にある『ショウゾウ コーヒー』さんのスタイルに憧れまして、ラテンどころか日本の昭和の風合いを感じさせる場所で、その当時の時間にも浸ることのできる店舗を描いたんです」

ブラジル発・なかやま仕込みのブレンド

古民家に住み物件探し

90年代、つくば市にも古民家活用の波が訪れていた。椎名さん自身も北条の古民家を借りて住み始め、仕事の合間に物件を探しながら喫茶店の構想準備を進め、旧常陸北条郵便局舎と巡り合った。

「構想はできていましたが、資金繰りや資機材調達や局舎の借り受けに何も後ろ盾が無くて、なんとかなるだろうと見切り発車です。建物の持ち主には幾度も説明に伺い、内装を店舗化することも含めて理解をいただきました。知人友人の手を借りて改装を自分自身で手がけ、店員も雇用できないから1人で営業です」

オープンは2008年11月。手仕事で作られた器、地産の食材を使った献立、建物に存在する古さの活用ー。来客はほとんど無かったという。

「当時は宣伝もせず取材も受けなかったですから、PR効果以前の話ですが、それで良かったんです。何でも自分でやらなければ気が済まないけれど、1人でできることは限られています。お客さんと対話する時間がまた楽しいですから、大繁盛よりものんびりと店を構えていたい」

ランチの一つ、ベーコンレタスサンド

今は、地元の来客、口コミ情報を頼りに訪ねてくる人々で、週末は混雑するほどになっている。「ポステン」と名付けたのは郵便局舎を母体としているから当たり前なのだが、スウェーデン語にした由来を尋ねると、市内でガラス工芸を営む妻が、北欧でガラス細工の修行をしてきたからだという。店内にあるグラス類は妻の手仕事によるものだ。

「夏の間、クリームソーダを用意したら大人は懐かしんでくれて、若い人たちにはインスタ映えするかわいい素材だと、全く異なる感想ながら皆さん楽しんでくれました。コーヒーもランチも同様で、ここに来て自分だけの時間を手に入れていただければいいなあと思っています」

近傍遠方から人々が通ってくる場所。椎名さんの人生にとって、カフェは「山を一つ登って降りてきた」ようなものだという。次の山に登る計画は既に始まっている。「やりたいことは沢山あります。北条で次の山を目指したいし、さらに年を経たら椎名家ゆかりの地に赴いて、また別の山に挑みたいですね」(鴨志田隆之)

続く

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