日曜日, 3月 8, 2026
ホームつくば全国の駅弁掛け紙コレクションも つくばの古書店で鉄道150年展

全国の駅弁掛け紙コレクションも つくばの古書店で鉄道150年展

つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で、第16回店内展示「鉄道150年」が開催中だ。1872年(明治5)10月14日に日本初の鉄道が新橋-横浜間に開業してから150年を迎えたのを記念し、店内のショーケース3台に明治期から現在までの鉄道関係資料約80点を展示している。目玉といえるのが数百枚に及ぶ駅弁の掛け紙コレクションで、かつて名を馳せた土浦の駅弁も含まれている。

主な展示品は、明治~昭和期の各地の時刻表や鉄道地図、旅行案内などのほか、運転教範や線路工手教範といったマニュアル類、改札鋏(かいさつばさみ)や鉄道懐中時計、車両番号札などの実物も豊富だ。地域資料では旧筑波鉄道や筑波山ケーブルカーの絵はがき、つくばエクスプレスのカレンダー(2008年~2018年)などがある。

珍しいところでは、1881年(明治14)に発行された日本鉄道会社の鉄道特許条約書(国の設立許可書)もある。同社は岩倉具視らが中心となって立ち上げた日本初の私立鉄道会社で、後の東北本線、高崎線、品川線、常磐線などを運営していた。

駅弁の掛け紙はショーケース展示とは別に、地域ごとにファイリングされ、北海道から九州までの日本全国と、日本統治下の朝鮮や台湾のものもある。鉄道旅行黄金期とされる昭和初期を中心に、戦時中の「国民精神総動員」「車内も隣組」といった標語を刷り込んだものも目立つ。

「今は駅弁の販売は始発駅に集中しているが、昔は途中の駅で買うことが多かった。今と違って列車旅行は長旅で、駅弁の需要も大きかった。特に機関区(機関車の保守点検などをする車両基地)のある駅は停車時間が長く、車窓越しにホームの売り子から弁当を買う姿がよく見られた」と店主の岡田さん。そうした駅の一つが土浦で、水戸機関区の土浦支区があり、機関車の取り替えなども行われていた。

駅弁の歴史113年 土浦駅

展示されている土浦駅の駅弁掛け紙、左は説田商店、右2枚は山本弁当店

土浦駅では日本鉄道土浦線(現JR常磐線)開業4年後の1899年(明治32)、説田商店に構内営業の許可が下り、翌1900年(明治33)には山本弁当店、1902年(明治35)には福見商店(後の富久善)が参入して競い合った。当時、常磐線で駅売りがあるのは土浦駅と水戸駅だけで、例えば午前8時30分上野発に乗った客は、11時14分着の土浦で弁当を買い逃すと、午後1時20分の水戸着まで空腹を抱えなければならなかった。

土地の名物駅弁、いわゆる特殊弁当は明治中頃から盛んになった。中でもうな丼は土浦駅の説田商店が1902年(明治35)に発売したのが最初とされ、日本画家の横山大観が常磐線に乗る際は、必ずといっていいほど同店に注文が入ったという。

高度成長期、鉄道の高速化は駅弁業界に逆風となった。在来線でも特急列車の停車時間が短くなり、車両の窓も開かなくなったため、ホームでの立ち売りは急速に姿を消し、売店での販売や車内販売に活路を求めていった。しかし行楽の足がバスや自家用車に変わり、さらにファストフードやコンビニ弁当の普及などもあり、駅弁はますます衰退。土浦では2012年(平成24)に富久善分店がホーム売店を休業したのを機に、113年に及ぶ駅弁の歴史に幕を下ろすことになった。

「誇らしく、感謝」

思い出を語る説田賢哉さん

説田商店の創業者・良三郎のひ孫で、土浦市内で不動産鑑定事務所を営む説田賢哉さんは、幼いころの記憶に残る自社商品に、うな丼のほか、霞ケ浦の名産品を取り入れた幕の内タイプの「水郷弁当」、山菜炊き込みご飯の「ときわ路弁当」などがあったと振り返る。

だが父の賢助さんの代には駅弁はすでに下降線で、立ち食いそばに軸足を移した後、2001年(平成13)ごろ経営を譲渡、駅での事業から撤退している。「明治から平成までの間、土浦の歴史に名を刻んだことは誇らしく、今の自分があるのも曾祖父らのおかげと感謝している。できることならもっと話を聞きたかった」と賢哉さんは述懐する。

◆会期は12月11日(日)まで。営業は午前10時~午後4時。不定休(ツイッター@campusokadaで情報更新)。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い、店舗の裏に駐車場あり)、電話029-851-8100

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

店頭など44カ所にミモザ飾る セキショウグループ 8日は国際女性デー

3月8日は国際女性デー。関彰商事(本社・筑西市・つくば市、関正樹社長)は6日から、同社オフィスのほか、グループ企業のガソリンスタンド、自動車販売店など県内外44カ所のオフィスや店舗に、黄色いミモザを使ったフラワーアレンジメントを飾っている。 国際女性デーは「ミモザの日」とも呼ばれることから、さらなるジェンダー平等の社会実現を願い、国際女性デーに合わせて実施する。2021年から毎年飾っており、今年で6年目になる。 同つくば本社総務部総務課の斉藤弘美主任は「ミモザはイタリアでは女性への感謝を表現する花とされている。国際女性デーに合わせてミモザを社員の目につくところに置くことで、感謝だけでなく、男性社員と女性社員双方が日頃支え合って業務が成り立っていると思うので、そういうものをミモザを通して感じていただけたら。関係性が良くなることで男性社員も女性社員も働きやすい関係が整えられて、事業がうまく回って進めていけるきっかけになれば」と語る。 同広報部広報課の石井雅也さんは「各拠点44カ所にミモザを飾ってあることが、社員同士だけでなく、社員とお客様の会話のきっかけとなり、『どうしてミモザなんですか』などの会話から、女性活躍に関する理解が深まるきっかけになったらすばらしいことだと思う」と話している。 国際女性デーの8日にはミモザを飾ってある店舗で女性の来店客を対象に、ガソリンスタンドでは花の種、自動車販売店ではミニハンドクリームを先着順でプレゼントするという。 同社は、採用、労働時間、多様なキャリアコース、管理職比率など女性活躍の取り組みが優良だとして、2016年に厚労省から「えるぼし」の三ツ星認定を受けている。同社の女性役員は現在3人(昨年は2人)、管理職は23人(同21人)。 国際女性デーは、国連が定めた女性の社会参加を願う日で、イタリアではミモザの日と呼ばれ、女性に感謝を込め、幸福の象徴であるミモザが贈られている。

命の入口と出口に変化 家族機能が分離《看取り医者は見た!》50

【コラム・平野国美】ミラノ冬期五輪のフィギュアスケート金メダリスト、アリサ・リュウ選手が自身の出生について語っている記事があります。5人兄弟姉妹で、マザーが卵子を提供され代理出産で生まれた、育てたのはシングルファザーだそうです。長女の彼女の言葉には1ミリの重さもなく、あっけらかんとしていました。 この話を読み、私たちは無意識に「じゃあ、本当の母親は誰なのだろう?」と考えてしまいました。しかし、彼女の前向きな姿勢に、この問い自体が時代遅れでナンセンスと気づかされます。 医学の進化、社会の変化によって、遺伝子―出産―養育を分離することが可能な時代になりました。かつては、「遺伝的な母」「産んだ母」「育てた母」は、1人の女性の中で分かち難く結びついていました。しかし、現代の生殖医療は、これを機能別に分離することを可能にしました。 ビジネスの世界では、セットだったものをバラバラにして提供することを「アンバンドリング(機能の分離)」と呼びますが、まさに「母親」という概念がアンバンドリングされ、機能の集合体へ変わったのです。 「家族」に残るものは何か? この話に「すごい世界になったものだ」と思った私ですが、ふと、あることに気付きました。訪問診療医として普段見ている風景も、全く同じ構造なのではないか、と。かつて日本では、大家族制度のもと、高齢者介護は全て家族(長男の嫁など特定の個人)に結び付いていました。食事の用意、下の世話、日中の見守り、そして看取りまで、全てが「家族の役割」としてパッケージになっていたのです。 しかし、核家族化が進み、2000年に介護保険制度が始まりました。これにより、家族が抱え込んでいた各機能が見事に「アンバンドリング」されました。昼間の見守りはデイサービスへ、入浴や排泄の介助は訪問ヘルパーへ、医療ケアは訪問看護師や訪問診療医へ、と。命の入り口(誕生)だけでなく、命の出口(看取り)においても、私たちは家族から切り離された社会を生きているのです。 では、機能が外部化され、それぞれが専門家に委ねられたとき、最後に「家族」に残るものは何でしょうか? 家族というものを再定義する時代になったのでしょうか? 私が診療に出向く場所には、当然、患者さんがいらっしゃいます。しかし、血縁関係のある方は不在の場面が多いのです。ヘルパーさんや訪問看護師の方のほか、友人や内縁の方が介護をしているケースが増えてきました。よく使われた「遠くの親戚より近くの他人」という言葉が、昭和の時代とは違う意味合いを持ってきたことは確かです。(訪問診療医師)

14カ国・地域の101人が巣立つ 日本つくば国際語学院で卒業式

学校法人つくば文化学園が運営する日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長)の卒業式が6日催され、14カ国・地域の卒業生101人が、恩師や在校生らに見守られながら学び舎や友達に別れを告げた。 卒業式は、隣接する日本料理店、つくば山水亭のレセプションホールを会場に催された。卒業生らは母国の民族衣装を着て、青いガウンをまとい、学士帽子をかぶって入場、笑顔で式典に臨んだ。卒業後は大学や専門学校に進学したり、国内企業に就職したりなどそれぞれの専門分野に進むという。 卒業生の出身国14カ国と地域は、ネパール56人、ミャンマー16人、中国8人、スリランカ8人、タイ3人、韓国2人、イラン1人、モンゴル1人、フィリピン1人、インド1人、香港1人、マダガスカル1人、 チュニジア1人、 ベトナム1人。 式典では卒業生を代表して、ネパール出身のシリス・リマさんが「日本の生活は決して簡単なものではなかった。故郷のことを思い、言葉にできないほどの切なさを感じた。そんなとき『努力しなさい、あなたなら何でもできる』という母の言葉が勇気を与えてくれた。ここで学んだ日々がこれからの人生を支えてくれると信じている」と感謝の気持ちを語った。 東郷理事長は「皆さんは最初、一人で来たが、今は一人ではない。この学校を実家だと思い。これからも頼って欲しい。そして何のために日本に来たのか思い出し、頑張って欲しい」などと卒業生に語り掛けた。 在校生を代表してミャンマー出身のシン・プム・ファイさんは「日本語の勉強とアルバイトの両立をしながら学校に通う毎日は簡単でなかったと思う。不安や期待はあると思うが、先輩たちなら困難なことも乗り越えられると信じている。夢に向かって進んでください」とエールを送った。 式典では卒業生5人に皆勤賞、49人に精勤賞が贈られたほか、日本語能力試験(JPLT)の表彰が行われ、64人に表彰状が贈呈された。同試験は、日本語を母語としない人を対象に日本語能力を測定し認定する世界最大規模の検定試験で、国際交流基金と日本国際教育支援基金が実施する。認定はN1からN5まで5段階あり、同語学院では今年度、最高位のN1に2人が認定された。 式典後、東郷理事長は記者団の取材に対し「今年の卒業生も101人と膨れ上がった。来年は同じ会場ではできないかもしれない。生徒には日本を好きになってほしいと思っているので、先生方にもやさしく指導するようにと話している」とし「なぜサンスイグループが日本語学校をやっているのかと聞かれるが、私自身も商社時代にアラビア語を習った経験もあって、大変だったが楽しかったということもあるのかもしれない」などと語った。 日本語学校が現在、直面している課題として、急増する入学希望者に対し、教員不足や教育の質の確保などの課題があるという。2024年4月に日本語教育機関認定法が施行されたことにより登録日本語教員という国家資格制度が始まったが、需要と供給のミスマッチが起きている状況が続いている。(榎田智司)

電子顕微鏡が体験できる博物館 操作はスマホ感覚

ミュージアムパーク茨城県自然博物館 【PR】ミュージアムパーク茨城県自然博物館(茨城県坂東市)は、入館者が操作できる卓上走査電子顕微鏡(SEM)を導入した。観察に必要な操作はすべてタッチパネル操作。子どもたちに「また行きたい」と思わせる、魅力ある新たな展示になりそうだ。 「もう一度行きたい」と子どもがねだる場所 県自然博物館は年間40万人以上の入館者を誇る。国内の自然系博物館を見渡すと10万人台にとどまる博物館が多く、入館者数の多い博物館はそう多くない。そうした中、同博物館は自然系博物館の中では最も入館者の多い施設の一つになる。 一方でアクセスがいいわけではないと横山館長は話す。つくばエクスプレスの守谷駅から出るバスのうち、同博物館の開館時間に合う便は実質1日2本。しかも最寄りのバス停から10分ほど歩かなくてはならない。土日祝日には博物館の敷地内に乗り入れる便が増発されるが、それも1日3本だ。 では、どうして入館者が多いのか。県自然博物館には小学校や幼稚園の団体を中心に年間7万人ほどが来館するという。しかも県内だけではなく、近隣の千葉県や埼玉県、あるいは東京都からも来るのだとか。見学を終えて家に帰ると「もう一度行きたい」と保護者にねだる子どもが多く、今度は保護者と一緒に自動車で訪れるという流れができているそうだ。 人を引きつける企画展、年3回ペースで 県自然博物館の特徴の一つは企画展が多いこと。2024年11月に開館30周年を迎えたが、30年の間に91回の企画展を実施してきた。概ね1年に3回のペースだ。 そしてこの企画展が「どれも面白い」と評判になるそう。例えば、変形菌、地衣類といったマイナーなテーマでも入館者は10万人を超えた。子どもたちに「また行きたい」と思わせる面白い内容になるようスタッフたちが工夫をしているのだ。 一つ例を挙げると、第87回企画展のテーマは「うんち無しでは生きられない!」だった(2023年7月8日~9月18日)。うんちが持つ多様な機能に着目しながら、うんちが自然界で果たしている役割を紹介する内容で、ゾウやパンダなどの実物のうんちも凍結乾燥させて展示。その充実の内容に興味を持った読売新聞社と東京ドームが「うちでもやりたい」と博物館に協力を求め、同企画を再構成した展覧会「うんち展 -No UNCHI, No LIFE-」を東京ドームシティのGallery AaMo(ギャラリー アーモ)で開催したほどだ(期間は2025年3月18日~5月18日)。 子どもたちに「また行きたい」と思わせる工夫は企画展にとどまらない。2025年2月、常設展示のコーナーにタッチパネルで操作できる卓上走査電子顕微鏡(SEM)を導入・設置した。入館者が自ら操作してミクロの世界を体験できる。 国内博物館初の入館者が操作できるSEM、そこには館長の長年の思いも 導入したのは日本電子の卓上走査電子顕微鏡「JCM-7000 NeoScope™」。日本電子の製品を選択した理由は、低真空モードと高真空モードの両モードが使えるといった機能面の評価もあるが、ユーザーインターフェース部分の開発要望に日本電子がフレキシブルに対応したことが決定打となった。観察に必要な操作は、すべてタッチパネル操作で直感的に可能だ。スマホに慣れた子どもたちは特に苦もなく操作ができる。同館によるとこのような電子顕微鏡の体験展示は国内の博物館では初だそう。 横山館長が以前、国立科学博物館に勤務していたときに、入館者にミクロの世界を体験してもらう企画を立て、何度か実施したことがあった。光学顕微鏡では見えない世界を電子顕微鏡で経験してもらいたいー。その貴重な体験に参加者はみな喜んだが、一方でサポートするスタッフには反省が残った。電子顕微鏡の操作は参加者に任せられないので常にスタッフが操作に当たる必要があり、時間の面でスタッフの負担が大きかったのだ。この企画は3年ほどで止めてしまった。 「スタッフの負担が軽く、入館者に喜んでもらう方法はないものか」。今回導入した電子顕微鏡は、館長の長年の思いに応える解決策でもある。 電子顕微鏡で見られる試料は今のところ、①アライグマの毛、②放散虫(海洋性プランクトン)、③チョウの鱗粉、④アジサイの花粉の4種類(2025年6月27日時点)、拡大率は最大約2万倍まで。導入してまだ日は浅いが、「あっ、あそこだ」とまっすぐSEM展示に走ってきた子どもがいたとか。早くもリピーター増につながる博物館の魅力の一つとして知られ始めている。 新しい試料の準備も続々と進んでいる。そのほかにも「学校と連携しよう」「イベントの中で活用しよう」「10人程度の参加者を募り、それぞれ持ち寄った試料をSEMで観察してもらい、その画像を持ち帰ってもらおう」といった活用のアイデアがスタッフの間でいくつも検討されているようだ。 「この博物館にまた行きたい」と思わせる企画が、このSEMを絡ませて次々と生まれてくる。その日が訪れるのはそう遠くない。 プロフィール【横山 一己(よこやま かずみ) ミュージアムパーク茨城県自然博物館館長】1972年金沢大学理学部地学科卒。1977年東京大学大学院理学研究科博士課程修了。ハワイ大学地球物理学研究所研究員、金沢大学工学部助手、オークランド大学研究員などを経て国立科学博物館に奉職。同科学博物館においては地学研究部研究員、同主任研究官、同地学第一研究室長、地学研究部部長を歴任。2016年より茨城県自然博物館館長。