火曜日, 10月 6, 2026
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土浦「二番橋」解体へ 古レール構造物の文化財価値不明のまま

JR常磐線をまたぎ土浦市富士崎2丁目と小松ケ丘町を結ぶこ線人道橋、通称「二番橋」が26日から通行止めとなり、架け替え工事が始まる。同じく通称「一番橋」の撤去とセットになった工事で、二番橋は22年度に撤去し、23年度の新設を待って、一番橋を24年度に撤去、25年度に工事完了となる。

2橋とも自動車は通行できない自転車歩行者用の橋で、土浦市の管理する市道。2016年の点検で、構造物の機能に支障が生じる可能性があり、早期に措置を講ずべき状態であると位置付けられた。17年度の交通量調査では、主に二番橋を周辺の住民や土浦日大生が利用している状況で、一番橋の利用者は極端に少なかった。同市はJR水戸支社や県などと調整し、二番橋は架け替え、一番橋は撤去で道路橋の統廃合・集約化を行うこととし、両側の地区にも地元説明会で理解を求めた。

工事は協定書を結んでJRの関連会社が行う。5カ年事業で総工事費は約9億9000万円を予定している。道路施設としての橋梁に係る工事費が約7億300万円。架け替え後も自動車は通行できない。

建設時期めぐるミステリー

二番橋付近に資材置き場が造成され、大型重機が持ち込まれた昨今、周辺の地区からの関心も引くようになった。話題の中心は、2橋の建設時期だ。同市小松の二十三夜講に集まる70代、80代のお年寄りたちに聞くと、地元育ちの全員が子供のときからあった橋だという。「汽車が来ると橋の上で煙を浴びる遊びをした。床板は枕木の廃材利用で隙間が空いていた。床板はコンクリートに変わったが、橋脚や桁(けた)は鉄骨代わりに古レールが使われた構造のままだ」

常磐線の前身、日本鉄道海岸線は1896(明治29)年に土浦・田端間で開通している。これに先立つ工事で、荒川沖駅方向から土浦市街地に抜けるルートとして小松丘陵に切り通しが出来、人道橋が架けられた。線路の敷設はその後になるはずだ。二十三夜講総代の広瀬昭雄さん(83)は「工事の手順からいえば切り通しに橋を架けてから、線路を引いたはず」と断言する。

上の写真のように東京方面行きのレールは、二番橋の橋脚を避けるようなカーブを描いている。先に橋脚が出来て、後からレールを敷設したと考えるのが自然な形だ。今回の工事で、二番橋はアーチ状になって橋脚が省かれ、軌道は直線に正されるため、建設時期のミステリーを解く手がかりは消える。

安全性が維持できず利用者も少ないため撤去が決まっている一番橋=2020年撮影

市道路建設課によれば、「建設年度は資料が残っておらず不明。主桁が鉄道の古レールを再利用して作られたもので、このような橋梁は物資が不足していた太平洋戦争の前後に建設例が多いと言われている」という。しかし、物資不足の戦時中に鉄製の古レール利用は考えにくく、各地の資料では大正から昭和初期にかけ、駅舎などに多くの古レール造構造物が作られたとある。

長く見積もると100年以上の歴史を刻む近代遺産だが、文化財として扱えるかは「明確な記録がないと難しい」と市文化振興課。「一番橋、二番橋の所在は知っているがそんな工事があるのは初めて知った。建設に関わる記録・史料は見たことがない」と市立博物館。

通常レールの腹部にはロールマークと刻印が押されている。レールの種類、製造年月、製造者名などが分かるそうだが、市に問い合わせたところ、これらを調べたことはないという。解体で出る古レールについても、JRを含め刻印チェックなどによる記録保存は行わず、通常の建設廃材として処分するそうだ。

日本初の鉄道が新橋・横浜間に開業したのは1872(明治5)年10月14日のこと。来月、鉄道開業150年を迎える。(相澤冬樹)

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