火曜日, 11月 25, 2025
ホーム土浦10月、11月に大規模自転車イベント 土浦駅拠点に茨城プレDC

10月、11月に大規模自転車イベント 土浦駅拠点に茨城プレDC

プレイアトレ土浦(JR土浦駅ビル、土浦市有明町)を運営するアトレ(本社・東京都渋谷区、一ノ瀬俊郎社長)は10月~12月にかけて茨城県で開催される観光キャンペーン「茨城プレデスティネーションキャンペーン」(茨城プレDC)に合わせ、霞ケ浦一周のサイクリングが楽しめるライドイベント「いばらきK1ライド2022」や2020年以来となる人気イベント「BIKE&CAMP(バイク&キャンプ)」などを開催する。

本県で21年ぶり3回目となるデスティネーションキャンペーンは、23年10月から12月の開催が決定した。JR東日本、JR東海などJRグループ6社が地域と一体となって、魅力的な観光資源の紹介、イベント開催やおもてなしに取り組み、集中的な宣伝を全国で実施する。国内最大規模の観光キャンペーンは3カ年にわたり展開され、22年には「茨城プレDC」を、24年には「茨城アフターDC」を、共に秋季開催する。

茨城プレDCでは、県が誇るサイクリングやキャンプなどのオープンエアで楽しめるアクティビティーのほか、茨城の豊かな「食」をメーンコンテンツに全国各地からの観光誘客を図るよう計画された。アフターコロナを見据えた観光需要の回復や県内経済の活性化を目指すという。

いばらきK1ライド=主催者提供

「いばらきK1ライド2022」は霞ケ浦一周にチャレンジするファンライドイベント。主催はいばらきK1ライド大会事務局(東京)。開催日は10月16日。ナショナルサイクルルートにも選ばれた「つくば霞ケ浦りんりんロード」の霞ケ浦エリアを走行しながら、途中のエイドステーションでは地元の名産品や名物グルメを楽しむ。

霞ケ浦1周コース(95キロ)のほか、土浦~潮来(霞ケ浦南岸を走行)をサイクリングし、復路はサイクルーズに乗船し、クルージングで土浦まで戻る55キロコース、土浦~かすみがうら市歩崎公園までの往復の初心者向け36キロコースが設けられる。

参加費は▽95キロ(大人6500円、中高生4000円)▽55キロ(大人7000円、中高生5000円)、36キロ(大人3500円、中高生2500円)=いずれも税込み。イベントサイトから申し込みできる。

「BIKE&CAMP」は20年10月の開催では、2日間で3500人が来場した自転車とキャンプをテーマにした旅イベント。今回は11月19日と20日、霞ケ浦総合公園(土浦市大岩田)を会場に開く。最新自転車の試乗、地元産品の販売、キッチンカーの出店、旅マルシェ(世界各国の雑貨など)トークショー、ワークショップ、チャリティオークション、ライドイベントなどが予定されている。入場は無料。キャンプ宿泊は別途。イベント特設サイトから申し込める。

10月9日、10日にはプレイアトレ土浦6階屋上で「食とお酒」のイベントを初開催。土浦市自慢のグルメやアトレ2階・佐藤酒店おすすめの茨城の地酒を堪能できる。イベントでは、地元の常陸秋そばを原料とするそば焼酎「土浦小町」の試飲やそば処の味などが楽しめる。県内のクラフトビールを豊富に用意しての「ビアフェス」も同時開催する。各イベントの詳細は、順次プレイアトレ土浦のホームページで公開する。

茨城デスティネーションキャンペーンの詳細はこちら

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自動運転バス「レベル4」27年度実現へ つくば市で3回目の実証実験開始

つくば市で21日、公道を使った自動運転バスの走行テストを行う実証実験が始まった。ルートは、つくば駅から筑波大学構内を循環する約10キロの既存のバス路線で、所要時間は約40分。一般の乗客を乗せて1日4便の運行を来年1月23日まで続ける予定だ。同市は2027年度に、運転手不在の状態で、特定の条件下で完全な自動運転が可能となる「レベル4」の実現を目指している。 この実験は、昨年と今年1月に続いて3回目となる。今回はこれまでと同様、状況に応じて運転手が操作を行う「レベル2」での実施となる。 今回は、国の補助金を活用して関東鉄道が自動運転バス車両を新たに購入し、同社のバス路線「筑波大学循環」内のすべてのバス停に停車するなど、新たな取り組みも加わった。また、今年8月にはつくば市を代表として、筑波大学、関東鉄道、KDDIが「つくば自動運転社会実装推進事業コンソーシアム」を設立。民間5社の協力も得て実施されている。 今回使用されている車両は、名古屋市のベンチャー企業ティアフォーによる自動運転EVバス「ミニバス 2.0」。最高時速は70キロ、定員は28人だが、自動運転時は時速35キロ、定員16人で走行する。走行時には8台のカメラと13台のレーザーセンサーが周囲の状況を分析し、事前に設定した走行ルートに従って自動安全システムが交差点やカーブでの停止・発進、加減速などを行う。緊急時には乗車する運転士が手動運転で対応する。この日は通信トラブルが発生し、バス停での停車・発車時などで手動操作に切り替え運行した。 つくば市科学技術戦略課の中島央樹さんは、今回の実証実験について「国は、全国で自動運転サービスの実装を2025年度に50カ所、27年度に100カ所以上とする目標を掲げている。つくば市もこれに合わせ、27年10月に完全に運転手がいないレベル4の実装を目指している」とし、「昨年は6カ所のバス停のみ停車したが、今回は、路線バスと同じ動きをすることを目指し、29カ所すべてに停まるようにした。以前はつくばセンターのロータリー外側から発車していたものを、内側からの出発に変更した」と説明し、「つくば市に限らず、中心部と周辺地域の移動格差が課題となっている。つくばは車が主な移動手段で、交通渋滞や事故が問題になっているほか、交通事業者では運転手不足による減便などの課題もある。自動運転バスの運行を通じて公共交通を地域に根付かせ、こうした課題の解決につなげていきたい」と目標を語った。 同市は今年度当初予算で、国の国庫支出金を財源に、自動運転バスの購入費、自動運転地図作製費、レベル4通信費など約1億3400万円と、自動運転バス年間維持費約1370万円の計1億4770万円を計上した。今年度は実証実験とレベル4許認可申請、26年度は実証実験、27年は定常運行を目指している。(柴田大輔) https://youtu.be/FfSoeYhtxLI ◆乗車料金は無料。QRコードで希望の時間を事前予約する。事前予約がない場合は先着順となり、定員に達した場合は乗車できないことがある。詳しくはつくば市ホームページへ。