火曜日, 12月 30, 2025
ホームスポーツコロナに翻弄、今も穴埋めしている 土浦日大・小菅監督【高校野球’22展望】

コロナに翻弄、今も穴埋めしている 土浦日大・小菅監督【高校野球’22展望】

月曜日はオフ

―野球部のグラウンドと寮は土浦市内の学校から離れたかすみがうら市にあります。平日は学校が終わって何時に出発して、何時に練習を開始していますか。
小菅 大体午後4時前に学校を出発し、4時30分頃に到着します。練習が始まるのは4時45分くらいからになります。

―曜日によって練習の組み方が違うのでしょうか。
小菅 月曜日はオフ。心身のリフレッシュのために完全休養としています。積極的休養か消極的休養かは本人に任せているので、グラウンドで練習している選手もいれば、完全に休養している選手もいます。

―自主練習はどのようにしているのでしょうか。
小菅 同級生同士で行うケースや先輩後輩で組んで行うケースがあり選手同士で上手く回しています。後輩に何かを伝えようとしているとか、先輩から技術を取り入れようとしているとか、自主練習で良い化学反応もたまに見られます。

―現在の部員数は?
小菅 82人です。

―4年前には自宅から通いの選手が15人程度いると伺いましたが、今はどうでしょう。
小菅 現在は自宅から通いの選手はいません。本人の希望で地元の選手でも全員寮で生活をしています。

―寮には最大で何人入れるのでしょうか。
小菅 最大で100人以上は入れますが、学年25人程度が適正じゃないかと思います。

―一般受験でも入部はできますか。例えば公立を受けたけど落ちた、でも高校野球をやりたいという選手は受け入れてもらえるのでしょうか。
小菅 一般受験でも入部できます。併願受験で結果的に公立に落ちて本校に入部したという選手がレギュラーで活躍することもあります。高校野球をやりたいと言っているのに断る理由がありません。高校野球を3年間全うしてこそ見える景色がある。その景色を見せてあげることは指導者としての一つの使命なのではないかと思います。

ピッチャー陣と練習前のミーティングを行う小菅監督

土浦市内大会、夏をイメージできる経験に

―先日、作新学院(栃木)と試合を行いました。どうでしたか。
小菅 やはり強豪チームと背番号を付けて球場でやるというのは練習試合とは違った様相がありまして、夏の大会をイメージできる経験になりました。良くも悪くも土浦市内大会がきっかけになることがあります。2018年にも横浜高校(神奈川)が招待されて真剣勝負をさせてもらったのですが、夏の大会に優勝できるイメージが持てる試合ができました。今回、作新さんとは点差が開きましたけれど、向かっていく気持ちを持って臆することなくできましたので、そういう意味では良いバロメーターになったと思います。

―最近の練習試合での手応えはいかがですか。
小菅 練習試合は結果よりも結果につながるプロセスを大事にしています。負けた試合でも食らいついて最後1点差に迫ったり、何かしらの収穫があります。選手にも、練習試合でミスをした、打てなかったからといって、絶対に自分のこと仲間のことを不信に思ってはいけないよと言っています。練習試合を通して、試合のポイントを明らかにして、こういう気持ちで臨んでいれば結果は後から着いてくるというような、選手の野球に対する取り組みと、夏の大会に向かっていくチーム作りは着々と前進していると思いますね。こういった蓄積を大会で発揮したいと思います。

野球の喜びや感謝を集約できれば

―3年生には最後の大会。どのような軌跡をたどって来たか総括してください
小菅 広い意味でコロナに翻弄された3年間でした。こちらが求めているよりも、体力や気持ちがついてきていない部分があり、今でもその穴埋めの作業をしています。それは大会中の最後の最後まで続くかもしれない。逆に言えば何かミラクルが起こる可能性もあります。ようやく野球が出来るんだという喜びや感謝を大会に集約できればいいなと思います。誰かが仲違いしたり、練習に身が入らない時期があったりと、チームの中ではいろいろと紆余曲折ありました。それでもやっぱり最後は仲間で最高の思い出を作ろうねと、今は一致団結している段階に入っています。

―最後に、夏の大会への意気込みを。
小菅 今年の3年生はコロナ3年目で、いろいろとつらい思いや、野球をできなかった期間を経験しています。ただただ夏の大会ができるという喜びを感じて大会に臨んで欲しいなと思います。彼らが掲げている目標は甲子園で勝つことです。私も1年間、彼らがそのことが達成できるように頑張ってきたので、後は大会が終わってから夢がかなうかどうか。本当に一戦一戦頑張って戦い抜いて欲しいと思います。(聞き手・伊達康)

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山本五十六元帥と土浦 いくつかの符合(2)《文京町便り》47

【コラム・原田博夫】前回コラム(11月23日掲載)では、慶應義塾塾長・小泉信三(1888~1966年)の一人息子・信吉(海軍主計中尉、1942年10月22日の戦没後大尉進級)に関連して、信三博士の交友・人脈のうち、旧制土浦中学(現土浦一高)卒の武井大助氏(1887~1972年、海軍主計中将などを歴任)との交誼(こうぎ)に焦点を当てた。今回は、信吉中尉への各般の弔問・弔意の中から、土浦に関連がある2人に目を向けてみたい。 1人は、信吉氏が乗船していて轟沈(ごうちん)した戦艦・八海山丸の艦長・中島喜代宣大佐(戦没後少将)である。北品川の小泉邸へ弔問に数回訪れた武井氏が小泉博士に語ったところによれば、中島艦長は武井氏と中学時代の同級生(土浦中学第3回生、1904年3月卒)だったとのこと。 小泉信三「海軍主計大尉 小泉信吉」(私家版1946年刊、文藝春秋版1966年刊、文春文庫版1975年刊)によれば、八海山丸艦長の夫人・中島まつ子は、夫とともに戦死した信吉・海軍主計中尉の報に接し、1943年1月、次男の宣二(海軍少尉)とともに小泉邸を弔問に訪れ、夫君の出発日朝の様子などを語っている。 数日後、信三博士自身も上落合の中島邸を訪れている。帰宅後に受け取った海軍省人事局長からの速達便には、子息・信吉の海軍主計大尉進級が官記されていた。 この交流には、中島大佐と土浦中学で同窓だった武井氏が介在していたことが推測できる。中島大佐と土浦中学同窓だった武井海軍主計中将は、東京高商(現一橋大学)在学時、福田徳三博士宅で開かれていたアダム・スミス輪読会で信三博士と懇意となり、これが二人をつなぐことになった。 対米開戦直前、霞月楼に礼状 2人目は山本五十六元帥(1884~1943年、戦没後授与)である。山本元帥は1924年、霞ケ浦航空隊(いわゆる予科練)副長として赴任し、航空部門を中心とした海軍力の強化を図った。酒はダメだが酒宴は嫌いでなかったようで、しばしば、土浦市内の料亭「霞月楼」を訪れていた。 当時の若い海軍兵たちの酒宴はかなり乱暴だったようで、霞月楼に今でも保管されている山本元帥の礼状(真珠湾攻撃直前の1941年12月5日付、連合艦隊旗艦長門から)には、無礼講(ぶれいこう)へのお詫びとともに、自分にとっては「最後の御奉公」と記されている。この間の事情は、故堀越恒二(霞月楼元社長)著「記念誌:霞月楼100年」(非売品)に記されている。 山本元帥は信三博士とも交誼があり、元帥からの手紙(1942年11月尽日付、開封は12月21日)には、謹呈された信三博士著「師・友・書籍 第二輯」への礼のあとに、令息(信吉主計中尉)戦死への悔やみが述べられ、自分も「最後の御奉公」に取り組んでいる旨が記されている。元帥も、和歌では武井主計中将(1965年、歌会始の召人)を先達としていたようで、そのことも「海軍主計大尉 小泉信吉」で言及されている。 信三博士は、山本元帥が知友・武井氏と趣向が同じ点でも、元帥に親近感を抱いていたようである。1943年5月21日、慶應義塾教職員俱楽部で山本連合艦隊司令長官戦死のラジオ放送を聞いた時には(実際の死没は4月18日)、満腔(まんこう)の敬意をもって、塾生に知らせるよう指示した。ちなみに、第一艦隊司令長官は、1941年8月、山本海軍大将から、武井大助氏や中島喜代宣氏と同級の高須四郎海軍大将(1884~1944年)に替わっている。これも符合の一つである。 私の(母方)祖父から伝承された「手本とすべき先輩たち」の話に導かれ、小泉信三「海軍主計大尉 小泉信吉」は、私にとっては無視できない符合がいくつか重なった。それらを個人的な記憶として風化させるべきではないと考え、2回にわたり記した次第。(専修大学名誉教授)

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