火曜日, 1月 13, 2026
ホームスポーツコロナに翻弄、今も穴埋めしている 土浦日大・小菅監督【高校野球’22展望】

コロナに翻弄、今も穴埋めしている 土浦日大・小菅監督【高校野球’22展望】

第104回全国高校野球選手権茨城大会が9日開幕した。出場を間近に控えた有力校3校の監督にインタビューした。第1回は土浦日大の小菅勲監督に、他校の分析と今年のチームの特徴、意気込みなどについて聞いた。

土浦日大 小菅勲監督

つくば秀英 勢い加わっていた

―春の大会は、準決勝でつくば秀英に1点差で敗れました。その振り返りと受け止めからお願いします。
小菅 つくば秀英さんは春に霞ケ浦さんに勝って、チームに勢いが出ましたね。素材の良い選手がそろっていますし、シートノックを見ていてもしっかりと守れているので練習をやっているのがよく分かりました。そこに勢いが加わっていた。2回終了の時点で、相手の勢いを見誤っていたなと思いました。「前半が勝負。前半で攻め立てる」と選手たちに浸透仕切れなかったことが大きな敗因ですし、そこは私のミスだと思います。

―つくば秀英投手陣については。
小菅 五十嵐大晟投手(2年)、塚越伊織投手(3年)ともに良いボールを放っていました。こちらは初見のボールをしっかりと観察して、捨てるボールと勝負に行くボールの見極めがしっかりと出来てはいましたが、攻撃が遅くなってしまいました。

―秋準決勝で対戦し惜しくも敗れた明秀学園日立は、その後、秋の茨城を制覇し、秋季関東大会で初優勝。センバツでは1勝を挙げ、春の茨城も制覇しました。明秀学園日立をどう見ていますか。
小菅 各打者のスケールが大きく、エースの猪俣投手という軸がしっかりとしています。全国で勝てる力が十分ある。明秀日立さんが甲子園に行った2018年のチームに似ている印象があります。茨城県では頭一つ抜けている存在ではないでしょうか。格上に対してはチャレンジャー精神を持って、相手に欠けている部分と、自分たちの良い部分を織り交ぜながら挑戦していきたいです。

主将、指導歴でも稀有な存在

―今年のチームは長打も打てて守れる選手がそろっている印象です。
小菅 主将の武田優輝は勝ちたいという気持ちが非常に強くしっかりとチームをよくまとめています。去年はまだ突っ走っている感がありましたが、今年は上手く周りと同調しながら盛り立てて、いいチーム作りをしてくれています。彼は私が言おうと思っていたことを言いますし、2年生に対しても仲間として勝つために必要なんだという扱いをしてくれるので、なかなかこういうキャプテンとは出会えないと思わせる、私の指導歴でも稀有な存在です。

―中心選手としては1年生から出場している吉次悠真選手も挙げられます。2年半の成長をどのようにたどっていますか。
小菅 彼は器用ではないタイプで、黙って経験を積ませようという方針でやってきました。まだまだ失敗もありますが、目の覚めるような打球を放ったり、才能を感じさせるようなプレーがたくさん出ます。これまでは細かいことはあまり言わなかったのですが、いよいよ高校野球の集大成に入ってきたので、少しずつ修正点や課題を解消するために話し合うようになってきました。後は、大会で何かをつかんでくれればという段階に入っています。

―中軸を打っている2年生については? 香取蒼太選手と太刀川幸輝選手はともに体が大きくて長打力が持ち味だと思います。
小菅 香取は非常に長打力がありますし足も肩もある。試合経験を積みながら一つ一つ覚えていって、一歩一歩花を咲かせながら成長しています。太刀川については、非常に勝負強いです。野球への取り組みの良さが打席にも出ているなと思っています。

―投手陣について。下級生から登板していた山田奏太投手と河野智輝投手、それに長身右腕の小森勇凛投手(2年)、それぞれの特徴を教えてください。
小菅 山田は右のオーバースローで真っ直ぐと変化球のコンビネーションが特徴です。速さで押すというよりボールのキレで勝負するタイプです。本人が試行錯誤しながら今でも一歩ずつ成長しています。河野は右のサイドスローで、緩急とコーナーワークを織り交ぜながら丹念に打たせて取るタイプのピッチャーです。彼も本当にまじめでチームのために献身的にプレーしてくれます。小森は潜在能力が高く、球速があってボール自体はエース級です。荒削りではありますが素材としてはピカイチです。順調にいけば大学でエースになったり、その先も考えられる素材です。フィジカルとメンタルとテクニックが合わさったらすごく良いピッチャーになると思いますが、今はゲームを作る能力を磨いている段階です。

―夏は特に期待する選手は。
小菅 夏の大会は全員に期待しています。コロナ対策として試合ごとに登録変更が可能になっており、ベンチ外の選手もベンチ入りするかもしれません。この1年間、誰が欠けてもチーム力を落とさないでみんなで補おうというテーマを持って取り組んできました。常に準備しておいてくれと選手には伝えています。(次ページにつづく)

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映画「倭文-旅するカジの木」を見て《邑から日本を見る》190

【コラム・先﨑千尋】先月7日、東京都練馬区の大東文化会館で国際シンポジウム「旅するカジの木、旅する神々-静御前と倭文(しづり)」が開かれ、その中で北村皆雄監督の映画「倭文-旅するカジの木」が上映され、北村監督の講演などがあり、筑紫舞、大和高田の白拍子舞などが披露された。 倭文ないしは倭文織は古代の織物の名称で、常陸国風土記や万葉集、日本書紀、延喜式などの古典に登場するが、現物が発見されていないので、“幻の織物”と言われている。その素材はコウゾやカジの木などの自然繊維で、神事に使う幣(ぬさ)、手纏(まとい)、鞍(くら)などに使われていたようだ。 私は那珂市静に鎮座している常陸二の宮静神社のすぐ近くに住んでいることもあって、かなり前からその織物に関心を持って、史料も集めてきた。常陸国風土記には「まだ織物がなかった時代に倭文部(しどりべ)という織物の技能集団が静周辺に来住し、倭文を織った」とある。静神社の主祭神は、織物の神様・建葉槌命(たけはつちのみこと)だ。 「衣食住」という言葉 北村監督は映画上映の前に「衣食住という言葉があるが、衣が最初で、食、住と続く。それはなぜなのか。人が生まれてきて最初に産着(うぶぎ)を着ける。布は第二の皮膚と言われ、人間しか着けない大事なものだ。倭文という謎の織物を手掛かりに、衣の持つ呪術性を探ってみたいと考えて映画を製作した。何もないものを作るのは大変なことで、5年もかかった」と話した。 映画は最初に、日本の原始布が残る徳島県旧木頭村を訪ねるところから始まる。ここではカジの木やコウゾで織る太布(たふ)が現在でも織られている。次に、糸を使わない布、タパが登場する。カジの木の樹皮をたたいて伸ばす。撮影隊は、タパを作っているパプアニューギニアに向かい、人類最古に当たる植物繊維の衣服が今でも作られている有り様を伝える。 カジの木の原産地は中国南部から台湾。そこから4000年にわたってフィリピン、インドネシア、オセアニア、日本などに伝わったという。北村さんらは正確を期するために各地でDNA鑑定を行っている。茨城県内にはコウゾはあるが、カジの木はほとんど見かけない。コウゾはカジの木とヒメコウゾの交配から生まれたものだ。 この映画を作るために、国内の4人の織物作家(山口源兵衛、石川文江、西川はるえ、妹尾直子)が帯や幡(はた)、紙布を作る。その苦労する過程が克明に映し出される。 映画の最後は、日立市の大甕倭文(おおみかしず)神社にある宿魂石上(しゅっこんせきじょう)で、神話に出てくる倭文神「建葉槌命(たけはづちのみこと)」(大和朝廷側)がまつろわぬ星の神「香香背男(かがせお)」を、倭文織を使った呪術的な力で圧倒する場面。この場面だけがフィクションである。 冒頭に戻る。今回のシンポジウムのタイトルに「静御前と倭文」とある。静御前が鎌倉鶴岡八幡宮で歌ったという「しずやしず 倭文の環(おだまき) くりかえし 昔を今になすよしもがな」から採ったと思われるが、静御前と倭文の関係について、今後の研究に期待したい。(元瓜連町長)