金曜日, 12月 12, 2025
ホームスポーツ春のリーグ戦に向け意気込み 土浦一高出身、宮本直輝投手 東大野球部15年ぶり勝ち点1に貢献

春のリーグ戦に向け意気込み 土浦一高出身、宮本直輝投手 東大野球部15年ぶり勝ち点1に貢献

【伊達康】東京大学教養学部文科三類2年に在籍する宮本直輝は土浦一高出身の右腕投手だ。その宮本が昨秋、東京六大学野球で歴史的な勝利を挙げた。4月に開幕する六大学春のリーグ戦に向けて「一つでも上の順位に入れるよう、ピッチングで貢献したい」と意欲をみなぎらせる。

昨年10月8日、エース左腕・宮台康平(日本ハムから7位指名)の完投により東大の先勝で迎えた法政大2回戦。宮本は2点差と迫られた2回表一死一、三塁のピンチからリリーフ登板すると、最速139㎞のストレートと落差の大きいカーブを武器に3回2/3を1失点でしのいだ。さらに4回裏には9番打者として、法政大の同郷左腕・鈴木昭汰(1年、土浦四中-常総学院)からレフトスタンドへ本塁打を放ちチームを勢いづけた。6回からはエース・宮台にマウンドを託し1点差に詰め寄られながらも逃げ切った。

宮本が殊勲の勝利投手となり東大が2002年秋以来15年ぶりに悲願の「勝ち点1」を得た。この時の心境を「勝ち点がかかった試合でなかなか勝つことができなかったので嬉しかったです」と笑顔で振り返る。

■夏のベスト16入りに貢献

中学時代は谷田部東中で軟式野球部に所属し県選抜チーム「オール茨城」に選出されるなど、軟式球界では好投手として「知られた存在」だった。

高校は私立校からの誘いもあったが土浦一高を選択。1年秋からエースを任されると2年夏には全4試合35イニングを完投してベスト16進出に貢献した。

新チームになってからは山口裕和との右腕2枚看板を武器に、その年の秋季県大会で優勝することになる霞ケ浦を2対0で撃破して県南選抜大会(県南地区新人戦)優勝を果たした。投打の主軸が残り前年以上の結果を期待されて迎えた3年夏は第8シードの水戸桜ノ牧に2回戦で敗れて高校野球を終えた。

■先輩の話に憧れ

「もともと中学時代から東京六大学野球に憧れがありました」。高校入学時に漠然と考えていた希望進路はある出会いをきっかけに東大一本に絞られる。転機は高校1年の時だ。当時、東大野球部に在籍していた山越徹氏が母校である土浦一高に教育実習で赴任し野球部にも顔を出した。後輩達を前に東大野球部の魅力や歴史、伝統を熱く語る先輩・山越。宮本は次第に話に引き込まれ東大野球部に憧れを抱くようになる。山越がかけてくれた「お前も東大でやらないか」という言葉が背中を押した。「絶対に東大で野球をやる」そう決心した宮本は、高校野球引退後に1年の浪人生活を経て晴れて東大に合格する。

■ダイナミックなフォームに

東大野球部では1年秋の法政大1回戦でリーグ戦デビューを果たしたが、「高校野球とは次元が違う大学野球のスピードとパワーに面食らった」と言う。この経験が宮本の向上心に火を付けた。それまではオーソドックスなフォームだったが「体の使い方を試行錯誤する中で、足を高く上げることで下半身をしっかり使える感覚があったので試してみた」と語るとおり、「ライアン小川(ヤクルト)」のように左足を大きく上げるダイナミックな投球フォームにたどり着いた。

新フォームで臨んだ2年秋のリーグ戦では主にセットアッパーとして7試合14イニングに登板し前述の1勝を挙げた。ちなみに東大の3勝のうち残り2勝はプロ入りした宮台がマークしたものだ。

■「エース宮台」後の期待背負う

エース・宮台が抜け今後は主戦投手の一角として活躍が期待される。教育学部3年として迎える春のリーグ戦に向けて、現状の課題を「ボールのキレや制球などのレベルアップ」と分析。履修を工夫して野球にかける時間を捻出しながら、この冬は体づくりに重点を置いたトレーニングに励んでいる。

野球と学業に精一杯で「就職や教育実習など、将来のことはまだ具体的に決まってはいない」という。

大きな1勝を挙げた宮本が、残る4シーズンでさらなる勝ち星を挙げられるか、今後の飛躍に期待したい。

高校2年夏の1回戦で力投する宮本投手。写真の三塁手の松延健斗も現在東大野球部でレギュラー争いをしている

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

人類救済と日常生活の話《映画探偵団》95

【コラム・冠木新市】フランシス・フォード・コッポラ監督は、ベトナム戦争を描いた大作映画『地獄の黙示録』(1979)の撮影で数々のトラブルに悩まされていたとき、フェデリコ・フェリーニ監督の映画『8 1/2』(1963)を見て心を慰めていたという。世界映画史の上位に常にランクされる同イタリア映画は、日本では東京オリンピック(1964)の翌年、アートシアター系の劇場で公開され、難解な作品として話題になった。 この映画は、車の中にガスが充満してきて、必死に脱出を試みる映画監督グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)の悪夢シーンから始まる。そして、ラストシーンはグイドが準備中だった「原子力戦争で生き残った人々が地球脱出をはかる」内容の映画をクランクインするシーンだ。 つまり、このドラマは「人類救済」をテーマにした映画作りに取り組む、一監督の苦労を描いたもので、彼の作品創造の秘密を解明している。しかし、創造の秘密といっても、それは技術上のことではなく、作品を完成させる上での自信、インスピレーションなど、グイドの内面に焦点が当てられている。 温泉療養所やホテルで暮らすグイドの内面に湧いてくるのは、亡くなった両親、自分の少年時代の追憶、そして妻、浮気相手、理想の女性クラウディアに関する夢など、準備中の映画とは関係ないことばかりだ。「人類救済」という大テーマに取り組みながらも、日常生活では妻や浮気相手の女性、過去の出来事との間で混乱するグイドの姿が浮き彫りにされる。 ユニークなのはその表現方法だ。前半では追憶や夢のシーンと現実シーンとの移行が明瞭だが、後半になるとそれらの境目が曖昧になる。グイドと妻のいる現実の場面に妄想の浮気相手が出てきて、妻と仲良く踊りだす。リアルな人物描写と相まって、グイドの混とんたる内面を表現する絶妙な効果をあげている。今では理解できる表現だが、1965年当時、日本の観客は混乱の極致だった。 人生は祭りだ 共に生きよう ラストシーンの直前で、日常生活と仕事に疲れ切ったグイドが、記者会見の席上でピストル自殺をはかる幻想にとらわれる。そして制作を中止、セットが破壊されてゆくその瞬間、突然、グイドはインスピレーションを受ける。「混乱を整理するのではなく、あるがままを受け入れること…それは愛だ。人生は祭りだ。共に生きよう!」と。 ラストシーンは映画史に残る名場面だ。宇宙船発射場セットの幕を引くと、階段からどっと白い服を着た人たちが降りてくる。現実の映画関係者や夢や追憶に登場した人物である。人々は輪になって踊りだす。現実と夢、内面と外面世界が融合した瞬間だ。その輪にグイドはもめていた妻と加わる。人類救済と日常生活は個人の内面で深く結びついている。 今年諸事情で開催を延期したイベントを、来年の開催に向けて準備中である。誰でも経験すると思うが、種々のトラブルはつきものである。ふと『8 1/2』を見たくなったのは、そのためか。だが、悩みながらも混乱する世界の救済と結び付いていると信じて取り組んでいる。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家) <お知らせ> 物語観光:つくつくつくばの七不思議セミナー(参加費無料)・日時:12月13日(土)午前10時半~・場所:カピオ中会議室・内容:映画『サイコドン』上映、出演者の話、唄、踊りなど

無人のダンプが坂下り出し 軽トラの女性けが つくば市発注の水道工事

筑波山中腹 11日午前11時30分ごろ、つくば市臼井、筑波山中腹の坂道で、同市発注の水道管布設替え工事中、道路脇に停車していた無人の2トンダンプが動き出し、約30メートル下った先の住宅敷地内に停車していた軽トラックに衝突、軽トラックははずみで住宅の玄関に衝突し、乗っていた女性が打撲など軽いけがを負った。 市水道工務課によると、現場は筑波山神社に続く生活道路で、工事を受注した市内の業者が老朽化した水道管を取り替える工事中、前方を坂の下に向けて停車していたダンプが前に動き出した。ダンプは事故時、交換した水道管を埋め戻すための砂を積んでいた。サイドブレーキはかけていたが、車止めは設置していなかったという。 けがを負った女性は、出掛けようと軽トラックの運転席に乗ったところ、左後ろの荷台付近をダンプに衝突された。住宅の玄関は、庇(ひさし)を支える木製の庇柱2本が折れるなどした。衝突の影響で軽トラックのドアが開かなくなり、消防署が女性を救出、女性は救急車で病院に運ばれた。 女性は現在、自宅療養中で、事故原因は調査中としている。 同市の五十嵐立青市長は「事故によりけがをされた方に深くお詫びします」とするコメントを発表し、「再びこのような事故を起こさぬよう、受注者に、現場の安全対策の再確認や現場作業員に対する安全対策の再教育を指示」し、さらに「現在工事を受注している全事業者に対しても、安全対策に関する指導を徹底します」としている。

11年ぶりのお色直し つくばエキスポセンター H2ロケット

つくば駅前の中央公園に隣接するつくばエキスポセンター(同市吾妻)で、同センターのシンボルであるH2ロケットの全面塗装工事が始まった。ロケットは実物大模型で高さは約50メートル。11月25日から足場の組み立てが進められており、来年3月30日に完了する予定だ。底辺部から先端部分まで全面的にお色直しする。1990年の設置以来、ほぼ10年ごとに塗り替えを行っており、今回は2014年以来11年ぶりとなる。 エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもの。1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。以来、つくば市中心地区のシンボルとして、長く市民に親しまれている。 今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「2014年の塗装後、塗装落ちなどが見られたため調査を行った結果、全面塗装を行うことになった。色やデザインの変更はない。来春には塗装を終え足場を取りはずしますので、市民の皆様にはぜひ完成を楽しみにお待ちいただければ」と語った。 作業の進ちょくは、つくばエキスポセンターのホームページなどで知らせる予定だ。(柴田大輔)

原因は強い太陽フレア 低速自動運転車の接触事故 つくば市

乗客を乗せてつくば市が実証実験を実施していた低速自動運転モビリティ(車両)が11月12日、つくば駅周辺でスロープの手すりに接触する事故を起こし運行を中止している問題で(11月13日付)、同市は10日、接触事故の原因について、事故当日に発生した強い太陽フレアによる通信障害により、GPSを受信して車両の位置などを測定する衛星測位精度が低下し、車両の位置情報の誤差が大きくなったことと、強い太陽フレアの発生などに備えた車両側面の範囲を検知する接近センサーの不備が原因と考えられると発表した。 市科学技術戦略課は今後の対策として、①強い太陽フレアが発生した場合に備えて車両側面の接近センサーを追加搭載し最適化する ②運行ルートに応じて安全を確保するために設けるゆとりの範囲を見直す ③衛星測位精度が低下した際はさらに低速で運転したり停止するなど車両の動き方を見直すーなどを実施した上で、13日から16日の4日間、乗客を乗せないで、実証実験のルートと同じつくば駅前からつくばカピオ前まで、公道のペデストリアンデッキで試験走行を実施するとした。 試験走行では①車両側面の範囲を検知する接近センサーの搭載台数と配置の最適化、②障害物接近時における減速や停止など車両挙動の確認などを検証する。 接触事故は、低速自動運転モビリティが、同市竹園1丁目のイベントホール、つくばカピオの敷地内に設置されているスロープを時速3キロで走行し方向転換した際、スロープの手すりに接触する事故を起こした。事故時、運転手と一般の乗客2人の計3人が乗車していた。 当初計画では来年1月15日から26日にも一般市民を乗せて実証実験を実施する予定で、同課は、13日~16日の試験走行の検証結果をみて、運行を再開するか否か検討したいとし、「原因究明結果を真摯に受け止め、再発防止に努めると共に、今回の調査で得られた知見と経験を今後の事業運営に反映し安全な運行の確立に取り組んいく」としている。