【伊達康】東京大学教養学部文科三類2年に在籍する宮本直輝は土浦一高出身の右腕投手だ。その宮本が昨秋、東京六大学野球で歴史的な勝利を挙げた。4月に開幕する六大学春のリーグ戦に向けて「一つでも上の順位に入れるよう、ピッチングで貢献したい」と意欲をみなぎらせる。
昨年10月8日、エース左腕・宮台康平(日本ハムから7位指名)の完投により東大の先勝で迎えた法政大2回戦。宮本は2点差と迫られた2回表一死一、三塁のピンチからリリーフ登板すると、最速139㎞のストレートと落差の大きいカーブを武器に3回2/3を1失点でしのいだ。さらに4回裏には9番打者として、法政大の同郷左腕・鈴木昭汰(1年、土浦四中-常総学院)からレフトスタンドへ本塁打を放ちチームを勢いづけた。6回からはエース・宮台にマウンドを託し1点差に詰め寄られながらも逃げ切った。
宮本が殊勲の勝利投手となり東大が2002年秋以来15年ぶりに悲願の「勝ち点1」を得た。この時の心境を「勝ち点がかかった試合でなかなか勝つことができなかったので嬉しかったです」と笑顔で振り返る。
■夏のベスト16入りに貢献
中学時代は谷田部東中で軟式野球部に所属し県選抜チーム「オール茨城」に選出されるなど、軟式球界では好投手として「知られた存在」だった。
高校は私立校からの誘いもあったが土浦一高を選択。1年秋からエースを任されると2年夏には全4試合35イニングを完投してベスト16進出に貢献した。
新チームになってからは山口裕和との右腕2枚看板を武器に、その年の秋季県大会で優勝することになる霞ケ浦を2対0で撃破して県南選抜大会(県南地区新人戦)優勝を果たした。投打の主軸が残り前年以上の結果を期待されて迎えた3年夏は第8シードの水戸桜ノ牧に2回戦で敗れて高校野球を終えた。
■先輩の話に憧れ
「もともと中学時代から東京六大学野球に憧れがありました」。高校入学時に漠然と考えていた希望進路はある出会いをきっかけに東大一本に絞られる。転機は高校1年の時だ。当時、東大野球部に在籍していた山越徹氏が母校である土浦一高に教育実習で赴任し野球部にも顔を出した。後輩達を前に東大野球部の魅力や歴史、伝統を熱く語る先輩・山越。宮本は次第に話に引き込まれ東大野球部に憧れを抱くようになる。山越がかけてくれた「お前も東大でやらないか」という言葉が背中を押した。「絶対に東大で野球をやる」そう決心した宮本は、高校野球引退後に1年の浪人生活を経て晴れて東大に合格する。
■ダイナミックなフォームに
東大野球部では1年秋の法政大1回戦でリーグ戦デビューを果たしたが、「高校野球とは次元が違う大学野球のスピードとパワーに面食らった」と言う。この経験が宮本の向上心に火を付けた。それまではオーソドックスなフォームだったが「体の使い方を試行錯誤する中で、足を高く上げることで下半身をしっかり使える感覚があったので試してみた」と語るとおり、「ライアン小川(ヤクルト)」のように左足を大きく上げるダイナミックな投球フォームにたどり着いた。
新フォームで臨んだ2年秋のリーグ戦では主にセットアッパーとして7試合14イニングに登板し前述の1勝を挙げた。ちなみに東大の3勝のうち残り2勝はプロ入りした宮台がマークしたものだ。
■「エース宮台」後の期待背負う
エース・宮台が抜け今後は主戦投手の一角として活躍が期待される。教育学部3年として迎える春のリーグ戦に向けて、現状の課題を「ボールのキレや制球などのレベルアップ」と分析。履修を工夫して野球にかける時間を捻出しながら、この冬は体づくりに重点を置いたトレーニングに励んでいる。
野球と学業に精一杯で「就職や教育実習など、将来のことはまだ具体的に決まってはいない」という。
大きな1勝を挙げた宮本が、残る4シーズンでさらなる勝ち星を挙げられるか、今後の飛躍に期待したい。