火曜日, 12月 2, 2025
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伝統の水府提灯をアートと融合 セキショウつくばでコラボ展

和の灯りによるインスタレーション(空間芸術作品)「エスキャットの夢」が、つくば市二の宮、セキショウつくばオフィス1階のショールームで展示されている。関彰商事(関正樹社長)と、ビジュアルアーティストのミック・イタヤさん(水戸市出身、筑西市在住)、県の伝統工芸品「水府提灯」を制作する鈴木茂兵衛商店(水戸市、鈴木隆太郎代表)のコラボレーション作品だ。

夕刻、ショールームの天井灯が消されると、約100個の提灯から柔らかい光が浮かび上がる。形はいずれもユニークで、花のつぼみや雲、きのこを模したものなどもある。「ろうそくの炎の揺らぎをプログラムしたLED電球から、和紙を透かして放たれた光は温かみがあり、心を落ち着かせてくれる。窓辺の細長い提灯は、継ぎ足すことでいくらでも伸ばせ、デザイナーの斬新な発想が生きている」と関彰商事広報の弓野亮さん。

未来の灯りを携えて飛び立とうとする、ユニコーンとペガサスが融合した「ユニサス」のオブジェ

これらは伝統の水府提灯をアートと融合させ、現代の暮らしに適した機能を持たせた「すずも提灯」のシリーズ。ミックさんの手によるユーモラスで洗練されたデザインは、インテリアやオブジェとしても利用度が高い。2012年のグッドデザイン賞(日本デザイン振興会主催)を受賞し世界から注目を集めた。

ミックさんは1954年生まれ、多摩美術大学卒。主な作品としてニューヨーク近代美術館に永久保存された1982年創刊のカセットマガジン「TRA」、2006年から銀座松屋のクリスマスキャンペーンに採用された天使のキャラクター「スターピッド」、2012年東京スカイツリータウン・ソラマチ各所に施されたウォールペインティングなどがある。

伝統工芸の振興もライフワークの一つ。「世界各地で受け継がれてきた伝統工芸品の多くは、その地方の人々の暮らしと密接な関係を持つ。特有の風土の中で育まれ、生活の道具や用品として発達してきた。伝統工芸を守ることは自然環境の保護や人の育成など、美しい未来につながる」と考えている。

これに関彰商事も、同社が掲げる「健全な次世代を創造する」というポリシーや、SDGs(持続可能な開発目標)への貢献に合致すると賛同し、今回のコラボレーションへと発展した。「今は企業も環境や未来に向けた姿勢が問われている。見る人を楽しませるだけでない、意義を持った活動をすることが大切と考え、新たな取り組みを始めた」と弓野さん。

場内にはミックさん直筆のイラスト15点が展示、窓ガラスにはエスキャットが描かれている。昼と夜の見え方の違いも楽しめる

今回、ミックさんが新たに誕生させたキャラクターは宇宙を旅するネコ「エスキャット」。会場の窓ガラスにも、さまざまな表情のエスキャットがカッティングシートで描かれている。展示に連動するフェイスブックページでは、地球に帰ってきたエスキャットがこの星の素晴らしさを再発見する様子を、イラストとストーリーで会期中毎日更新している。イラストは自由にダウンロードし、塗り絵として楽しむこともできる。(池田充雄)

◆インスタレーション「エスキャットの夢」は12月3日(金)~2022年1月23日(日)、つくば市二の宮1-23-6、セキショウつくばオフィス1階ショールームで開催。入場無料。館内見学は午前9時~午後5時、ライトアップは午後4時30分~午後9時。

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「来年はもっとバージョンアップ」 関彰商事とハノイ工科大 スポンサー契約を更新

日本商工会議所が関心 関彰商事(本社 筑西市・つくば市、関正樹社長)つくば本社で28日、同社が包括連携協定を結ぶベトナム・ハノイ工科大学とのスポンサー契約更新の調印式が催された。関社長は「ハノイ工科大学とは10年の付き合いがあるが、来年はもっとバージョンアップいきたい。今回、日本商工会議所が関心をもってくれたことが成果。日本とベトナムの架け橋になれるようがんばっていきたい」と話した。 調印式には同大からヴー・ヴァン・イエム副学長ら3人が出席し、同社社員らがベトナムの国旗を持って一行を出迎えた。関社長は「壁は日本語、さらに多くの学生が日本企業で活躍できることと、この事業が持続していくことを期待している」と述べた。 同大からは、優秀な学生に奨学金を出し最終的に日本企業に貢献してもらうことや、高校生の交換留学を進めることなど二つの提案があった。 同社は2016年にハノイ市に事務所を開設し、ベトナムでの事業をスタートした。グループの人材派遣会社である「セキショウキャリアプラス」が、今年第12回目の合同企業説明会「セキショウ ジョブ フェア」をハノイ工科大学で開催。日系企業によるベトナム人大卒エンジニアなど高度外国人材採用や、ベトナム人求職者の就労をサポートしている。18年にはハノイ工科大学を支援するスポンサー契約を結び、継続している。 同大は1956年に設立されたベトナム初の技術系総合国立大学で、同国の理科系大学では最難関とされる。学生数は4万人以上を超え、1学年600人余りが日本語を学ぶ。11月2日と3日に同大で開催されたジョブフェアには2000人以上が参加している。日本では東京工業大学、慶応大学などが姉妹校となっている。 同社の寄付金により同大に建設中の日本とベトナムの文化交流施設「越日スペース」は、来年8月に完成が予定されている。施設は2階建てで、日本語学習や関連セミナー、文化交流などのイベントが開催されることになっている。(榎田智司)