日曜日, 7月 6, 2025
ホームつくば作谷の森で楽しい技法を求めて 飯塚優子さん【染色人を訪ねて】4

作谷の森で楽しい技法を求めて 飯塚優子さん【染色人を訪ねて】4

これまで訪ね歩いた染色家との対話で、「作谷には行きましたか?」という問いかけを、同じようにいただいた。この連載は当初、3回でまとめるつもりだったのだが、「それでは一人足りない」とも告げられた。

つくば市北部の作谷に伺うと、染色家達に教えられたように、森の中にアトリエがあった。「ぷにの家」である。

このアトリエを営む飯塚優子さん(50)は、藍染もこなすが専門は草木染だ。草木染は、前回紹介したfutashiba248(フタシバ)の関夫妻の項でも記したとおり、弥生時代までさかのぼる染色技法だが、飯塚さんの場合、以前勤めたことのある工房が厳しく守ろうとする伝承文化としての格式を認めながらも、染色はもっと広く楽しく多くの人々に知ってもらうものではないかと思い至り、その世界から独立した。

飯塚優子さん

「この森と屋敷は祖母の家を受け継いだもので、古い鶏小屋をアトリエに改造したのです。草木染めは独立するまで東京の自宅で行っていましたが、いろいろなチャレンジ、本格的な染色をするためには、マンションの室内では限界があったから」

飯塚の姓は旧姓。彼女は本サイトで2019年、つくば市立秀峰筑波義務教育学校が開校の記念に作成した「秀峰筑波かるた」の企画制作者として、柿崎の姓で紹介されている。本来そちらが現在の名字だが、「ぷにの家」においては旧姓で仕事をしている。

「作谷の森には、1996年頃にやってきました。今もあまり変わりませんが、あの頃は、こんな田舎に隠遁してしまって暮らしていけるかと頭を抱えることもありました。でも今は、主人と4人の子どもたちと過ごしています」

ぷにの家の花畑から臨む筑波山

飯塚さんが作谷に定住したことによって、大きな出会いを得ることになっていく。

染色家としてのなりわいは、地域の保育園での卒業制作としてミニトートバッグなどの体験染色を請け負い、オリジナルデザインや文字入れを施した手ぬぐい、シャツなどの受注をしながら、定期的に草木染めを主体とした工房体験教室を開いてきた。つくば市内を中心に各地の地域イベントにも出店している。

こうして名前と顔が地域に広まっていく中、2010年のある日、近隣の北条地区にかつて所在した染物工場が使っていた「型紙」を譲り受けることになった。

譲り受けた型紙

「工場は半世紀前には失われていましたが、縁者の方から、あなたが役に立てなさいと言われて、3000枚ほどの型紙を委ねられたんです。大半が劣化していて使用に耐えられるものは300枚くらいでしたが、旧筑波町に確かに染め物を営む人がいらした証をいただけた。染色家の1人としては、これは大変なことになったという思いをしたのです」

この型紙は、展示会などで紹介する一方、型紙そのものをベースに、体験教室でも型紙を起こすプロセスを加えるなど、染色技法と歴史の一環として体験参加者とともに再現活動を行っている。

型紙(上)と型紙を起こした作品(下)

「次第に活動内容が大きく複雑になってきました。1人でやっていくのが大変だなと感じているところに、この数年、若手の染色家がつくば発の活動を始めているわけです。最初はね、お互いに顔見せすることもなかったんですよ。といって、私は25年前からここにいるのよ、遊びに来てよとも、初めのうちは言えなかったの。少しずつ交流を始めて、丹羽さん、渋谷さん、関さんご夫妻と情報交換するネットワークを作りました。私は染染(そめそめ)クラブと呼んでいます」

天然素材にこだわる若手染色家たちに比べて、飯塚さんの染色は、化学的に開発された市販の抜染糊(ばっせんのり)を積極的に用いた型押し抜き。あらかじめ藍染された布に、型紙だけでなく木の葉などを使って抜染糊を置く。その部分だけが、薬品反応と湯煎の熱処理によって白く色が抜け文様となる。体験教室にやってくる子どもたちは、そのプロセスと出来映えに興味津々だ。

型押し抜きの完成

「藍染は、若手にお願いしようと考えています。私は草木染の伝統技法だけにこだわらず、新しいアイデアとの組み合わせを通して、型押し抜きの面白さや、栽培しているマリーゴールドの花がどんな色で布地を染め上げるかを楽しんでいるから」

飯塚さんに会うまで、作谷の森にいるのは魔女や魔法使いやらの例えだろうかと考えていたが、染色は論理と化学と自然を融合させるものと言っても良い。それを大幅に広い意味で解釈すれば、彼女は染分野の錬金術師なのだと感じた。

飯塚さんは今後、「ぷにの家」を「ぷにの邑」へと発展させるという。染色以外の活動では、「秀峰筑波かるた」の地域性をつくば市内の他地区ごとに広げた「つくばかるた」の制作も温めている。作谷の森の錬金術師は人々の優しさをつなぐために、染の魅力を振るっている。(鴨志田隆之)

飯塚優子(いいづか・ゆうこ)
草木染の大家であった故・山崎青樹の姪。大学時代に草木染を始め卒業後にその道へ進むが、自らの理念を貫き独立。草木染以外の様々な染料や技法を研究し、誰もが楽しめる染物を提案している。
ぷにの家 : https://www.instagram.com/puninoie/?hl=ja

終わり

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

生活困窮者の自立促す家計改善支援《ハチドリ暮らし》51

【コラム・山口京子】生活クラブ生協・東京が主催する「家計改善支援」研修を受講しました。生活困窮者自立支援法に基づいて、市役所などに生活全般の困りごとに対応する相談窓口が設置されています。家計改善支援員とは「家計改善支援事業」に従事する支援員のことで、既に従事している支援員だけでなく、支援員を目指す人や自身の家計管理を学びたい人も対象にした研修でした。 生活困窮者自立支援法が施行された背景には、収入の減少や支出の増加、社会的孤立などで生活がひっ迫している世帯が増加していることがあります。以前は生活保護を受給するまで相談に来ない人が多かったのですが、生活保護受給に至る前から支援することがこの法律の目的です。 研修の内容は大きく3つに整理できます。 一つめは「相談者との関係づくり」でした。相談者と一緒に考え、最大限の力を引き出し、動機付けを高めることです。相談者を説得するのではなく、納得して家計管理ができるように信頼関係づくりが大事です。「相談者ができることを伸ばす」「利用できる制度を知ってもらう」「困ったら早く頼ってもらう」「困りごとを共有する」「行うことを役割分担する」「具体的な行動を決める」などです。 二つめは「家計管理の手法」で、家計の問題点を把握するために家計を見える化することから始めます。過去の支出から家計を洗い出し、現在の家計の把握を支援し、家計収支のバランス、優先順位、ライフプランを掘り下げます。相談者が大事にする項目を優先しながら、一緒に考えることが狙いです。 相談者が何を大切にして生活しているのかを理解し、それを優先することで相談者の意欲を引き出すポイントがつかめます。生活を守るために活用できる社会保障制度の知識が家計管理には不可欠となります。 支援者との連携が大事 三つめは「支援者との連携」ですが、これはとても重要です。相談者が対象となる制度がないかを調べ、相談者と行政の担当課に同行し、情報収集を手伝ったり、担当課への説明を助言します。相談者が孤立しないように関係者と連携し、その地域にはどのような支援体制や制度があるのかを調べます。 家計改善支援では、家計の安定にはどのような支援を利用するのがよいか、関係機関と連携するためには家計に関するどのような資料があればよいのか―などに対応します。講師は、家計改善支援に当たっては、行動の「結果」だけではなく「経過」を見ることが大切と強調していました。そのヒントとなる「行動分析学」を学ぶことができました。(消費生活アドバイザー)

夏の高校野球茨城大会開幕 91校84チームが入場行進

第107回全国高校野球茨城大会の開会式が5日、水戸市のノーブルホームスタジアム水戸で開かれ、三つの連合チームを含む91校84チームが入場行進し、熱い戦いが幕を開けた。今年から、開会式の入場行進で長年にわたりプラカードを持ち選手を先導してきた水戸女子高校の生徒に代わって、自校のマネージャーまたは部員がプラカードを持ち入場した。 開会式は午前9時から行われた。大洗高校マーチングバンド部ブルーホークスの演奏が響き渡ると、スタンドからは大きな拍手と歓声が沸き起こった。 初めてプラカードを持ち入場行進した土浦湖北高校マネージャーの3年、佐久間望さんは「人生で1度きりの経験が出来てとてもうれしい。緊張せずにいつもの練習通りに出来た」と微笑んだ。開会式で県高校野球連盟の深谷靖会長は「皆のひたむきな姿勢、仲間を思いやる心、真剣に野球に取り組む姿は観戦する側にとっても学ぶことが多い。皆さんが流す汗と涙の一つひとつが希望や感動をもたらしている。自分を信じ、仲間を信じ、悔いのないプレーを存分に発揮して下さい。この大会が皆さんの今後の人生の誇りとなるよう心からの健闘をお祈りします」とあいさつした。 選手宣誓をした日立工業高校の青山海翔主将は「年を追うごとに暑くなる夏をさらに暑くするため、今、僕たちはこの場所に来ている。試合をするからには必ず勝ち負けがあり、半数近くのチームの3年生は初戦で引退を迎えることになる。しかしそれをむなしいと感じる選手はこの場所には1人もいない。今日まで大好きな野球をやってこられたことに喜びと感謝の念でいっぱい」と述べ宣誓した。 開会式の司会進行は土浦三高3年の斎藤陽奈多さんと牛久栄進高校3年の弘中葵さんが務めた。斎藤さんは「緊張を感じるよりもずっと楽しくやれた。全員に届くようにハキハキと出来た」、弘中さんは「楽しかった。会場の雰囲気にのみ込まれそうになったが自分の学校の行進を見て笑顔でやれた」と2人とも満足した表情で話し「全員が全力を出し切り、悔いの無い終わり方をしてほしい」と高校球児に熱いエールを送った。 連覇を目指す昨年の覇者、霞ケ浦高校の鹿又嵩翔主将は「球場に着くなり夏の大会の雰囲気で、緊張感を感じる。チーム全員が甲子園という舞台に戻って野球をやりたいという思いがあるので、連覇して、あこがれの舞台に戻って甲子園で優勝したい」と意気込みを語った。 昨年、決勝で霞ケ浦に敗れ初優勝を逃したつくば秀英の吉田侑真主将は「自分たち3年生は2年半やってきて最後の大会なので、昨年の悔しさも含めてこれまでやってきたことを全部出し切る」と力強く語った。 試合が順調に進めば決勝は26日午前10時からノーブルホーム水戸で行われる。(高橋浩一)

県「学級増必要な状況でない」 竹園高2学級増求め つくば市議長、意見書手渡す 

つくば市議会が6月定例会議で、県立竹園高校の募集定員を8学級から10学級に増やすことを知事に求める意見書を全会一致で可決したことを受けて(6月27日付)、黒田健祐市議会議長らは4日、県庁を訪れ、庄司一裕県教育庁学校教育部長に意見書を手渡した。これに対し県高校教育課高校教育改革推進室の片見徳太郎室長は「学級増が必要といえる状況ではない」と話し、竹園高の学級増に否定的な見解を示した。 片見室長は「県全体で5年後までに中学卒業者が2000人減少し、10年後までに5600人を超える減少が見込まれている。つくば市は2030年まで生徒数増が見込まれていることを承知しているが、県立高校改革プランを策定した際、子供たちにどのくらいの通学時間なら大丈夫かと聞いたところ、一番多かったのが1時間程度だった。つくば市周辺地域では、つくば市の増加分以上に生徒数が減少すると推計している(24年10月24日付)。今年度はつくばサイエンス高校に普通科を設置し大学進学を打ち出して、志をもった中学生にたくさん入ってきていただいたが、サイエンス高校と筑波高校併せてまだ117人の欠員がある。県としてはサイエンス高校と筑波高校の欠員解消を中心に取り組んでおり、学級増が必要といえる状況ではない)と話した。 「落としどころ見いだしたい」 4日は、つくば市議会の意見書提出と併せて、市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」の片岡英明代表が、同じ竹園高校の2学級増を求める要望書を手渡した。ほかに、篠塚英司つくば市副市長、つくば市選出の鈴木将、山本美和、うののぶこ、ヘイズ・ジョン県議4人らが同席した。 黒田議長は「(2013年に県立並木高校が閉校し並木中等教育学校に移行した後の)10年ほど前から『ちょうどいい県立高校の受け皿がない』といった声が出て、ここ最近、切実な声が大きくなっている。つくば市の県立高校は(中学卒業者数で比較し)水戸市の3分の1しかないというデータもある。市内には小中学校がたくさん新設されているが高校はそのまま。教育環境の充実は重要なこと」だなどと話し、理解を求めた。 これに対し県の庄司部長は「貴重なご意見としてお受けさせていただきたい」などと答えるにとどまった。 意見交換の席で、考える会の片岡代表は「(中高一貫により)土浦一高が(高校入試の募集枠が)8学級から4学級になって1年目の2024年は、県立高校志願者の波が土浦二高と竹園高に行き、両校とも志願者が100人以上オーバーした。2年目の25年は牛久栄進高校の志願者が137人オーバーになった。この波は2026年にどこに向かうのか。受け皿はあるのか」と迫り「県立高校改革プランに沿って学級増をやってほしい。オールつくばの願いを受け止めてほしい」と要望した。 同席した県議からは「子供たちのために何ができるか、ぶつかり合いながらも落としどころを見いだしていきたい」(山本県議)などの意見が出された。(鈴木宏子)

二十四節季と虫のはなし《続・平熱日記》182

【コラム・斉藤裕之】夏草の生い茂る季節となり、件(くだん)の打ちっぱなしゴルフ場の草刈りに出かける。ついでにナラ枯れの木を数本伐る(確実にナラ枯れは進行している)。そのうちの1本は直径60センチの大きなクヌギで、確か一昨年あたりはカブトムシが群がっていたのを見たのだけれども、かわいそうに新芽もつけずに立ち枯れてしまった。 開けた斜面に立っていたので、伐り倒すのはそう大変ではなかったが、このクヌギの皮一枚下には恐らくカミキリムシの幼虫がはびこっていて、玉切りにした幹から何とも言えない「ワシワシ…」という幼虫のはみ音らしきものが聞こえ、それを割って薪(まき)にして積んでいくと、不気味な音のする壁となった(この幼虫は県が指定している特定外来種ではないようだ)。 しかし、一方では世界中で昆虫がどんどん減っていて、例えばミツバチの減少で草木が受粉できないで困っているとか。とはいえ、我が家では今年も軒下にテニスボールほどのスズメバチの巣を発見したので、人間様のご都合で叩き落した。多分周りはツルツルしたサイディングのお宅ばかりなので、木造の我が家の軒下は巣をかけやすいのだろう。 昔の人は(中国の人は)小さな動く生き物は大ざっぱに虫としたようだ。トカゲやコウモリも虫偏(むしへん)だし、虹も小さな虫の仕業だと思っていたらしい。 最近は聞かなくなったが、赤ちゃんが泣いているのは疳(かん)の虫のせいだなんて言っていたし、虫の居所が悪いとか、目に見えないものの犯人は虫ということにしたのだろう。というのも、パクの目の周りが急に赤くなって医者に連れて行ったらアレルギーだと言われた。飲み薬と塗り薬でよくなったが、昔だったらアレルギーも虫の仕業だと思われたに違いないと思った。 カエルも虫偏? 平熱日記の掲載が月に一度になった。隔週の寄稿が長く習慣になっていたせいか、せっかちな私はあまり早く原稿を書いてしまうと、掲載されるころには季節も世の中の話題も変わっていてやや戸惑っている。 そういえば、2週間をひとつの区切りとする「二十四節季」というのがある(これも大陸経由)ことを思い出した。今まであまり気にしたことはなかったけれども、2週間という長さは何となくひと区切りになる「ちょうどいい周期」なのかもしれない。してみると、草が勢いよく伸び始めたとか、蜂が巣をかけたとかというのは五日毎の七十二候に当たるわけで、はて、私は知らぬうちにこのペースで絵を描いているような気もしてきた。 農作業とも深いつながりのある二十四節季。ひと月前には備蓄米を喜々として手にする人々の画像が流れていたが、よくよく考えてみると米もガソリンも高いから怒っているのではなくて、本来は安いはずのものが高く売られていることに人々の腹の虫は収まらないのだと思う。 パクとの散歩道にある田んぼは、今年とうとう田植えをしまずじまいだ。雨の後などはケチャダンスのようにカエルの大合唱だけが勢いよく響いている。「コメ、カエル? カワズ? ケロケロ…」。カエルも虫偏だな…。(画家)