火曜日, 10月 6, 2026
ホームスポーツ筑波大・佐藤隼輔投手 西武が2位指名 プロ野球ドラフト

筑波大・佐藤隼輔投手 西武が2位指名 プロ野球ドラフト

左の本格派「目標は新人王」

プロ野球のドラフト会議が11日、東京都内のホテルで開かれ、筑波大の佐藤隼輔投手(21)が西武ライオンズから2位で指名された。指名を受けると佐藤投手は、緊張した表情をわずかに崩し「プロ野球選手としてのスタートラインに立つことができてほっとしている。家族に感謝したい」と話し「新人王を取れるよう頑張りたい」と意欲を燃やした。

宮城県仙台市出身の佐藤は最速152キロを誇る左の本格派。切れのあるスライダー、チェンジアップを武器に、2年秋には大学日本代表に選出された。

会見で佐藤は「先発・中継ぎ問わず、1年目から年間通して活躍し、新人王を取れるよう頑張りたい。将来は侍ジャパンに選ばれるような、日本を代表する投手になりたい」と目標を語った。目指す選手は、高校時代から憧れていたという楽天・早川隆久投手。対戦してみたい打者として、球界屈指の強打者、ソフトバンク・柳田悠岐選手をあげた。

筑波大では体の仕組みを学び、自身の投球フォーム分析をテーマに卒論に取り組む。つくばでの4年間を「仲間との充実した時間を過ごすことができた」と振り返り、「大学で学んだ『考えながらプレーすること』を今後も貫いていきたい」と話した。

西武から指名を受けた佐藤投手(右)と、筑波大野球部の川村監督

西武からの指名を佐藤の隣で聞いた筑波大野球部・川村卓監督は「指導者としては、1位で送り出したかった。それでもけがもあった中で、指名を受けることができよかったと思う」と佐藤の気持ちをおもんばかった。

川村監督は同大で動作解析などの研究をする研究者でもある。入学当時から佐藤のデータを収集・分析してきた。「本人が望むなら、今後も継続してデータを収集できれば」とし、「これまでのデータは、プロ野球の方にも渡したい」と話した。

県内チーム、3名が指名

茨城県内のチームからは佐藤のほか、3人が指名された。

日立製作所の豊田寛(24)選手は、阪神からドラフト6位指名を受けた。豊田は東海大相模3年時に右の強打者として4番を務め、現在中日でプレーする小笠原慎之介投手とともに夏の甲子園で全国制覇を果たしている。

またBCリーグ・茨城アストロプラネッツからは、山中尭之外野手(22)が育成1位でオリックスに、大橋武尊外野手(20)が育成3位で横浜DeNAにそれぞれ指名を受けた。(柴田大輔)

茨城アストロプラネッツから2選手

笑顔でポーズをとる山中選手、大橋選手(左から)

茨城アストロプラネッツは笠間市役所前芝生広場で、ドラフト候補選手が出席しパブリックビューイングを開いた。

オリックスから育成1位の指名を受けた山中は「NPB(日本野球機構)に行くという目標のスタートラインに立てた。これからはそこで活躍するという次の目標に向かって頑張る」と第一声。横浜DeNAに育成3位で指名された大橋は「これからもっと成長していかなくてはいけないが、今日だけは素直に喜びたい」と心境を語った。

指名を受けた球団の印象について山中は「バファローズには今季、プラネッツからセサル・バルガス投手が入団している。自分がそれに続いたということは、いい流れなのかなと思う」。大橋は「ベイスターズは主体性を掲げ、最新のものを取り入れている球団。プラネッツは日本と米国の野球の良いところを取り入れ、また自分も米国の野球を現地で学んできた。それらがうまくつながるのでは」と話した。

山中外野手は結城市出身、つくば秀英高校と共栄大学で4番打者を務め、トライアウトを経てアストロプラネッツに入団。スイングスピードと飛距離、弾道を武器とするホームランバッターで、逆方向への長打に磨きをかけ、体重増加とパワーアップに務めたことが今季後半の好調につながった。松坂賢ヘッドコーチは「たくましい体格による日本人離れした長打力が魅力。今後は再現性を高め、テクニックを増やしていくことが課題。日本では右の強打者が少ない中、夢を見させてくれる選手」と評価する。

大橋外野手は東京都出身、中学を卒業後単身渡米し、世界的に有名なスポーツ留学校IMGアカデミーで学び、野球で守備力ナンバーワンの選手に贈られるゴールドグラブアワードを受賞した。今春帰国しアストロプラネッツに入団。50メートル走5.8秒、遠投110mの俊足強肩が武器。松坂HCは「シェイプされた体で抜群の身体能力。バッティングの強度や出力も高く、打球の速さも素晴らしい。守備範囲などもまだまだ伸びしろがある」と期待を寄せる。(池田充雄)

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