日曜日, 3月 8, 2026
ホームつくば【震災10年】4 今いる地域で働いて友達と遊べたらいい 宇名根悠樹さん

【震災10年】4 今いる地域で働いて友達と遊べたらいい 宇名根悠樹さん

【柴田大輔】「あれを見ると、本当に『帰れないんだ』って実感しましたよね」

原発事故で双葉町から避難した土浦市の宇名根悠樹さん(22)は昨年11月、9年半ぶりに故郷に帰った。町から連絡を受け、小学校に残したままの荷物を受け取るためだった。12歳で東日本大震災に遭った。母校に向かう途中、フェンスで封鎖された自宅へ続く道を見た。隔離された自分の家に疎外感を覚えたと話す。

やりかけのゲームがあった

「僕は『もう帰らない』って覚悟を決めて出てきたわけじゃないんです。だから、このまま帰れないなんて思えないんですよね。なんか寂しいじゃないっすか」  

当時は小学6年生で、卒業式を翌週に控えていた。4月には地元の中学に進学するはずだった。

「部屋にはやりかけのテレビゲームがあって、あと10分もやればクリアできたはずだったんです。最初は、それが本当悔しかったです」

そう苦笑いを浮かべて思い出すのは、兄と遊んだ自宅前の坂道や、父と作った木製の椅子、畑から採った野菜を料理する母の姿など、家族が暮らした双葉町での何気ない日々の出来事だ。

目立ちたくなかった

移動と転校を繰り返す避難生活は目まぐるしかった。原発事故による避難指示で、地震翌日に隣町に避難し、8日後には町ぐるみの集団避難で埼玉県へ移動した。茨城への転居は、約半年に及んだ避難所での集団生活ののちだった。

「双葉にいたころは、一度しか県外に出たことがなかったんです。スーパーで当たった懸賞で横浜の中華街に母と行ったんですよ」

茨城では、避難者に開放されたつくば市の国家公務員宿舎に部屋を借り、近隣の中学に通った。のちに隣の土浦市に借りた一軒家に家族で越している。学校では、避難者であることで「悪目立ち」するのが嫌だった。

つくばの中学校で、全校生徒を前にインタビューされたことがある。「事前準備なしだったので、すごく緊張して。別に嫌だったわけじゃないんですけど、『福島から来た宇名根くん』って、絶対目立つじゃないですか」

ゲームや読書が好きな、興味のあることにマイペースで向き合う少年時代だった。だが、目立ちたくなかった理由には、当時の報道も影響した。

「毎日のように『(避難者への)いじめ』をテレビで見てましたから、身構えたところはありました。でも、意識し過ぎだったのかもしれないですけどね」

幸い、中学・高校を通じて「避難」が理由でいじめに遭うことはなかったものの、高校では「福島出身」とあえて口にはしなかったという。

「高校で『福島出身』は隠してました。言ってもいいことないと思って。『福島で何があったの?』って毎回根掘り葉掘り聞かれるのが面倒だったんです」

「原付免許を取ったんですが、一度それを見られてバレちゃったんですよ。でも、そんなにみんな反応しなくて。気にし過ぎだったのかなぁ、みたいな。(震災から)時間が経ったってことかもしれないです。『気にすることなかったんだな』って、ほっとしました」

“悲しい人”ばかり取り上げますよね

取材の中で、宇名根さんがこう問いかけた。

「僕の友人も言ってたんですけど、インタビューって“悲しい人”ばかり取り上げますよね?」

続けてこう話す。

「僕はそういうのないんですよ。津波も見てないし、いじめにも遭ってない」

12歳の少年が経験した震災と、避難者として過ごした10代は、宇名根さんにとってどんな時間だったのか。

「福島で過ごした時間と、茨城の時間が半々くらいになってきてるんです。茨城の記憶の方が強いくらいです。でも、福島のことはよく覚えてるんですよね。近所の道とか」

「こっちでパン屋に行くとするじゃないですか。そうすると思い出すんですよ。『あぁ、あそこにパン屋あったな』とかって。友達にパン屋がいたんですよね」

「こっちで嫌なことがあったっていうわけじゃないんです。そうじゃなくて、単純に福島の方が好きだったんです」

母校で受け取った道具箱に、震災3日前に撮った自身の写真が入っていた

つくばの中学で出会った友人たちとは、今もよく遊んでいる。

「茨城に転校してきて、はじめ、あまりなじめなかったんです。でも先生がいい人で、『ゲームが好きな、気の合いそうな人がいるよ』って、隣のクラスの人たちを紹介してくれたんです。それは本当にうれしかった。いまでも仲良いですよ、そいつらとは」

10年後の自分について想像できるか聞くと、思いをまとめるように間を置きこう言った。

「10年後、福島に帰れたらっていうのは今も思います。可能なら。本当に可能ならなんですけどね。諦めきれないってことなんですかね。でも、今いる地域で働いて、友達と遊べたらいいんじゃないかなってのも思ってます」

そう言って、宇名根さんは優しい笑みを浮かべた。

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