【コラム・斉藤裕之】「何が悪いんだ?」という顔でその人はそこに立っている。記者風情の質問には腹が立つのだろう。なにせ首相までやったのだから。ここまでオリンピックを引っ張ってきたのだから。私の親の世代、女性に対する物言いや女性の地位は今思えばひどいものであった。
いやほんの少し前まで自分を含めた周りもそうだった。女に負けるな、女みたいな髪型、女の腐ったような…。とにかく、男は女より優れていて、「男子たるものは」という教育を受けてきた。だから、この大柄な老人のことをとやかく言えるかと言えば、はなはだ怪しい自分がいる。理屈として分かっていても、本心から女性をリスペクトすることは容易ではない。
要するに、地雷を踏まない術(すべ)を身に着けることはできても、聖人君子のようにはなれない。いや、君子でさえも「女子と小人(しょうじん)は…」なんて言っているのだから。
ところで、2人の娘は小学校の時から柔道をやっていた。2人ともそれなりに強くて、長女は県南で優勝したこともある。次女などは県の大会で決勝までいってしまって。ここで勝つと、全国大会で秋田まで行かなければならないというのでちょっと焦ったが、いい感じの接戦で惜しくも負けてくれた。
かわいらしい女の子だと思ってつかみかかりにいくと、一本背負いでぶん投げられる。当時の映像は残っていないが、絵に描いたように男の子を投げ飛ばす姿は、我が子ながら見事だった。
しかし、2人ともそれほど好きではなかったらしく、中学で畳から降りた。実はその間にいただいた金銀のメダルが段ボールひと箱ほどもある。子供たちが巣立ってから、少しずつ不要になったものを捨ててきたのだが、その日、カミさんが引っ張り出してきたのはこの大量のメダル。
時化の日には漁を諦める
寒そうに美術室に入ってきた女子。「この真冬にスカートをはいているだけで尊敬するよ」「ですよね~!」って笑って答えてくれるが。こういう会話が許されるのは、私が人格者だからか、はたまた人畜無害な初老に見えるからか。いや多分センスの問題だ。
ある時から、女性の方が優れているのではないかと気づき始めた。医学部の入試の一件もそうだが、美術大学はずいぶん前から女子と男子の比率が逆転している。ちょうど、オリンピックでマラソンや柔道に女性が活躍し始めた時期と重なるような気がする。特に最近では、ジェンダーやマイノリティーについて世論は敏感だ。
これはとても繊細な問題なのだ。だからセンスを養う必要がある。最近メディアを騒がすのはこのセンスない人たち。そういえば、この方は文部大臣もやられたのでは…。今回の件は、「けがの功名」としてオリンピックのレガシーに。そういうセンス。
段ボールいっぱいのメダルに未練はない。さっさと燃えないゴミに出した。燃えないゴミから作ったオリンピックのメダルが陽の目を浴びる日は来るのだろうか。時化(しけ)の日には漁を諦めるというのもひとつのセンス、勇気だと思うが。(画家)