土曜日, 1月 23, 2021
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《邑から日本を見る》79  秋田からの「いぶりがっこ」を食べながら

【コラム・先﨑千尋】30年来の秋田の知友から手作りの「いぶりがっこ」が届いた。添えられた手紙には「昔は金が無くても暮らせる世の中だった。バスにも乗らず、飲み物は水。食堂に入らず、宿は親戚や知り合いの家。オリンピックの総費用1兆5000億円以上、参加選手約15,000人。選手1人あたり1億円。何かおかしい」とある。そうだそうだとうなずきながら、いぶりがっこをかみしめる。

その秋田は大雪で、救助のために自衛隊が出動している。横手市立栄小学校は30年前に木造校舎を建てたが、雪に埋もれ、雪をかきだす様子をテレビで見た。そのモデルとなったのは私が住んでいる瓜連小学校の木造校舎だったので、関心が人一倍だ。これでは子供たちが「かまくら」を作って楽しむどころではないなと、かの地に思いをはせた。

昨年から地球を襲っている新型コロナウイルスの脅威。テレビでは朝から晩までこのニュース。コメンテーターや医療専門家たちがそれぞれ自分の主張をしているが、一向に事態はよくならない。菅首相は小池東京都知事らから背中を押されて、7日にやっと緊急事態宣言を出したが、世論調査の数字やテレビで聞くちまたの声からもわかるように、遅すぎたという声が圧倒的だ。

私もそう思う。医療崩壊が始まっているのが一番怖い。「Go Toトラベル」などにうつつを抜かしているよりも、そのカネを医療現場に注ぎ込み、PCR検査を大幅に増やし、人の動きを止める、休業要請をした業者には損害補償をきちんとする。私はそのことが最低限必要だと考えている。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」

そして菅総理大臣や西村担当大臣、政党幹部らが医療現場に足を運び、現場で懸命に努力している人たちの声を聴く。そしてコロナを止めるという覚悟を決める。政治家として当たり前のことがどうしてできないのか不思議だ。経済を回すこと(カネ)よりも命最優先ではないか。「命あっての物種」という言葉もある。

国民の共感と協力を得るためには、手元の紙に目を落として読み上げるのではなく、ドイツのメルケル首相などのように、メリハリのある自分の言葉で強く訴えることが大事だと思っている。

平時なら優秀なスタッフがいるから、首相、知事、首長は、極端な言い方をすれば誰にでもできる。しかし今は国民すべてが戦場にいる。事態がどうなっていくのかわからない。瞬時に情勢を判断し、的確な指示を出す。それがトップの役割だ。それができないのなら、辞めてもらうしかあるまい。週刊誌やネット情報では、すでに次の首相選びが始まっている。

東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故からまもなく10年になる。経済の仕組み、人としての生き方など、震災と事故によって国民と政治家の考え方が変わると期待していたが、その後の世相を見ていると、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という考え方は変わっていないようだ。コロナ騒ぎがあっても同じだと思える。私たち日本の人々は、どうして同じ轍(てつ)を踏むのだろうか。(元瓜連町長)

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