【池田充雄】1929(昭和4)年8月19日、風が止まったような夏の午後、土浦の町が突然薄暗くなり、見上げると巨大な銀色の葉巻のようなものが浮かんでいた。大空の巨鯨と形容されたドイツの飛行船LZ-127、愛称を「グラーフ(伯爵)ツェッペリン号」という。
ツェッペリン伯爵と後継者フーゴ・エッケナー博士は、1937年までに130機の飛行船を建造。軍事、旅客、航空郵便・貨物などに活用された。1928年に完成したLZ-127は全長236.6メートル、最大直径30.5メートルの偉容を誇り、マイバッハ社530馬力エンジン5基を搭載。燃料は重量軽減のため主にブラウガス(石油気化ガス)を用い、最高速度は128キロ。巡航速度の117キロでは1万2000キロの航続距離があった。
幹部乗員らを霞月楼に迎える
エッケナー博士はこの最新機による世界一周飛行を計画。1929(昭和4)年8月7日深夜に米国東海岸レイクハーストを出発した飛行船は19日午後4時過ぎに土浦を通過し、東京の北東上空に姿を現した。
合図のサイレンが市内各所から鳴り響く中、千住、上野、日本橋、丸の内と進み、屋上という屋上、窓という窓には黒山の人だかりができたという。品川からは京浜方面へ向かい、横浜上空を一周して霞ケ浦海軍航空隊飛行場には午後6時過ぎに到着。トロッコを使って飛行場の格納庫へ収められた。
着陸後、エッケナー博士ほか幹部乗員11人は、自動車で霞月楼へ移動、霞ケ浦航空隊司令・枝原百合一少将主催の歓迎会に出席した。このときの献立表が残っている。
後にエッケナー博士が「ことに貝がよかった」と話したのはアワビのことか。当時は冷蔵技術が未発達で、土浦で海産物を仕入れるのは難しかった。だがこの日ばかりは海軍の接待とあって、銚子港から軍用船で運び込んだのだそうだ。
一方、下士官以下の乗員には飛行場で海軍伝統のカレーが振る舞われた。当時の土浦町右籾では糖度の高い良質なジャガイモが産出された。ドイツの人には故郷の味だろうと、ジャガイモ入りのカレーを作って喜ばれたという。これが現在の土浦ツェッペリンカレーや土浦カレーフェスティバルの起源となった。
飛行船に乗った少年の物語
ツェ伯号を一目見ようという群衆は引きも切らず、海軍航空隊周辺に詰めかけた。上野-土浦間には何本もの臨時列車が増発され、停泊期間中の合計来訪者数は30万人とも40万人とも言われる。土浦-阿見間を走る常南電車や乗合バスはフル回転で鈴なりの乗客を運んだ。
着陸の翌朝から見学が許され、格納庫に殺到した群衆は、10メートルほど開けられた扉の隙間から「空の怪物」の偉容を見上げた。このとき、LZ-127の内部見学を許された子どもが一人だけいた。後の霞月楼4代目会長、故・堀越恒二さんだ。
「私が満7歳で小学校二年生のとき、菊の間でツェッペリン伯号来日の歓迎会があった。夜9時ごろ、士官連中が25人ほど集まっていて覗きに行くと、出てきた顔見知りの副官に『坊主、ツェッペリン飛行船に乗りたいか?』と言われた。それで翌日、店の板前にリヤカーで連れて行ってもらった」
驚きの物語は、「飛行船に乗った少年/堀越恒二氏インタビュー」(2007年、土浦ツェッペリン倶楽部、土浦ツェッペリン協議会)に詳しい。漫画家うるの拓也さんによるコミック「ツェッペリンが舞い降りた日」にもなっている。
60年後の1989(平成元)年11月18日、ツェッペリン伯爵の孫イーザ・フォン・ブランデンシュタイン女史と、LZ-127の元乗員ら計5人が来日。土浦市役所や着陸地跡の陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地を訪問後、霞月楼でもてなしを受けた。恒二会長がかつて同機に乗った話をしたところ、「坊主頭で半ズボンをはいた日本人の男の子の写真があった。複写して送ってあげる」と言われた。だがその後イーザさんは亡くなり、写真の所在も分からずじまいとなった。
2000年5月、市民有志が飛行船によるまちづくりを掲げ、霞月楼を事務局として「土浦ツェッペリン倶楽部」を結成。亀城プラザ(土浦市中央2丁目)にある1/20スケールのLZ-127模型を製作したほか、2005年には現代のドイツに蘇った「ツェッペリンNT号」を土浦に招致、翌年には子ども向けの体験飛行も実現させた。
同倶楽部は今もLZ-127飛来の歴史を貴重な地域資産として活用すべく、資料館「土浦ツェッペリン伯号展示館」(土浦市中央、土浦まちかど蔵「野村」文庫蔵)の運営などに当たっている。(シリーズ全12回おわり)
- 取材協力・参考資料 陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽圓地與四松「空の驚異ツェッペリン」(1929年、先進社)▽廣岡幽峯「霞空十年史」(1931)▽大谷芳夫「グラーフ・ツェッペリン飛行船訪日資料」(1970年)▽「霞月楼百年」(1988年、霞月楼)▽図録「夢の空へ」(1990年、土浦市立博物館)▽柘植久慶「ツェッペリン飛行船」(1998年、中央公論社)▽天沼春樹「夢みる飛行船」(2000年、時事通信社)▽「阿見と予科練」(2002年、阿見町)▽「阿見原に来た飛行船ツェッペリン伯号」(2004年、阿見町教育委員会生涯学習課)▽「ようこそツェッペリンNT号」(2005年、飛行船ツェッペリン号再来歓迎実行委員会)▽うるのクリエイティブ事務所「ツェッペリンが舞い降りた日」(2010年、土浦ツェッペリン倶楽部)▽東京朝日新聞1929年8月19日~30日付▽東京朝日新聞・大阪朝日新聞・大阪毎日新聞1929年8月19日号外▽常陽新聞1989年11月19日付・2000年10月20日付▽Newsつくば2019年11月21日付▽土浦ツェッペリン倶楽部ウェブサイト
シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ