【コラム・奥井登美子】80歳を過ぎて、私たちが中高校時に受けた目茶目茶(めちゃめちゃ)教育の、雑然とした有り難さが、やっと分かってきた。食べ物も就職もない時代、青年たちは中高校の教師か大学の講師になるしかなかった。私たち生徒は、逆に考えると、個性的で優秀な教師に恵まれていたのかもしれない。
高校時代、後に東京芸大の教授になった石桁真礼生(いしけた・まれお)氏に「発声法」を厳しく鍛えられた。私が後に「NHKのリポーター」になったとき、この発声法が思わぬとところで役に立った。
私は文学部の部長で戯曲作家を目指していたが、京都二条城の御製薬所だった加藤翠松堂(かとうすいしょうどう)出身の父から、親戚の手前もあって、私に薬剤師の免許を取るように強く言われ、あまり気が進まないまま東京薬科大学に入学した。
大学の校舎は上野桜木町。芸大に潜ってデッサンを見たり、音楽会を聴いたり、動物園の中に塀の隙間から潜り込んだりした。新制大学3年目、大学になったものの、専門学校にはなかった単位を、どの教師に依頼するか、学校側でも皆目分からない時期だったのだろう。個性的な先生ばかりだった。
寺田寅彦、正木昊、奧井誠一…
黒板に、週替わりで寺田寅彦(てらだ・とらひこ)のエッセイが張ってある。物理学と文学との間のこのような世界がある。私は戯曲以外の文学にも心を奪われていった。寺田寅彦は今読んでも楽しい。古くさくなく新しい宇宙を感じることができる。
法学は「首なし事件」の正木昊(まさき・ひろし)先生。この先生は漫画の天才で、黒板に漫画を描きながら話をする。松川事件、三鷹事件、口角泡を飛ばして言葉が弾き出され、飛び交い弾ける。「そもそも官僚根性は、自分の立身出世のためには何ものをも犠牲にする。独善、無責任、形式主義」。言葉のリズムと漫画が混然一体となった授業だった。
弁護士の正木先生は、水戸の先まで行って首のない遺体を掘り起こし、電車で運んで殺人を立証した人である。世間では、その事件を「首なし事件」といって話題になった。
東大は地理的に近いせいか、助教授クラスの若い先生がたくさん講師に来てくれていた。「裁判化学」の奧井誠一もその一人である。後々、この人に「弟と結婚してやってほしい」と、口説かれるとは夢にも思わなかった。(随筆家、薬剤師)